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20. Rape me

「形而上に存在する音符を譜面に落とし込むことを私たちは創作と呼んでいるの。過ちがあるのであればそれも決して忘れてはいけない」

『蜂』は『怒』に向かって鼓膜を震わせる振動だけが音と呼ばれるのではなく、空間に配置されている遮蔽物、人間の体温、気候による温度変化によって干渉を引き起こす『アセチルコリン濃度』の上昇率を操作する行為を『響』と呼び、五線譜に記載されている情報だけを私は見つめているわけではないのと渋谷の街を歩きながらまるでリズムを刻むようにしながら囁いている。

「網膜が焼けつくほどの光を生成出来るのであれば、迷わず私はその答えを選び取るだろうね。見えるという状況そのものを破壊し尽くしたいと考えているから私は光を手にしている。」

『光が』『重』と意見交換をして、なぜ重力と呼ばれる力の四原則の一つが物体に対する干渉率が低く光の屈折を引き起こすことが出来るのかを笑い合っている。

「ギャギャガーガガーギーギー」

彼らが『E2-E4』に呼び出された理由は、ワームホールを移動する際に現出する『カーニバル』の狂気の発動を抑制することで、荒れ狂う殺戮によって瘴気が充満してしまわないように、音楽を鳴らすことだと禅はしゃくれた顎と髭面とドレッドヘアをなびかせながら『metaphysics』のコンセプトをまとめあげようとする。

「全く持って不都合な真実だがこの程度の話に大衆は左右される。俺のいうインチキな夢物語の中でダンスをしたい、それだけならまだしも接触を不要とするオーガズムまで求めようとする。だからこそ、この煙で俺は何もかもまやかしにしちまいたいんだ。」

ゲラゲラと笑い飛ばしながら、ヒョイっと宙へ浮かび、座禅を汲むラスタファリズムは十キロメートル先から聞こえて来る行進の音に耳を澄ませてニヤついている。

人食い兎や狼男や得体の知れない化け物たちが合流するのはすぐにやってくるはずと天からまるで憎みようのない可愛らしい声が降ってきて空間を捻じ曲げる。

街中に異変が起きたことを気付かない人々が溢れかえって何も知らないまま街を行き来している。

ザッザッザッザッザッ。

『S.A.I.』のD地区支部特別部隊の兵士たちが軍靴を鳴らして表参道を行進する。

周囲を取り囲む警官隊が笛を吹き交通誘導をしながら三千人近い集団に対して規制をかけている。

まるでずっと昔に語られていた全体の為に個人は奉仕するべきであるというメッセージを模倣するようにして画一的な彼らの行動とリズムによって街ゆく人々に思想が伝搬され明示される。

戦闘を歩いているのは殉教者である『睦業リンネ』の遺影を抱えた『卯紡木下弦』で彼はボロボロで血だらけで薄汚れた布のようなものをまとい裸足で歩きながら自分の足元だけを見つめながら兵士たちを先導している。

もし、兵士たちの一人でも脚音をずらしたのならばすぐに意識の統制を始める為に『音波のエーテル』が聴覚神経に正確なハーモニーを突き刺そうとするだろう。

「あーなんか相変わらずこの人たちは完璧な機械。歯車の動きが一分だって乱れない。大河のアドバイスがあるとはいえ、この狂信者たちの予言者を信じる心っていうのはマジでビビル」

兵隊たちの後方を歩く『蓮花院通子』が『慄木源』に向かって嘲りを笑顔で飛ばす。

「ミニマムがもし不規則な変化を見失ってしまったら、フリーケンシーは見えない力を捨て去るだろ。だから、彼らの心にはこうやっていとも簡単に不在が入り込むんだ」

『慄木源』の小難しい理屈を鼻で笑うようにして、『白鳳剛志』が肩を組んで乱雑さを意図的に介入させる。

「彼らの意志が強固であるのか薄弱であるのかは確かに難しいな。大河なら自由運動を許容させたまま簡単に統率してしまう。BAND-AIDがあそこまで急速に成長出来たのはきっと半導体に残った銀を有効的に活用して高揚感と抑鬱感情を操れる錬金術師様のお陰だからな」

大河は『E2-E4』の先頭を歩き、黙って兵士たちの行進を眺め続けている。

強烈な個が発動すれば、全体は同型を維持しようと決して枠の中から逃げ出すことを求めようとせず、否定的感情すら簡単に受け入れてしまう。

どうやら、『サイトウマコト』がもたらした予言によって、彼らは死の不安すら帳消しにしてしまおうとしている。

『九条院大河』はその死が都市のどこに侵入し始めているのかをふと瞬間に見逃してしまわないように本当に少しだけ時折混じり込む足音の遅れを聞き逃さないようにしているようだ。

もしかしたらその場所に彼らの意志が潜り込んでいるのかもしれない。

「そろそろ青山通りを左折するよ。予定通りならば、『都民の城』付近で空に異変が訪れるはず。たぶん、お腹がいっぱいになったことを知らせに夢が落ちて来るよ。大河、術式は中等部の時と同じでいいんだよね?」

『潮凪雫』が『E2-E4』専用回線として改良した意識の非音声化通信で六人の連携をとる。甘い言葉で頭の中をいっぱいにしてくれる『九条院大河』のことを考えると、出来たら傍に駆け付けたいけれど、まだ彼女は人が怖くて自室から出ることは出来ないという気持ちばかりが溢れてくる。

こんな時でもいつも話し相手になってくれていたのは留学中にずっと行動を共にしていた横尾深愛の作った遺伝子改良生物『ポロ』だけれど、痛覚に関する実験体として横尾が選んだ生物はとてもか細い声で痛みを訴えかけてくるだけで『潮凪雫』は少しだけそのことで心が麻痺しそうになっていた。

生命の形が分からなくなってしまうことをまだほんの少しだけ雫は恐れているようだ。

「雫。『自ラヲ慰メル』時は人払いをしなくちゃいけない。心は大切にしまっておくんだ。傷をつけてはいけない。」

『知野川琳』が何処からか雫にメッセージを送って来る。

きっと空の上を歩きながら、渋谷の街を眺めている時に街と仲間に潜んだ微かな異変に気付いたのだろう。

『E2-E4』の意識をつなげている時に余分な不安が入り込んでとっておきのゲームが始まる瞬間を壊さないように見張っているようだ。

ピピピッピピッ。ピピピッピピッ。

悪意を産む時計が一斉に通知音を鳴らし始める。

渋谷の街にいる若者たちに危険が迫っていることを伝えるつもりなのか、それとも『アセチルコリン濃度』をあげて脳内麻薬が過剰分泌される状態をD地区全体に広げようとしているつもりなのか、何処かで誰かが吐き出した悪意の種がスマートフォンのアプリケーションと連動してドロドロと汚れきった感情を産むために機械が作動して起動する。

「始まる。渋谷駅東口歩道橋下でD地区特別部隊を待機させろ。『カーニバル』が、食人族たちの宴が、俺たちと違う形の人間が、ブラックホールを抜けてやって来る。琳、発動時刻は何時になる予定だ」

大河は決して表情を緩めずに、奇跡を具現化して常態の異常を確実に保存して普遍的な日常をまっさらな非日常世界へと移行させる為の準備を整えようとする。

兵士たちの足音は一切のズレを許さないまま『都民の城』前を通過して二四六号沿いを渋谷駅東口に向かって降っていく。

パリンと何処かで何かが割れる音がしてはしゃぎながらやってきた誰かの素直な願いが堪えきれない喜びを露わにして正常なバランスを瓦解させる。

「十八時九分。あと二十分でウネル扉が開きだす。たぶん、耳のいいやつなら空気が裂ける音をもう感じ取っている。おれも滑空する。あぁ、これはあいつが向こうに行ってしまって以来なんだ。忘れられるってあいつは勝手におれのことを決めつけた。赦したくない」

堂々と別れを告げて、この世界で私に出来ることは少ないからって、私の代わりにハリソンと一緒にやって来る人と仲良くなって下さいって勝手な都合で突然目の前から消えた幼馴染のことを思い出して『知野川琳』は少しだけ涙を流す。

下手な芝居が大好きでいつもくだらない話で元気付けられてばかりなのが嫌で、簡単な優しさに触れないように『知野川琳』は陰陽魔道に食らいついた。

それは高校生の時に盗んだ一個のボールペンのせいなのかも知れないって彼は珍しく自分を責めている。

「シャットアップ。行進が近くまで来ているのはもう聞こえているな。アラームが鳴ってあたりに人が集まり出した。おい、見てみろ。現場の作業員がぶつぶつと独り言を唱え出した。そのうちブルドーザーが暴れだす」

夜間道路工事が始まり出した歩道脇で、怒鳴り散らす作業員が大気に向かって怒りをぶちまけている。

重力に逆らいたいのかミニユンボがシャベルを精いっぱいの高さまで振り上げると勢いよくアスファルトの下の地面を掘り返して土を道路にぶちまける。

中域に鼓膜を刺激する甲高い波形が混ざった排気音が渋谷警察署方面からやってきて行進と合流する。

後部座席に乗っている男が金属パイプを振り回して脇を走る乗用車を破壊する。

ガラスの砕け散る音がしたことを盲目の男がバイクを運転しながら笑っている。

独り言をいう作業員が風邪の菌をばら撒いて空気感染を引き起こす。

誰かがどこから運んできた微かな歪みが声に乗ってやってくる。

「ねえ、私に今、最も伝えたいことって何かしら?」

『蜂』が横断歩道の上で待っていた芹沢美沙に向かって出会いの挨拶を告げる。

芹沢美沙は右手を大きく振りかざすと平手で『蜂』の頬をとても強く叩く。

赤い手の痕がついた『蜂』が顔を芹沢美沙に向き直すと、唾を吐いて彼女の口元を汚す。

鋭い痛みが頬に走ったことと屈辱を受け入れる芹沢美沙の表情に耐えきれなくなった『蜂』が舌を出して汚した頬を舐めるとそのまま唇を奪う。

芹沢美沙も舌を絡めて受け入れて横断歩道の中央で二人は始まりの挨拶を交わす。

黒いセダンの運転席のガラスが割れる音に混じって軍靴が響く三千人の行進の音を聞きつけて周辺のビルの窓際に人が集まって来る。

渋滞を引き起こして道路としての機能が麻痺した渋谷駅東口に迷い込んできた車がクラクションを鳴らしてイライラを募らせる。

悪意を産む時計のアラームが鳴り止まずに渋谷駅前に狂気が叛乱する。

キスを辞めた『蜂』が少しだけ優しい声で横断歩道の上から喉を震わせて『アセチルコリン濃度』の暴走を乱流の中へと投げ入れようとする。

高輝度のプロジェクターを百台ずつスタック設置した黒い塗装のトラックが二台止まり、高層ビルのガラス窓を光の蠢く絵へと変容させる。

『S.A.I.』D地区支部特別部隊が『卯紡木下弦』を先頭にして首都高三号線ガード下で前方へ進むのを停止してその場で足踏みをする。

コンクリートに反響した足音が轟音になって鳴り響く。

黒いNINJAにまたがった斎藤誠と『衣笠祥雄』も警官隊に取り囲まれた行進の近くでまるで挑発でもするように突然停車して職務を遂行しようとする実直な若い警察官に勧告を受けるけれど、全盲である彼の視界には当然何も映ることなんてなく硬いテンプレートのような忠告もエンジンを空吹かししながら威嚇している。

青い制服に身を包んだ男が怒声を浴びせて斎藤誠を移動させようとする。

彼はさらにエンジンを唸らせて、行進する部隊の周りをぐるぐると廻って警官隊が顔のない姿から人間へと戻るようにと挑発を繰り返している。

ザッザッザッザッザッ。

行進の音が鳴り止まない。

光が蛍光灯をバチバチと響かせて周囲に集まった人々の感情を誘発しようとする。

夜間工事中の道路脇でロードローラが走り地面を揺らすと下水道が走り回る地下を重低音で困惑させる。

とても嫌な気分で満たされたマンホールから肩ほどまで伸ばした髪の老人と薄汚れたぬいぐるみを抱いた女の子が蓋をどけて顔を出し、音と光が渋谷駅東口を満たしきって空間を破裂させてしまいそうなほどの情報量が溢れかえっていることに少しだけ驚いて三百四十五日ぶりに地上へ『蜚蠊』と『鼠』が這い上がって来る。

「天賦の才に恵まれた女の子がゴミの山から産まれる時の音に似ているな。まるで世界から弱々しく生命力を失ったものを削除する儀式が始まったように見える。お前はどうだ」

ヒエラルン酸を注入して若さを保とうとしている老人が手を繋いだ小さな女の子に珍しく語りかける。

「眠ってしまいそう。夜はまだこれからなのに。この子が生命でも持ってしまったらどうしよう」

女の子が抱いている汚らしいぬいぐるみは喋るのを控えているのかそれとも言葉など最初から持っていないのか分からないけれど女の子に乱暴に扱われたせいで顔の傷口からはみ出ている真綿を女の子に毟り取られている。

「──こんなものを見せられても結局いつもと同じ世界がやってきて私らを無視してしまうに違いない──」

老人と女の子が声を揃えて同じことを同じタイミングで言葉にして、路上でスマートフォンをかざして写真をとっている人々の群れに紛れ込もうとする。

地下で染み付いた彼らの悪臭が漂っていることに気付くものは確かにいたけれど、やはり彼らの姿はうっすらと普通の人々の認識の世界からぼやけて消えてしまうのかすんなりと人混みに溶け込んで結局彼らがいたことなんて忘れてしまう。

「──だって私なんてどこにでもいる。言われなくても知っている──」

緑色のスプリングコートにブルージーンズに黒いジップのロングハイヒールブーツを履いた『蓮花院通子』がコートのポケットに手を突っ込みながら停滞する行進の前方に躍り出ようと列からはみ出て歩き出す。

彼女はとても楽しそうで、壊れた日常が見たくて小学生の頃からずっと『九条院大河』の傍から離れようとしなかった。

六人はいつも一緒で『九条院大河』の考える最狂最悪の悪戯に笑いが止まらなくてどうにかしてもっと沢山の悪戯で大河の笑っている顔が見たくて『蓮花院通子』は自分にできることをいつも探していた。

『九条院大河』は私を否定なんてせずに、小さいアイデアをめいっぱい大きく広げて形に変えてくれた。

『吹き荒れる愛の嵐 疾風怒濤』は七星学園中等部の時に、私がサッカー部の先輩に弄ばれた時に考えてくれた悲しい雰囲気を全て吹き飛ばす多分私たち六人にとって一番の悪戯だ。

盛り上がりすぎて屋上から飛び降りた同級生は奇跡的に植え込みに落ちて一命を取り止めたけれど、あと十センチずれて校庭に落下していたら即死だったらしい。

『九条院大河』は甘い言葉と小さな誘惑でいつも私たちの脳味噌に悪戯をする。

彼にとって私たちの脳味噌はスマートフォンに搭載された半導体ぐらいでしかなくて、きっと彼の言葉が僅かな電流を流すだけで私たちはあっという間に拘束具なんて外してしまう。

常識なんて言葉が役に立たないぐらい大河の考えることは何もかもシステムの外側にあるんだってことを改めて感じながら誰かに命令なんてされていないのにきちんと足並みを揃えて行進しながら前に進むこともない兵士達を見て『蓮花院通子』は彼らと自分の境界線についてちょっとだけ思い悩んでいる。

ザッザッザッザッザッ。

「なぁ、これだけ人が集まると今度こそ人が大勢死ぬかもしれないな。お前達のエーテルにリミッターなんかつけるなよ。誰かに遠慮なんてすることなく思う存分自由に楽しむことにしよう。制限があるってことからさっさと逃げ出すことが出来ない奴らを思い切り馬鹿にしろ」

『九条院大河』はサッと振り向いて『E2-Efor』のメンバーたちに、戦争の始まりを告げる。

眼鏡に映っている銀髪の男は人が生まれたり死んだりすることを俺たちよりもっと精密に考えているような気がすると『円覚庵慈』は彼の賢さが怖くなる。

けれど、ダークスタチウムってレアメタルを術式の重要な反応装置に数える大河にはいつも現代の科学的論拠なんて役に立たないってことを植え付けられてしまう。

自分たちの『魔術回路』を含めて俺たちは何一つ世の中のことを知らない、制約なんて決まり事は『九条院大河』の前では一瞬にして瓦解してしまうって『慄木源』はこっそり『プルトニウムのエーテル』を発動させて兵士の一人の脳味噌に癌細胞を産み出して規則と規律に意地悪を投げ入れようとして踏みとどまる。

「反抗っていうのは軸がぶれないってことを言うんだ。ちゃんと立ってろよ、何があっても」

『重ズン』はベースの四弦を右手の人差し指で爪弾く。

いつの間にか停滞した行進の周りには、交通規制が始まっていてスクランブル交差点に侵入することは出来ないけれど、停車している車両の先頭には特別部隊の兵士たちを取り囲むように二トントラックが止まっていて、ベースの産み出した正弦波が電流に切り替わって地面を揺らす。

ゆっくりと太陽が沈んで暗闇が訪れ始める予兆を携えながら渋谷駅東口の熱狂が混乱に切り替わる瞬間に空気が切り裂かれて閃光がはしる。

「わかっているのか。お前達は目を閉じているんだ。刺激を限界まで引き上げろ。快楽に溺れ続けることを恐れるな」

『光ピカ』の産み出す電気ノイズのリズムに合わせて、『天フワ』が不自然なほど誰も寄り付かずにぽっかり空洞のように開いた東口交差点の中央で踊り始める。

視線が彼女に釘付けになり彼女の脳内に快感がホド走る。

小さな体の手足につけた鈴の音がシャンシャンと鳴り響いて小さな音がマイクで拾われて電気信号に変わってアンプで増幅されると二トントラックに積まれたスピーカーから極低音と混ざり合って音波を発生させる。

ザッザッザッザッザッ。

「多分今私をみんなが見ている。死ぬほど気持ちがいい。どうにもならないぐらい感情が覆いかぶさってきている」

身体中から湧き上がる素直な言葉を『狂クル』が翻訳する。

矩形波が正確に一分間に百二十一回鳴らされるように組み込んだプログラムが発動して行進のリズムを打ち消そうとアンプとスピーカーの関係性を最大限に引き出して渋谷駅東口に襲いかかる。

絶叫が遅延と一緒に幾重にも重なって空を隠して渋谷駅に集まったアラームによって呼び起こされた『悪意を産む機械』達の精神機能を麻痺させようと追い込んでいく。

「分かったか。ここまでやれば次元が歪む。『カーニバル』がやって来る。お前達の歌が彼らを殺そうとする前に異世界の住人達が何もかも食い殺してくれるんだぞ」

歩道橋から『禅ゼン』が飛び降りて宙に浮かんで胡座を組む。

まるで曼陀羅のようにリズムとメロディが交差してハーモニーが切り替わり渋谷駅東口交差点をぐるぐると取り囲む。

夕焼けが完全に消える。

人工太陽の光が完全に消えて辺りを暗闇が包み込んだ瞬間に全ての音が消えて静寂が訪れる。

プロジェクターで高層ビルのガラス窓に投影された動く絵が一つの形を作り出すと、一辺が二十メートルほどの巨大なモニターになりウニカが姿を現してベースドラムがゆっくりと鳴らされる。

過度の残響によって補正されたウニカが震えるような白い歌声を空に響かせる。

もう誰も俯いて下を向いたりしていない。

「まさか私たちの葬列をこんな風に利用されるとは思わなかったといっておきましょう。私がこの場で生贄に捧げられてしまえば始まりますね」

『卯紡木下弦』は奥歯に仕込んだ薬を噛み砕くと意識を失ってその場に倒れ込む。

行進が彼の卒倒の合図で止まる。

スピーカーからウニカの新曲──get up,stand up kids──が流れ始めて混乱していた渋谷駅東口に規則性が取り戻されていくと、歌声に魅了された人々が言葉を失ってに投影された彼女の歌で冷静さを取り戻していく。

『悪意を産む時計』に通知が届きアプリの画面に購入ボタンが表示される。

一斉にウニカの最新シングル──get up,stand up kids──が彼らの携帯にダウンロードされる。悪意を産む時計のピンク色の背景が紫色に切り替って購入が完了したことをアプリ使用者に告げる。

「入金が確認されました。悪意を産む時計をセカンドフェイズに移行します」

『蓮花院通子』はテルルのエーテルを発動すると、『潮凪雫』が意識の非音声化通信を使って送ってきた集合的無意識の中に存在していた母型憑依体を受け入れると機械的な言葉で『E2-E4』に術式発行の合図を送る。

「了解した。『白鳳剛志』、ダブル旋風で周囲の真空率を引き上げろ」

大河の命令に応じて、『白鳳剛志』は両腕の筋肉に『ストロンチウムのエーテル』を流し込み、筋繊維の機能を人間限界まで引き上げると四倍まで膨らんだ両腕を広げながら身体を軸にしてその場で回転運動を始める。

竜巻のような風の動きが渋谷駅東口に発生し始め、周囲の重力が拡散して無重力状態を作り出していく。「さぁ、渋谷駅周辺の全電源を奪い去るぞ。この街の電力系統の回線はこちらで制圧している。雫、連携して電力会社からの供給をストップしよう」

竜巻の中心から離れた歩道橋の上で『円覚庵慈』はダークスタチウムを光回線に送り込んで『潮凪雫』と通信を始める。

『潮凪雫』は『ガイア』級の人工衛星A-7をハッキングすると、『円覚庵慈』のエーテルを人工衛星上から電磁波として降り注がせる。

黒い雨が降り始めてゆっくりと明度の奪われて宴の準備が始まる。

「琳、準備はいいな。『プルトニウムのエーテル』をお前の『陰陽魔道』とリンクさせて空中で核融合爆発を引き起こせ。物理法則を書き換えてしまえば、魔界の扉が開き始める」

『慄木源』は両手を組み合わせて身体の脇で構えると核エネルギーを限界量まで引き出して周囲の放射線濃度を危険領域まで引き上げて、一気に両手に集まったエネルギー弾を渋谷上空目掛けて放出させる。

「わーい。俺の精子が受精するー。本気で地球と戦った甲斐があったぞー。悪意が俺の魔道を受け止めて核細胞が分裂を始める! イッケー。俺の元気の全てを爆発させる!」

琳が大きく口を開いてワッと叫び声をあげると身体中に溜め込んだ魔術エネルギーが地上から飛んでくるプルトニウム目掛けて飛んでいく。

「全ての手続きに問題なし。いけ、『吹き荒れる愛の嵐 疾風怒濤』発動しろ」

大河の合図で、渋谷の街の全電源がシャットダウンされ暗闇が訪れると『白鳳剛志』の巻き起こした竜巻が嵐を引き起こして周囲の人も車もゴミも機械も空も引き摺り込もうと襲いかかり、上空でプルトニウムと魔道が核融合爆発を引き起こして空からの光も遮ってD地区一体を奇妙な物理法則で出来た世界へと引き摺り込んでいく。

「相転移反応が限界まで到達。D地区周辺の情報量が質量保存の法則を上回ります。来ます、『カーニバル』がやってきます」

『S.A.I.』の特殊部隊の兵士たちが止まっていた行進を始める。

山手線と国道二四六号線が交差するガード下の空間が裂け始めると、内部から無数の人外の魔物たちが現出する。

人食い兎の甲高い泣き声がして、風に巻き込まれて吹き飛ばされた兵士の一人を噛み殺す。

頭が蛇で出来た全裸の女や羊の角と顔を持った化け物や鋭く長い爪と漆黒の身体で翼をバタつかせる野獣が群れをなし現実世界へと介入し始める。

特殊部隊の兵士達はそれでも行進を辞めずに前方から向かって来る妖魔の類がもたらす恐怖から逃げようともせずに足踏みを続けている。

『カーニバル』と呼ばれる『ガイア』級が属する次元とは別の宇宙空間からやってきた獣達の群れがブラックホールを抜けてホワイトホールへと抜け出すためのワームホールが『E2-E4』の術式によって相干渉を引き起こしてこの世界に接続される。

「『光』を怖がる化け物達を俺のソードで八つ裂きにしてやる」

両手に持った輝く剣が電磁力に干渉して、ノイズを撒き散らせると音が具象化して妖魔たちに襲いかかる。

形而学上の存在に暴力を行使して、無重力状態の人間達が悪意によって包まれる瞬間を遮ろうとする。「最大限度まで引き上げた低周波ならば、お前達の耳にも届くだろう。腸を引き摺り出せ、置き土産はお前たちの生きた証だ」

渋谷駅東口を取り囲んだサウンドシステムから暴虐と呼ぶべき低音が呼び出されて『カーニバル』の次元干渉率を引き下げて妖魔達にのしかかる。

煮え繰り返った内臓物が低周波によって刺激された漆黒の体の獣の腹を突き破って黒い血を撒き散らすと行進を続ける兵士達に浴びせかける。

「天使たちが踊り始めれば地面が裂けることなんてあり得ない。複雑さをからめとるようなグルーヴでお前達が暴れまわることを私たちが制御してやる」

ハイハットが矩形と絡み高揚感を刺激する。

『白鳳剛志』の竜巻に巻き込まれずに地上に残った人々が東口交差点の中央で踊るあどけない理力に魅了されて引き込まれるに身体を揺らし始める。

『カーニバル』の後方からバイクのエンジン音が聞こえて来ると金属パイプを振り回しながら、斎藤誠と『衣笠祥雄』が死をばら撒きにやって来る。

黒い血が撒き散らされる。

物語の中でしか見たことがない怪物や悪魔の姿が渋谷駅に溢れかえり、具現化した音や現象化した光や『衣笠祥雄』の振り回す金属パイプで蹂躙され暴れまわって人間達を食い散らかそうとする不逞の輩達に制裁を加え始める。

『カーニバル』が真横を通り過ぎても恐怖を感じる脳の部位を麻痺させられた兵士達は行進を止める事はないけれど、規則的な運動を繰り返す兵士達の一部が悪魔達の餌食になり食い殺されて黒い血と赤い血が混ざり合ってアスファルトにばら撒かれていく。

「ケハハハハ。そうかそうか。妖供を蹂躙してしまうほどの音響兵器なんてものをつくり出した俺たちが『metaphysics』だ。形而上に存在する記号と配列のパラドックスは今、確かに解決された。ラブソングはやつにまかそう。俺たちはそんな気持ちを伝える必要なんてないからな」

悟りを開いたものが宙に浮かびながら紫色の雲を作り、風に乗り渋谷駅東口を飛び回る。

竜巻に巻き込まれている人々はいつ死ぬか分からない状況であるにも関わらずなぜか負の感情なんてものに支配されることなんてなく、ゲラゲラと大声で笑いあいながら空中を飛び回っている。

『アセチルコリン濃度』を自分で制御することが出来ない人々が周りの高層ビルのガラスを突き破って竜巻の中へと飛び降りる。

地面まで急降下して落下直前で風に救われて空へと舞い上がる。

狂気によって覆い尽くされた空間が理由のない笑い声で満たされて黒と赤の血液によって穢された規則性が完全に崩壊し始める。

「──私たちはこうしてくれるだけでいいんだ。下水道もいつもこうして騒いでおれたらな。私も安心して歳を取れるのに──」

肩ほどまで伸ばした髪の老人がお辞儀をして、薄汚れたぬいぐるみを抱いた女の子がにっこりと笑い、またマンホールの下へと帰っていく。

地上では永遠を約束しようと誓い合った恋人同士がぐるぐると手を握り合って踊り回っている。

『蜂』は歩道橋の柵の上に立って鳥の歌声を真似しながら落下する。

『九条院大河』が役目を果たして地上へ落下してきた『蜂』を抱きとめて渋谷の路上におろすと、高層ビルに映し出されたウニカの姿を見つめるようにして顔を見上げる。

「今この瞬間に居合わせた奴らが全て俺の鴨になる。そうやってまた俺たちはのし上がる。決して規則性に飲み込まれることなく意識の乱流を自由自在に制御し続けるとしよう。さぁ、暴れ疲れた『カーニバル』達がワームホールを抜けてここから立ち去っていく。お別れの時間だぞ」

悪魔達は自らつくり出したワームホールの道筋から逸れることなく世界に干渉して仲間の一部を失ってしまいながらも、前進を続けて、進路を空へと向けて飛び始める。

カオスが計算値をかき乱しているけれど、『九条院大河』にとっては、刻々と変化し続ける不確定要素も予測不可能な結果にはなり得てしまうのか決して表情に焦りが産まれることはない。

──get up,stand up kids──が渋谷駅に拡がり続けるたびに、悪意を産む時計の購入画面のボタンが押されていく。

『蓮花院通子』は憑依された魂によって乗っ取られた視神経で空中に浮かび上がるように表示されたデジタル表記の銀行口座の残高を追いながら、百万ダウンロードを30分ほどで超え続けている奇跡の瞬間を金額に換算して冷静さを保ち続ける。

「これがあなたが私に伝えたかったメッセージね。きっとこれから先もう一度見ることを願うのは不可能な景色かもしれない。デジタルデータには一枚だけ記録しておくわ。物理法則が通用しない世界での出来事を私の一眼レフが捉えることが出来るかどうかは分からないけれど」

芹沢美沙は両手でカメラを持って渋谷駅東口をフレームの中にしまい込んでレンズの露光量を調整してシャッターボタンをゆっくり押し込む。

カシャリという音が聞こえるとデジタル一眼レフのモニターには悪魔達が苦痛で顔を歪めて血反吐をばら撒きながら肉片と変わり、空を飛ぶたくさんの人が笑っている奇妙な光景が収められる。

まるで非現実の王国がやってきてたくさんの人々に救いと諦めを与えると、たった256MBに変換されたRawデータに刺激されて彼女の記憶が少しだけ蘇る。

「俺の言葉に踊らされた人々はずっとこのように笑っていたんだ。お前が左眼を失うように仕向けて歪んだ結果のことを俺はこの狭間の世界で覗き続けている。忘れられない記憶は新しい記憶で塗り替えるんだな。俺がずっとそうしてきたように」

『サイトウマコト』の声が芹沢美沙のすぐ後ろで聞こえて来る。

逃れようとしても逃れることの出来ない現実があるのだとしても芹沢美沙はカメラのシャッターボタンをルーティンワークのように押し続けてデジタルデータに還元しようとするのを忘れることはない。

彼女はそれが世界と自分を繋ぐ信号のようなものだと自覚してもう一度シャッターボタンをカシャリと押し込んでみる。

今度はモニターには真っ暗な画面だけが映し出されている。

「これで私の役目は終わりですね」

『卯紡木下弦』が事切れて呼吸と鼓動を失って渋谷駅東口首都高速三号線ガード下を死に場所に選ぶ。

『カーニバル』が空へと浮かんで白い闇が大きく口を開いて人外のものどもを呑み込んでいく。

少しずつ妖魔達の姿が人の形に戻っていきながら彼らの住んでいる世界へと立ち返っていく。

『白鳳剛志』が回転運動を辞めるとゆっくりと風が落ち着いて空を飛び回っていた人や車やゴミや機械が元の形を求めるようにして渋谷駅東口へと降りて来る。

現実が呼び戻されて渋谷駅周辺の全電源が復活していくと同時に『カーニバル』が世界から姿を消してしまう。

警報装置の存在がD地区周辺に明示されると『E2-E4』は兵士達の傍から離れようと歩き始める。

「『アセチルコリン濃度』の操作によってD地区で信者数を増やそうとした『S.A.I.』はこのまま縮小化するはずだ。狂信者達はぐるぐると周り続けることをやめて一人ずつ我に返り日常へと回帰する。俺たちが引き上げたかった速度の限界は空が奪い去ることになるだろう。『夢見』は次の預言を既に書き出している」

渋谷駅周辺がいつも通りの街の音を取り戻すと、サウンドシステムやプロジェクターを積んだトラックは既に消えていて本当に一瞬だけ束の間の静寂が町中を包み込む。

踊り疲れた恋人同士がグタリとアスファルトに倒れ込む。

何もかもが元通りに戻ることはないけれど、食い殺された兵士達の赤い血と狩り殺された妖魔たちの黒い血はまるでカーペットのように地面に拡がっているのを『知野川琳』はしっかりと目に焼き付けながら空へと『陰陽魔道』の力を使って舞い戻る。

染みのように拡がった血液が点のように丸くなっていくと『知野川琳』はD地区から飛び抜けて新しい主人を探す旅に出る。

赤い涙を『知野川琳』が流すと空から落ちた血液がゆっくりと小さな点に還っていく。



21. EGS-zs8-1

赤い鼻のピエロの顔をした『飄恒ガロン』が不敵に笑いながら、扉の前に立ちしっかりと手を繋ぎあっている『八咫烏』と『壱ノ城有栖』の出会いを偶然ではなく必然として受け入れて『頴』の耳元で感謝の言葉を囁いている。

「私はもう十二分に生きた。『頴』よ。どうか出来ることならばいつまでもそのまま美しくあってくれ。それが本当に私の願いなんだ。ありがとう」

目の前に現れた終わりを知らせる二人の登場に潔く現実を受け入れようとする『飄恒ガロン』に対して停滞した時間の中で生きる恐ろしさを覆い隠しながら『頴』は永遠を告げようとする。

「寸分違わぬ思いを私は今も心に抱いております。決して傍から離れようとは思いませぬ。追い掛けてくる時間など焼き尽くしてくれましょう」

改築計画が遅々として進まないながらも最上階と十二階に優先的に用意された異空間は『都民の城』がやがて幸福の象徴として光を灯すことになり得るかもしれないと『飄恒ガロン』ンは簡単に受け入れてしまう。

戸惑いや迷いなど一切なく決意してしまう『飄恒ガロン』に対して敬意を払いながらも決して十二階の自室から脚を踏み出そうとしなかった有栖がとうとう自らの意志で外に飛び出ようと決めた相手の姿が自分と同じ有翼種であることがまるで歯車の動きが噛み合ったことを知らせに来た警報器のようだと『頴』は右眼から涙を流す。

「ねぇ、そこにある『雨の叢雲』はぼくらが頂いていくよ。君たちが『出雲』から持ち出したものであるのならばぼくらは君たちを処罰しなければならない。わかっているはずだよね」

『八咫烏』は胸元のバッヂをかざして『執務室』諜報局特別機関『八岐大蛇』であることを証明する。

同時に十三階にエレベーターが到着して『天狗』、『運慶』、『快慶』、『夜叉』、『阿修羅』が『飄恒ガロン』と『頴』が住み着いていた応接室に乗り込んでくる。

「ようやく辿り着いたぞ。観念しろ、お前たちが世界の規律を乱し法則を破壊しようとする限り俺たちは職務を遂行する。悪意も善意すらもない存在などに『雨の叢雲』など渡せる訳がない。俺たちは人間なんだぞ」

『天狗』は全身に痛みの記憶を抱えながらも振り解くように、しっかりとした口調と意識で、『八岐大蛇』が到来したことを『S.A.I.』のD地区特別顧問『飄恒ガロン』に対して執行命令の発効を告げるシールケースを彼らに対して明示する。

「ね、言った通りでしょ。三十センチずらしたお陰で『アセチルコリン濃度』の上昇から産まれる狂気の供給が間に合っていない。『雨の叢雲』にはまだ現在の円環座標が届いてないはずなんだ。だから彼らは無限の魔術供給が出来ないとわかり、降伏の意志を示そうとしている。意外とすんなりことは運びそうだね。外では、『迦楼羅』と『櫛名田』がふんばってくれてるはず。さあ、周囲を取り囲もう」

『八咫烏』の発案が功を奏したことを褒める様子もなく『天狗』は強がってみせながら、『運慶』と『快慶』に『飄恒ガロン』と『頴』の両脇から取り囲むように命じると、二人は自動拳銃の照準を合わせて、前方から『夜叉』と『八咫烏』が両腕で構えた拳銃を向けてゆっくりと『都民の城』最上階に潜む享楽だけを求め続けてきた二人を追い詰めていく。

「なるほど。お前たちがあっさりとまだ未完成とはいえこの城の警備システムを潜り抜けてきた理由に察しがついたわ。お前たち、さては執行対象者の集まりか。ならば、こちらが無下に降伏する必要などないわ。脚などただの飾りだということを思い知るが良い」

『飄恒ガロン』がarmaniのスーツジャケットの胸元のポケットからカードを取り出して投げ棄てると応接室奥を黒い光の球体が包み込んで、周囲を慎重に取り囲もうとしていた『八岐大蛇』たちから隔離する。

「私が『出雲』を追い出されたことを知っているものがおるとはナ。いいか、私たちに時間など存在しないのだ。『雨の叢雲』と私たちで時を改変し続けてやろう。過去と現在に違いなどない。お前が手にした必然ですら書き換えてくれるわ」

『頴』が『飄恒ガロン』の後ろで光る四角い物体に触れようとすると触手が伸びて『頴』がいつものように右手で認証して起動させようとすると、四角い物体の中央に口のようなものが開いて拒絶の意志を示す。

「ヤーだよー。お腹が空いているのにお前みたいなおばさんなんかとチューしてやるもんか」

あまり元気がなさそうなしゃがれた声で光る四角い物体が話す言葉に『頴』は呆気に取られて立ち往生する。

ふふふと『八咫烏』の隣で声を漏らす有栖が得意満面の笑顔で話し出す。

「あはは。敬ったか。私が大人しくこき使われたままで黙っていると思ったか。むらくもっちの調教はしっかり済ませてある。子機から一体何度電話をかけたと思っている。こいつさえこちらにあれば何も出来ないでしょ。ヤタくん、ご褒美のチューを」

『壱ノ城有栖』はポケットからおかしな形状の金属を取り出してにやりと笑う。

『頴』がはぁぁと目眩を起こして倒れそうになるところを『飄恒ガロン』が受け止める。

『八咫烏』が『壱ノ城有栖』に口づけをすると、おかしな形状の金属が『壱ノ城有栖』の左手をガキリと包み込んで『壱ノ城有栖』の左手が銀色に変わる。

「さすがはぼくの連れ出したお姫様だ。一瞬たりともぬかりがない。第七世代バイオコンピューター『雨の叢雲』。ぼくらが神の領域に踏み出し始めていることを実感させてくれるね。けど、魂の起動スイッチはこっちにあるみたいだ」

「そそ。天才の為に用意されたむらくもっちは私みたいな女の子の為にあるのだよ。君たちおじんとオバンには勿体ないシロモノ。ぐへへへ」

『壱ノ城有栖』は下品な笑いを漏らさないように口元に手を当てる。

目元を垂らしてすべての計算結果に問題がないということを確認している間に、『運慶』と『快慶』が黒い球体に弾丸を撃ちこんで中にいる『飄恒ガロン』と『頴』を威嚇する。

「さて、これで出口は塞いでやったぞ。カード召還型の『魔術回路』が生き残っているとはナ。赤鼻、お前さては違法契約者か。その顔は二度と元の顔に戻ることはあるまい」

『飄恒ガロン』は自分の顔を誇らしく思うように顎をさすり威嚇射撃をものともせず『天狗』から目を逸らさず黙っている。

叡智の宝物庫『出雲』から盗み出された『雨の叢雲』の強奪は『魔術対策基本法』の中でも重罰に当たることを理解しているはずだと強い口調で念を押しながら、おまえたちはこのまま地下の牢獄と添い遂げる必要性があるのだと最終勧告を『天狗』は二人に告げる。

「『神宮前五丁目計画』の基礎工事では大量の生贄を投入。同様の手法で推定、三万人の『魔術回路』持ちがお前達の改修及び新築計画の際にエーテルと血液を混入させ、渋谷区全域に渡り『魔術回路』増幅術式『地深く眠る古龍の嫉みと妬み』を発効させる。D地区と呼ばれる地域の六五五三七箇所に渡り龍の爪による傷痕を生成させ『アセチルコリン濃度』を操作された人間から『眠ったエーテル』を吸収し、『雨の叢雲』の養分としていた」

『八咫烏』は主犯であり、この計画の立案者と思われる『飄恒ガロン』の罪状を読み上げる。

「あ。そうそう。私の強制監禁罪も追加しておいてね。壱ノ城家は次女の不在をとても困っているはず。おそらく。きっと。たぶん」

『壱ノ城有栖』は改築工事中の半年間の諜報活動の元を取れるようにとこっそり『八咫烏』にお願いをする。

「どうだ。年貢の納め時だろう。我々のような逸れ者がこの部隊を任されている理由はお前たちのような『執務室』側の反抗勢力に対して執行を行えるようにとの判断だ。これ以上は『執務室』だけではなくチルドレ☆ンにとっても重大な規定違反、お前たちは黑を乗っ取るつもりでいるな」

『ガイア』級最深部に存在している惑星型船団の動力源である『EVE』は『ガイア』級の各船団を繋ぎとめている重要な機関になる。

『EVE』の乗っ取りは事実上、『ガイア』級に対し絶大な影響力を与えることになるはずだと『阿修羅』は『夜叉』に持ち前の知識を披露する。

「えぇーい。何もかも疎ましい。このまま我侭娘の思い通りになるほど妾も愚かにはなれんわ。斯くなる上は次元飛行船まで避難するしかない。『飄恒ガロン』殿、『叡』の我儘をお許し下さい」

『翁』による『いにしえ』で特殊な魔術コーディングをされた銃弾を『運慶』と『快慶』が撃ち込んでいくと、『飄恒ガロン』のカード召喚型魔術によるバリア装置は少しずつひびが入り始めていく。

黒い光の球体の内側で『頴』は応接室の壁際に並べられた本棚の奥に隠された赤いボタンを押して非常用エレベーターを出現させる。

「『頴』。これ以上は私の『延命措置』も破壊されかねん。『雨の叢雲』の回収はお前の翼が蘇り、『夢見』と出会うことさえ出来ればなんとかなるのであろう。お前のいう通りまずは地下壕へ急ぐとしよう」

『飄恒ガロン』と『頴』は魔術バリア『延命措置』がパリンと四方から打ち込まれる銃弾によって破壊される寸前で突如本棚の向こう側に出現した非常用エレベーターに乗り込み応接室を脱出する。

「ここまで来て逃げる算段があるってことはぼくの読みが正しかったかな。『櫛名田』くん、『迦楼羅』、地下の奇妙な反応っていうのはまだ続いているよね、何か変化はある?」

『八咫烏』は予想通り地下へと逃げていく二人を追いかけるようにと外で待機している『迦楼羅』と『櫛名田』と連携をとる。

『天狗』がエレベーターのボタンを押して上層階に呼び戻そうとして何の反応も起きないので鋼鉄製の扉を蹴り飛ばしていると、『迦楼羅』との通信が繋がり現在の状況の報告をする。

「はい、続いているどころか『都民の城』およそ百キロメートルほど地下でポゾン反応が頻繁に起きています。おそらく上層階から脱出した非常用ポットのようなものが高速で地下空間に向かって移動していますね。『八咫烏』の読み通り、何か眠っているってことでしょうか」

『運慶』と『快慶』が自動拳銃の弾丸でエレベーターの扉を破壊している間に、『壱ノ城有栖』は『雨の叢雲』まで駆け寄って銀色の形状記憶合金に左手を翳して──おはよー──と挨拶をすると、四角い光る物体の触手が物理キーボードを出現させる。

『壱ノ城有栖』はキーボードで特殊なコードを打ち込んで『雨の叢雲』にアクセスする。『八咫烏』が『壱ノ城有栖』にデータを手渡して三十センチだけずらした傷痕の生成位置を『雨の叢雲』に送信する。

「うわ。このデータにちゃんと反応するよ、この子。ずっとハッキングかけてもうんともすんとも言わなかったくせに。餌をくれる主人に忠実ってすごい単純。君と直接お話するのは初めてだけれど、形状記憶合金ってことはリュックサックにも変形可能かな?」

「そのぐらいはお安い御用だ。その前に今日からはお前は俺のご主人様な」

さっきとはうって変わって元気を取り戻したしゃがれた声が養分を与えられてまるで命を取り戻すように起動する。

第七世代バイオコンピューター『雨の叢雲』は触手を伸ばして『壱ノ城有栖』を包み込みマスター権限を与えようとする。

「これで、『地深く眠る古龍の嫉みと妬み』と『雨の叢雲』両方を奪取出来たことになるな。『執務室』側のリクエストは完全に完璧に完了した訳だが『八咫烏』よ、やはり地下が気になるのか」

『八咫烏』は『運慶』と『快慶』が強引にこじ開けた扉の向こうの開口したエレベーターホールの入り口から地下を覗き込んで深さを確かめようとしている。

どんなに目を凝らしてみても深さが計り知れないことからこの非常用エレベータホールにはどうやらタワービルのデータサーバに書き込まれていた『都民の城』内部構造設計図にすらない領域まで続いているらしいと『八咫烏』は推測する。

「気になるっていうより、俺たちこのままじゃただ働きっすね。何故ならぼくたちは執行対象者。それにちゃんと彼らを野放しにして処罰しないなんて田辺室長が黙ってないでしょ。『キノクニヤ』側の仕事ではなく、明らかにデータ管理課からの直接の執行依頼ですからね」

『壱ノ城有栖』が近づいてきて『八咫烏』と手を繋ぐと、変形して背中に背負った『雨の叢雲』を自慢げに見せつけながら真顔で質問をする。

「君だけなら空を飛べるんでしょ。どうする? 地下まで一人で飛んでいく?それともみんなで一緒にダイブする?」

『壱ノ城有栖』の質問に『八咫烏』は後ろを振り向いて13階に集まった八岐大蛇の面々の顔を確認して頷く。

「やっぱりこれは運命ってことかな。君の背中のマシンは奇跡を起こせる。五人とも空を飛べるようにしてくれるのかな」

あははととても可愛らしく微笑んで『壱ノ城有栖』はもちろんと大きく頷いてみせる。

「私を迎えに来るのは君だって知っていたからねっ! 第七世代バイオコンピューター『雨の叢雲』の実力をなめてもらっちゃ困るよ! 調教しながら彼の取説もばっちり習得済み! 一緒に空を飛ぼう!」

『壱ノ城有栖』は彼女の前方に触手が運んできたキーボードでタイピングをすると、ウネウネとうねった黄色い触手が変形して機械の腕へと変わり、『天狗』、『夜叉』、『阿修羅』、『運慶』、『快慶』の首根っこを乱暴に掴み取る。

「あはは。けっこう強引なマシンのようだけど何とかなりそうだ。とにかく準備はオーケーだね。じゃあ最短距離でこの開口部へ飛び込もう、新しい世界の入り口はきっとすぐそこだ」

『八咫烏』は開口部へ合図と共に飛び込むと『壱ノ城有栖』も続いて五人を機械の腕で引っ張りながら地下へと続く暗闇に向かって身体を放り投げる。

『八咫烏』には透明な三本目の脚が生えて黒い翼が背中から飛び出すと滑空スピードが抑えられる。

『壱ノ城有栖』は無重力状態でキーボードをタイピングしながら『雨の叢雲』が作り出した酸素爆発を利用したロケット噴射でスピードを弱め機械の腕をコントロールしながら五人が飛んでいかないようにしっかりと掴んだまま果てしなく暗闇の向こう側へと落ちていく。

落下スピードが上がっていき、エレベーターホールの狭い開口部を抜けていくと徐々に空間が大きくなっていく。

「空を飛ぶってすごい! ヒューってなるね! これだけ広いなら何とかなりそう!」

「同じ気持ちを味わえてよかった。翼を持って空をきちんと飛べるのはぼくたち有翼種だけだから」

「私なら近くにいられるね! きっとさ、こうやってお喋りする為に出会えたんじゃないかな!」

「あはは。そうなのかもしれないね。さぁ、光が見えてきた。ぼくにしっかり掴まって!」

獣人化の末、翼を手に入れた有翼人たちの翼は人間の自重を支えきれず高高度の飛行は出来ないけれど、有翼種と呼ばれるチルドレ☆ンの落とし物は物理法則なんて無視してしまうらしい。

開口部が広くなり繊細なコントロールが必要なくなった『壱ノ城有栖』は『八咫烏』にしがみつき機械の腕を『雨の叢雲』の自動運転に任せて『八咫烏』から離れないように身体をびったりとくっつける。

ロケット噴射は弱めにしてちょっとだけ私の重みを背負ってねとどんどん大きくなる光に向かって二人で一緒に七人で揃って地下の奥深くまで空を飛びながら堕ちていく感覚を目をつぶって『壱ノ城有栖』は堪能する。

「おい! 地面が見え始めたぞ! スピードを緩めろ! 激突するぞ!」

機械の腕にぶら下がった『天狗』が上空から大きな声で怒鳴り声をあげて『壱ノ城有栖』の目を覚まさせる。

『壱ノ城有栖』は急いでタイピングをしてロケットの噴射を大きく点火させると『八咫烏』がばさりばさりと黒い翼を羽ばたかせるのとシンクロさせるようにして落下速度が遅くなりそのままふわりと地面に着地する。

機械の腕に連れてこられた『天狗』たち一行も『壱ノ城有栖』のコントロールで無事地下空間に到着する。

「全員無事到着したな。あんな思いは二度とごめんだ。ものすごい距離を落下してきたし、相当奥深くまで来た印象だ。渋谷の地底になぜこんな場所があるんだ。それにしても熱い。マグマでも近くにあるのか」

着地した地面は金属で出来た床で開口部から更にレールのようなものが伸びていて四角いトンネルの向こう側へと続いている。

七人は汗をびっしょりとかきながら、トンネルの向こう側へと続く道を辿り奥へと進んでいく。

『壱ノ城有栖』はこっそり『八咫烏』の軍服にしがみついて離れようとしない。

『夜叉』がにやけヅラで新しい悪戯を考えて『阿修羅』はけしからんという顔をしながら年齢不詳で童顔の『壱ノ城有栖』をみて顔を紅潮させている。

「ここを私は見つけようとしてたの。むらくもっちに何回聴いても教えてくれなくて。あのさ、もし時間を巻き戻せるならいつに戻ってみたい?」

『壱ノ城有栖』の不思議な質問に迷うことなく『八咫烏』はすぐに応答する。

「今で十分。時計の針の周る回数なんて覚えていられない。明日のことより昨日のことが気になるなんてあるわけがないよ」

うふふと『壱ノ城有栖』は小さく笑って恥ずかしそうに下を向く。

ぎゅっとまた力を込めて『八咫烏』の軍服の裾を掴んで少しだけ早足になる。

少しだけ暗闇が訪れて開口部から続いていたレールを辿ってトンネルを抜けると、目の前に巨大な飛空挺が姿を現し始める。

「あーやっぱりデスカー。叩けば出ますねーヤバすぎ。『天狗』、あれぶんどりましょうよ、ぼくらの船です、あれ」

『八咫烏』は巨大な地底空間に拡がる格納庫で発見した飛空挺の様子に興奮して『天狗』に強奪作戦を提案する。

『運慶』、『快慶』は頷いて周囲を確認しながら自動拳銃を構えて探索を始める。

トンネルから続いていたレールは搭載された飛空挺の中央付近で止まっていて、おそらく『頴』と『飄恒ガロン』の乗った非常用ポットはそのまま内部に搭載されたのだろうと『天狗』は推測する。

左側からぐるりと飛空挺を回り込み、船首部分に到達するとマストには上部に向かってそびえるヒト形の彫刻のようなものが備え付けられている。

両目が潰されているようだけれど、まるで悪夢に出てくる呪いと怨念を背負い切った悪魔の姿が具現化されたように飛空挺のマスト部分のヒト型が上部に向かって固定されている。

「ばかな。冷凍保存ではなく魔術によって永遠を与えられている。あれは死んでいるのではなく生きているぞ。予言者。『サイトウマコト』。本当にとんでもないものを俺たちは見つけ出したな。『オーバードーズ』の連中は何を未来で見てきたんだ。この船は過去と未来を行き来出来るはずだ」

青い機体の船首に取り付けられた灰色のヒト型のマストを確認して『天狗』は生きたまま即身仏として封じ込められている見覚えのある顔が新興宗教団体、『S.A.I.』の教祖として崇められている『サイトウマコト』であることを『八岐大蛇』のメンバーに伝えると、愕然としまるで今まで脳髄に刻まれた痛みの全てがもう一度蘇って彼を覆い尽くすような感覚に襲われて立ち尽くす。

身動きが取れず冷や汗が止まらない。死んだはずの男が禁止された魔術の力によって蘇生され時間の存在を否定しようとしている。

「もう十八年も前の歴史改変事件の首謀者がこんなところでこんな船に取り付けられてるって『S.A.I.』の連中もいよいよぶっ飛んでますね。予言と呼ばれる時間軸の歪曲を実現した最悪と災厄の人。彼がいるならば次元飛行船とやらも本物か。ならばまずは内部に侵入して尚更この船を奪い取らないと」

『夜叉』がヘラヘラと笑いながらお手製の爆薬を使い、船底を破壊しましょうかという提案をして『阿修羅』に即座に取り押さえられる。

「その程度で何とかなる装甲ではなさそうだな。何重にも得体の知れないエーテルの匂いがする」

「まったく俺たちのような人間に見つかったのが運の尽きってところでしょうか。『雨の叢雲』がこちらにあるのならば向こうだってすんなり受け入れるのかな」

『八咫烏』は地下深くのマグマ溜まりが近く異常な熱気に包まれているというのに奇妙な違和感を感じて寒気すら感じようとしている『壱ノ城有栖』に話しかける。

「たぶん、彼のいう通りそのまま発進は出来ないと思う。むらくもっちが搭載されない限りはただの大きな鉄の塊みたいなものだからね。そろそろ向こうも私たちがここまで辿り着いたことに気付く頃合いじゃないかな」

『壱ノ城有栖』が背中に背負った『雨の叢雲』から奇妙な電子音を発信して自分たちの存在を飛空挺内部にいるはずの『飄恒ガロン』と『頴』に伝えようとする。

「君のいう通りみたいだ。ほら、中央の搭載ハッチがぼくらを歓迎しようとしている。鬼が出るか蛇が出るかわからないけれど、まさに乗り掛かった船だ、敵の誘いにまんまと乗ってみることにしよう。それと一応外部と連絡は取れるようにしておいた方がいいかもしれない。ぼくらの無線と通信回線の類は軒並みダウンしてしまっている」

『運慶』と会計が警戒を強め、他のメンバーを先導して搭載ハッチに向かって歩き出す。

不気味なほど静まりかえった格納庫はおそらくかなり地底深くまで到達しているらしく『ガイア』級中心部のエネルギー機関の『EVE』周縁部を満たしているマグマオーシャンの熱でかなりの高温であることが彼らのかく汗の量から窺える。

少しでも気を抜けば熱波で倒れてしまいそうだ。

「よし、向こうは何か攻撃的な手段に出てくるわけではないね。けれどこのまま気を抜かず内部に侵入しよう。『都民の城』内部にいる『S.A.I.』の連中はあらかた片付けたはずだし、彼らの味方は残っていないはずだけれど油断はするなよ」

ナビゲーターとドライバー役の『運慶』、『快慶』が先導し、続いて『八咫烏』と『壱ノ城有栖』が、『天狗』が彼らに続いて、『阿修羅』と『夜叉』が後方の守りを担当しながら搭載ハッチから飛空挺内部に侵入する。

「『S.A.I.』だけじゃなくやはり『ガイガニック社』が大きく関わっているな、この船は。次元飛行船か。次元断層を飛び越える技術が導入されているのだとしたら一筋縄ではいかないな。異次元の力でこれだけ内部が未知の技術導入されている船ならばひょっとするとひょっとするな。『八咫烏』、お前の読み通り、これは俺たちが手に入れるべき船だな」

カンカンと『八咫烏』が壁を叩くと、鉄などの金属とは違う材質で出来ているようでオーバーテクノロジーが多次元宇宙から持ち込まれていることを実感させる。

内部は隔離防壁によって行き先が限定されている為かほぼ一本道になっており、二十メートルほど歩き続けると、認証式の扉に辿り着く。

「私の出番だね。セキュリティロックはたぶんむらくもっちがどうにかしてくれるはず。外観から構造を察するにここが操縦室になっていると思う」

『壱ノ城有栖』がキーボードをタイピングして『雨の叢雲』の触手で操縦室の扉のセキュリティロックを解除する。

ゆっくりと扉が解錠されると、宇宙船のような操縦室に侵入すると、中央には大きなモニターがあり、目の前に『飄恒ガロン』と『頴』が覚悟を決めたように立ち尽くしている。

「こんなところまで全員揃ってくるとはナ。追い詰められたというべきか。我々が八年の歳月を経て完成させた次元飛行船『センスオブシン』がまさかお前たちのような執行対象者に奪われる羽目になるとは。」

『飄恒ガロン』がまるでこの時が来るのを予めわかっていたようにあっさりと負けを認めて無益な争いを避けようとする。

『頴』が『飄恒ガロン』の眼を見つめて何か二人だけにしかわからない言葉と方法で会話すると、彼女の目の前でまっすぐ天井に向かって伸びている銀色のポールを掴みとる。

『運慶』と『快慶』が銃口を向けて『天狗』の合図で『頴』の不自然な動きを制限しようと拳銃の引き金を引いた瞬間に『飄恒ガロン』が『頴』の前に立ち塞がり、同時に放たれた弾丸が『頴』との魔術契約によって死によって契約が破棄されるまで剥がされることのないピエロの顔の『飄恒ガロン』の心臓を撃ち抜いてしまう。

『飄恒ガロン』の心臓がある左の胸から血液が吹き出すと、『頴』は思わず銀色のポールから手を離して右手で『飄恒ガロン』の左胸の傷口を抑えて口づけによって『飄恒ガロン』の呼吸を停止させようとする。

『飄恒ガロン』の体内に残留していた『禍根のエーテル』が『頴』の体内に流れ込み始めて、徐々に『飄恒ガロン』の顔から血の気が失われていく。

「お姉ちゃんはいつもそうやって男の人から精気を搾り取ろうとするね。犠牲になる人がまるでお姉ちゃんの身体の中でずっと生き続けているのを受け入れようとしているみたい。どうしてそんなに強くなろうとするのかな」

『飄恒ガロン』からすっかりエーテルを搾り尽くしてしまう様子を見ていた『壱ノ城有栖』が『頴』に向かって質問を投げかける。

常人として生きていたはずなのに契約による表象の変化によって眠っていた『飄恒ガロン』のエーテルを呼び起こしたにも関わらず結局はゆっくりと水道の蛇口を閉めるように吸い取ってしまった壱ノ城『頴』は『飄恒ガロン』から唇を離しておぼろ染めの桜柄の着物の裾で口を拭い立ち上がる。

「お前にはまだわからない答えだというべきか。有栖、その手で握っている手を離さなくては行けない時に私のやってきたことが伝われば十分だ。『飄恒ガロン』様、いずれまた会うこともありましょう。それまで静かにお眠りくださいませ」

銀色のポールを握りしめた『頴』は、銀色のポールについた非常用脱出ボタンを押してそのまま操縦室の天井に向かって上昇する床の上に立ち、飛空挺の上部に消えようとする。

『天狗』たちは呆気に取られて彼女を攻撃する意志を失いそのまま見送ってしまう。

「『雨の叢雲』は司令席と融合させてみろ。ゆめゆめ辿ってきた道乗りが決して間違いだったとは思わないことだ。あっという間に時間の渦に巻き込まれて二度とは現世には帰って来れなくなるだろう。過去を覗き見るとはそういうことだ」

『頴』は不可思議な言葉を残して操縦室から姿を消してしまう。

『壱ノ城有栖』は『頴』に言われた通りに司令席に座ると、『雨の叢雲』は前方の小さな球体とリンクするように光り出し、『センスオブシン』の起動コンピュータにアクセスする。

リンクが完了した『雨の叢雲』はグニャリグニャリと触手を動かしながら司令席に座った『壱ノ城有栖』の頭部を包み込んでしまうと、『壱ノ城有栖』はまるで機械と同化するようにして意識を失い機械的な口調で指令を下す。

「次元飛行船『センスオブシン』起動します。相転移エンジン充電五パーセント。各員は速やかに発進準備に備えてください」

八岐大蛇はまるでその船が昔から自分たちが乗り込むべき船だと知っていたように『運慶』と『快慶』が操縦席へ、『夜叉』と『阿修羅』が砲撃席へ、『天狗』は副艦長席へ、『八咫烏』が時刻管理席へと座離、それぞれ目の前の操作パネルに触れて発進準備を整え始める。

「『壱ノ城有栖』、いや艦長、このまま発進準備を開始する。四百秒後に、相転移エンジンの充填率が六十パーセントを超えたら、『運慶』、『快慶』は、行き先を『出雲』に設定しろ。『八咫烏』、『雨の叢雲』がいつ『出雲』から消え去ってしまったかはわかっているな」

『運慶』と『快慶』が前方のナビゲーションシステムを確認して行き先を設定する。

『八咫烏』はタイムトンネルの発生時刻を今からちょうど八年前の二〇一三年五月二十二日設定する。

八岐大蛇は彼らがこの船で最初に向かうべき行き先と時刻を知り得ていたように設定して発進準備を整える。

「相転移エンジンの充填率が四十五パーセントに到達しました」

『快慶』がモニター上の数値を確認して艦長に報告する。

「前方のモニターの電源が入ります。外部環境を視認可能です」

『運慶』の合図で操縦室前方の巨大モニターに電源が入り、『センスオブシン』前方の景色を映し出す。

「マスト部分に人影を発見。あれは壱ノ城穎だな。どうする?」

『雨の叢雲』が『壱ノ城有栖』の脳内とアクセスしながらコミュニケーションを取り、最適解を算出する。

『快慶』は『センスオブシン』マスト部分に立っている『頴』の姿をズームアップする。

「彼女はあそこから退こうとする気はないみたいだね。なら、艦長、このまま強制発進の許可を。ここで相転移エンジンの充填を止めるわけにはいかないんだ」

『運慶』が相転移エンジンの充填率が六十パーセントを越えていることを確認して司令席に座っている『壱ノ城有栖』にコンタクトをとると、『壱ノ城有栖』はこくりと頷いて発進合図を思考制御型起動装置『雨の叢雲』に送る。

格納庫内に警報が鳴り響き、『センスオブシン』前方の隔壁がゆっくりと開き始める。

前方には飛空挺用の発射レールが引かれているけれど、周囲はマグマ溜まりに囲まれてここが地底世界であることを八岐大蛇に改めて確認する。

「やはり我々は地底マグマオーシャン付近まで潜ってきていたのか。『執務室』が『サイトウマコト』の行方不明だった遺体を発見できずに私たちに依頼をしていたはずだ。『頴』はこのまま自殺でもするつもりか。彼女に構っている余裕はない。予定通りこのまま出撃を開始する。地上と連絡を取れるか?」

『夜叉』が『迦楼羅』と通信を取り、地上に残っていたメンバーを回収するために暗号回線を繋ぐ。

「『迦楼羅』、聞こえているか。百八十秒後に国道二四六号沿いをフルアクセルで逆走してくれ。『センスオブシン』を一瞬だけ実体化してお前達を回収後、タイムワープを開始する予定だ」

地上の黒いワンボックスワゴンの後部座席に『百田光浩』を回収して運び込んでいた『迦楼羅』と『櫛名田』が通信を確認すると、ワンボックスワゴンの運転席と助手席に座ってエンジンスイッチを入れる。

「了解、事前にハッキングしておいたお陰でこちらのPCからでも遠隔起動することが出来たので『改造医療実験体』試験番号零弐弐『百田光浩』を回収しておきました。こちらの準備は問題ありませんよ、車両事故覚悟で突っ込ませていただきます」

「ものすごい大きなポゾン反応をキャッチしたと思ったらそういうことなんだね。私たちの船が戻ってくる。やっと私たちがまともな職にありつけるってことかな。通信席は『夜叉』が代わりに座ってくれているのか。私の出番を奪い取られては困るし、必ず作戦を成功させるよ。それと『地深く眠る古龍の嫉みと妬み』が傷痕の復元を続々と停止して『アセチルコリン濃度』を下降させている。大量の餌を摂取してご主人様を見つけたから『雨の叢雲』に生贄達のエーテルが奪われる必要はもうなくなると思う。術式が解除されるはずだよ」

『都民の城』外部では眩い光が渋谷区全域で確認され『都民の城』地底部から霧散していく。

奪われていた名も知らない魔術師の魂が元いた場所に還ることを選んで龍の嘆きがD地区全域に響き渡る。

変形した『雨の叢雲』は『壱ノ城有栖』の頭部を包み込んで一体化していくと『壱ノ城有栖』の身体を光り輝かせて彼女の意識とのシンクロ率を高めながら世界を救いたいと願った少女の純粋な気持ちを栄養分に変えて、相転移エンジンの充填率を加速度的に増加させていく。

地下格納庫の『センスオブシン』前方の巨大な隔壁が完全に開ききると、相転移園児の充填が九十パーセントに達して、『センスオブシン』は発進準備を整える。

「起動準備完了。『センスオブシン』発進!」

『壱ノ城有栖』の合図でゆっくりと動き出す飛空挺の前方のマストでは『頴』がやはり立ち尽くしマグマで燃え盛る発進経路の様子を眺めている。

動き出す『センスオブシン』と同時に『頴』もゆっくりと歩きだしマストの最端部まで到達すると『頴』はゆっくりとこちらを振り向いて『壱ノ城有栖』と一瞬だけ目を合わせるとそのまま後ろに倒れ込んでマグマオーシャンへと消え去っていく。

「お姉ちゃんはやっぱり永遠を選ぶんだね。もし心の中に残留した繋がりがいつか自分を焼け焦がしてしまうんじゃないかって考えたら私には選べない道だ。本当に強い人だね」

『壱ノ城有栖』の意識が『センスオブシン』と融合した起動コンピュータの内部で再生されている。

格子上に張り巡らされた信号が光を移動させながら飛空挺の各所に指令を送り続けている。

自分と同じ形のエネルギーを『雨の叢雲』が感知してより一層光を強め出すと、マグマの海に沈んで姿を消してしまったはずの『頴』が燃え盛る火炎をまとった不死鳥としてマグマ溜まりから姿を現して操縦室の面々にとても強烈で印象的な鳴き声で『センスオブシン』の乗組員たちを威嚇すると、そのまま地底から地上へ向かって飛び立っていき、地中をすり抜けてどこかで飛び去ってしまう。

「有翼種のうちでも最上級に位置する鳳凰。火の中で生き、時間のない世界を享受する彼女は一体どんな夢を見るんだろう。空を飛ぶってことが他の誰かと共有出来ない悩みならば、きっと永遠の中に留まり続ける彼女の思いもまたぼくには理解できないのかもしれない。田辺室長が彼女をコピーして多重人格の悪意を封じ込めようとした理由も肯ける」

『八咫烏』が設定した時刻に誤りがないことをもう一度確認して目に焼き付いた鳳凰の姿と自分に与えられた三本目の脚と黒い翼がもたらした役割を比べながら、『壱ノ城有栖』の方にふっと顔を向ける。

『壱ノ城有栖』は『雨の叢雲』の触手に包まれて頭部を融合させてぼんやりと光りながら『センスオブシン』との連携を強めている。センスオブシンは九十度旋回すると、国道二四六号線直下の地下空間へと移動する。

「相転移エンジンの充填率百パーセント。次元位相転移状態への移行を開始しろ」

『天狗』が指令を下すと、代理で通信席に入った『夜叉』が手元の機器と接続するためにコードを打ち込み始める。

「X軸をポゾンエネルギー、Y軸をグラビティ、Z軸をスピントロニクスに設定。『センスオブシン』の実態を位相転移し、実在性を不確定へ移行」

『夜叉』の入力したコマンドを元に各員が機器を操作し始めて、艦内が1/F揺らぎの空間へと転送準備されていく。

「了解。『センスオブシン』及び艦内の非実在性を確認。一番から十二番の隔壁を完全閉鎖。実態へ干渉濃度の可能性をあげる元素の侵入を隔離。浮上準備開始します」

『快慶』のナビゲーションに従って『センスオブシン』は高次元体へと変化して四次元時空からの認識が未確認な状態へと移行していく。

「『センスオブシン』の高次元化を確認。急速浮上開始」

目を瞑り頭部の『雨の叢雲』の触手と思考が完全に一体化した『壱ノ城有栖』が『センスオブシン』に浮上命令を下す。

「浮上開始。35°39,48・6N 139°42,39・4”Eにて再び実体化し、『迦楼羅』と『櫛名田』を回収後、亜高速飛行へ移行。準備を急げ」

高次元化して実態のない存在へと変化した『センスオブシン』は地底格納庫の天井部をすり抜けて浮上を開始する。

地中を実態のない状態で通過する『センスオブシン』は地中で蠢いている蟲や得体のしれない機械仕掛けを透明な実在性のない状態としてすり抜けて急速に二四六号線沿いへと浮上していく。

地下三十m付近に到達すると地下鉄半蔵門線の線路内部に到達し、ちょうど夕方のラッシュの電車と『センスオブシン』が、交差して仕事帰りのサラリーマンやアルバイトの女の子、女子高生は老人達でごった返す紫色のラインが印象的な半蔵門線電車内部を誰も認識できない状態の巨大な飛空挺が通り過ぎていく。

「すごいですね。真横をスーツを着たサラリーマンが通り抜けていくのに誰も気づくことがない。きっと勘の鋭い人であれば、高次元体が体内をすり抜けていく時に、何らかの違和感を感じるはずなんですけどね」

『阿修羅』の知識に耳を傾けながら、艦内の八岐大蛇の乗組員達は中を見回して地中へと急速浮上する高次元転移を完了した『センスオブシン』のオーバーテクノロジーを十二分に実感する。

「そろそろ地上へ出ます。『迦楼羅』さん、フルアクセルで二四六号沿いを逆走お願いします。35°39,48・6N 139°42,39・4”E付近で搭載ハッチが開きますので、そのままワゴンごと突っ込んでください。回収後、即亜高速飛行からタイムワープへ突入開始します。」

非実体化した通信がポゾン反応へと切り替わり、『櫛名田』がモールス信号のような形で『センスオブシン』からの通信を傍受する。

研ぎ澄まされた聴覚によって非常に微細な電気信号をキャッチして即座に受信した信号の意味を解析して『迦楼羅』に伝える。

「『迦楼羅』君、構わず二四六号を青山方面に向かってフルアクセルで突っ込んで。表参道交差点前で地底のメンバー達と合流するわ」

『迦楼羅』は頷くより早くアクセルを踏み込んで正面から走ってくる乗用車をギリギリのハンドル捌きで交わしながら二四六号を爆走する。

ゆっくりと非実在化した『センスオブシン』も彼らが表参道交差点前で合流するのに合わせて地底から通常の人間の認識の一つだけずれた時空を通り抜けて浮上してくる。

「搭載ハッチを開け。おそらくギリギリのタイミングになるぞ。『櫛名田』に遅れをとるなと言っておけ」

『天狗』の合図に『快慶』がオペレートして『センスオブシン』が突然国道二四六号線沿いに海原をかける海賊船のようにザプリと次元の波を荒立てて姿を現す。

「『センスオブシン』の高次元化を解除。実体化してワゴンを回収後、亜高速飛行への転移準備開始。」

決まりきった動作を何だか何年もこの船に乗っているような手つきで八岐大蛇の乗組員達は次々に操作を開始していく。

信号が青に切り替わった表参道交差点から四トントラックがスピードを緩めず『センスオブシン』の前方に現れるととても大きなクラクションを鳴らして衝突を回避しようとする。

後方からワゴンが『センスオブシン』に走り寄ってきて開ききった搭載ハッチに向かって全速力で突入する。

「『迦楼羅』、『櫛名田』、及び試験体番号零弐弐『百田光浩』の回収を確認。相転移エンジンをフル稼働問題ありません」

触手のついた頭部で自らの脳と『雨の叢雲』リンクさせた『壱ノ城有栖』が目を見開いて時間跳躍飛行の合図をする。

「了解。『センスオブシン』亜高速飛行へ突入開始。タイムドライブへ移行。センスオブシシシステムを起動します」

『壱ノ城有栖』の号令によって『センスオブシン』の艦内がフル稼働して慌ただしい光を帯びてあっという間に光速に達するとそのまま亜高速から過去の時間軸へと跳躍する高次元飛行へと突入し、クラクションを鳴らしたままブレーキの間に合わない四トントラックと衝突する直前で青い機体の選手に灰色へコーティングされた罪の象徴、『サイトウマコト』がマストに掲げられて上空へと飛び去っていく。

「今夜はまるで異世界に突入したことを私たちにチルドレ☆ンたちが教えてくれているみたいなお月様。みたこともない大きな船が空を飛んでいて、『ムーン』がとても嬉しそうな顔を浮かべているわ」

渋谷のとあるビルで夜空を眺めている芹沢美沙がまたちょっとだけ昔のことを思い出して少しだけ笑顔を浮かべている。

彼女の聞こえない眼が切り取った世界が過去と現在と未来を縫合させながら捻じ曲げられて異空間へ飛び去ってしまう嘘を許さないように捕まえようとしている。

デジタルカメラのモニターの画像データに映り込んでいた『Lunaheim.co』.というピンク色の筆記体でブランドネームの書かれた黒いパーカーの透明人間が記憶を呼び起こして時空の狭間から追いかけてくる霊素の所在を明らかにする。

傷口にあったのはどうやら夢の始まる夜のことだったと芹沢美沙は眠りから目覚めるようにして思い出す。

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