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秋刀魚食う少しばかりの嘘を言い

そういえば、私は誰かなのかという思いを胸に誰がどのように自分であるのかを主張するのかは勝手なのだと思うけれど、他人にあれこれと自分である理由を説明する理屈はちょっと意味がわからない。

理解という手順になぜ相手に手間をかけさせるのかは理解できないけれど、暗号とは通信装置の一種であるのだからどうにもならないし、いつまでも同じ理屈で行動したいのは自分だけであるという点ですでに誤解は自らの罪である。

相手がどう思うのかを分からないで過ごしていることは確かに記憶の領域において答えの出ない問題ではあるけれど、事実はもっと単純でまずはとにかく自分であることを相手にわかりやすく伝えるという手段が必要になるだけだ。

どうにもならないことではあるけれど、此処まで到達してきたことをいずれ迎えるであろう死や生活の手順の中に挟み込んでいるうちに君のことを思い出すだけで愛おしいという究極の現実が待っている。

まあ、大概は逃避を行うことで距離感を設定するための手順を探してみるしかないのだけど、追いかけられることだけを本心にして仕舞えば、結局のところ叶えられる夢はほんの少しでしかない。

私の形を辿ってくださいと声を大にしていうことが必要なのだとは思っているけれど、連絡方法はすでに電子的手段に頼るしかなく物理的実態は消失している。

毎日がうんざりするほど続いているせいか明日のことばかりを確かに気にしているけれど、問題は複雑な電子回路の発行手順であり、君との記憶共有が微かに妨害されている可能性について吐き気を催すかもしれないという事実であった。

私は詩を確かに紡いでいるが難しい言語を創生したいわけではなくて、単純に欲求を誤解されない決意が必要なのだと考えているに過ぎない。

私は他者との連結における意識の共有可能性を持ってしてテキストを合成しているわけだし、端的にいえば、色と記号には意味があり、配置する手順によって方法論を置き換えることが可能だと話している。

であるのならば、追いかけられるという理由をまずは微塵も拒否するべきではないのだけれど、一体何が憂さ晴らしにつながるのかわからないと考えていたせいかやさしさであなたのことを思い出す未成熟な自分を私と重ねてしまうことが多い。

笑い話でしかないけれど、掃き溜めには愛に似た物理的実態の模写が行われていて、事実を誤認しないように私は幾重にも重ねられた現実の構成原理を理解するために絵を描いている。

だけれど、内心では月の形ばかりを気にしているという嘘を誤魔化すことが出来ないので、音楽に委ねて倫理観のみを否定する遊戯に興じている生き物だというわけだ。

嫌気がさす行為ではあるけれど、きっと思考における認識論ばかりにこだわっていることがそもそもは物理的実態における本質的な快楽欲求の成就に他ならないと考えるべきなのかもしれない。

最後に言いたいのは私ではなく私の分身がきっと世界を汚しているのだ。

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