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12. Black Milk

「彼女はしばらくお休みだよ。その間、君の作った学園内のサーバーにアクセスするデータベースの管理はぼくが担当しよう。機密情報のアクセスレベルもレベル2まで解除した。当面の君のタスクは、横尾深愛、西野ひかり、巡音悠宇魔の行動に気をつけることだね」

『Johnny's』から歩いて帰りクタクタのままベッドに倒れ込み、立ち上げた小煩いアプリののたまう現実に嫌気がさしながらも、来週から始まるテストのことで頭の中をいっぱいにさせられる。

忙しすぎていろんなことが同時に起きてしまって手につかなかったテスト勉強をどこから始めるべきなのかを頭の中の回路に組み込みながら、いっそのこと、この小煩いアプリがすべてをやればいいのにとすら考えてしまう。

バージョンアップされた自動応答型データベースはタスク管理まで搭載し、果たしてぼくが経験した事実は本当に実際に起きたことであるのか、それとも唯の妄想であったのかを再確認させる。

メールの着信音が鳴る。

パソコンのモニターが明るく光る。

スマートフォンの"レゾンデートル"が呼応するように立ち上がる。

起きていることはすべて現実なのだと思い知らせにやってくる。

「──お疲れ様でした! あなたはとうとうナンバーズの中から勝ち上がり永久欠番を手にすることが出来ました! これからはあなたが手にした役割を思う存分に発揮し、aemaethに組み込まれているという実感を堪能して下さい。さて、こちらからはささやかな準備金として来週から始める選択と猶予の時間を免除させて頂きます。クリームシチューのレシピに含まれるブーケガルニにはあなたの決断がたぶんに効能を発揮いたします。

multi language feedback system aemaeth──」

今ならすんなりと理解することが出来るけれど、これは横尾先輩でもおそらく田辺茂一という偽の嘱託医でもなく、例えば、それは惑星船団『ガイア』を運行するシステムに混入したバグのようなものの一種なのだろう。

横尾先輩はそんなインターネットを漂う得体の知れないウィルスに少しだけ自分たちの意図を組み込み、ぼくを利用した。

噛み合わせの悪い部品を正常に動作させる為に発生した治療薬なのかそれともぎりぎりと音を立てて廻り続ける歯車の潤滑油であるのか少しずつ浮き彫りになってきたその見えない形を掴み取ろうとしてぼくは宙を握りしめる。

虹色のスーパーボールが机の上で転がって──狐の罠に嵌ったお爺さん──の嫌味ったらしい高笑いが聞こえてくるような気がした。

「わかった。ぼくたちが囮になろう。君たちが解決しなさい。それはおそらく君たちが処理するべき問題だ」

今月に入ってもはや三度目となる魔術交流証の発行を統一選抜試験対策だと言ってなんなく乗り切り、週明けの現文と数Ⅱのテスト結果なんて気にすることもなく向かった魔術資料室で、百舌さんはぼくにそう言ってくれた。

「ありがとうございます。水恩寺からあらかたの話は聞きました。ぼくはあなたの態度があくまで中立という事であるのならば。横尾先輩のお手伝いをするつもりでいます。彼女が失敗すれば困るのはぼくたちになりそうですから」

「心臓には心拍数を一定に保つペースメーカーを九条院君の力を借りて埋め込んである、君が自分以外の何かヤ誰かを心配する必要はまるでないんだ、君の決断を信じてやるべきことをやるだけで十分だ」

心臓への過負荷で呼吸器にまで影響が出ている為に、魔術回路の不整脈が生じ、心臓、肺、そして声帯にまで侵食してる違和について百舌さんはそう説明した。

心臓から発生している百舌さんの三つ目のエーテルは一時的に効果が抑制されてしまっているようだ。

九条院が百舌さんに用意した心臓の機能を補完する精密な魔道具を埋め込まれて機械の身体でも手にしたような百舌さんはますます不気味さを増していてまるでぼくのやることなんてお見通しのような気がしてしまう。

魔術交流証を使用したツイデに、チンチクリンをからかってやろうと一階まで階段を降りて1-βを覗くと、水恩寺は同じようなちんちくりんとじゃれ合っている。

明らかに自分と同じ属性の気の弱そうなおかっぱ頭の小学生みたいな顔をした水恩寺の友人は水恩寺が漏らしていた暗がりに出入りしているという幼地味であろうか。

水恩寺がぼくに気がつき手を振っている。

「あー石油王だ! 昨日はパフェありがとう!」

水恩寺がそうぼくに話し掛けた途端分かり易すぎる反応をしてぼくを睨んでいるちび太に何かシンパシーのようなものを感じざるを得ない。

「あいつ誰なの。普通科じゃん」

「あー。うーんと。色々あって最近仲良くなった人」

「へー。そー。おれはシンジさんとこ行ってくる」

「リンはまだあんなトコヘ行ってるの? いい加減やめたほうがいいよ!」

「あー余計なおせわー。じゃあねー」

そういうと、リンは水恩寺の机からボールペンをこっそりポケットにいれて教室を出る。

ぼくとすれ違う瞬間にあからさまに肩をぶつけて敵意の印を向けてきた。

水恩寺はあたりをキョロキョロしながら机の下に潜り込んでなにかを探していたけれど、見つからないことに諦めてぼくのほうに近付いてくる。

「どったの。まさかパフェ代の集金?」

「あのちび太が例の暗がりに出入りしている幼馴染か。だいぶ手癖が悪いな」

「リンのこと? あいつがなんかやった?」

「いや。なんでもない。まー少しはあいつに優しくしてやるんだ。ぼくがいうことでもないけどな。用事ついでにからかいにきただけだ、パフェ代は出世払いにしておこう」

「ふーん。リンは私に優しくされるとすごい嫌がるけどね」

「複雑な男心ってやつだ。とにかくまた来るよ、百舌さんにもよろしく」

はてな? という顔をして水恩寺はぼくを見送り、ぼくはぼくでなんだかふてくされたリンとかいう同族の顔がまるで自分を見ているような気がしていたたまれなくなり、特段他の興味や対象などは無視することにして魔術科棟を出てまっすぐ普通科棟に戻るとそのまま帰宅する。

情報処理のテストは特に気にする必要もなさそうだけれど、古典はほぼ寝ているだけでかぐや姫が範囲なのか光源氏が必須だったのかも判別がついておらず思わずローラースケートを履いてクルクル廻る自分の姿を想像してしまい、帰宅した後に悪あがきで一夜漬けのテスト勉強なんて一切せずについ発奮してしまった気持ちを抑えられず、一晩中かけてりローラースケートを履いた安倍晴明が躍るプログラムを作ってしまった。

古典の勉強という意味ではかなり本質的な問題に取り組んでいるとはいえ、ほぼ不眠のまま登校することになった影響からか、得意なはずの情報処理で、おそらくprintf関数を書き忘れた解答に終了寸前で気付きパニックになりながらも、不幸中の幸いか、古典は運良くほとんどが選択問題だったので眠気がマックス状態で逆に脳が冴え切った状態を獲得することが出来たようで、圧倒的な勘の鋭さを発揮し乗り切ってしまった。

──てっきり俺を呼び出すかと思ったぞ──

最後の選択問題のアルファベットを記入するのと瞼を閉じきってしまいそうになるのが同じタイミングで訪れそうな時に『類』が突然話し掛けてきて無理矢理眠りから呼び戻される。

にやりとぼくはまだあと二十分もテスト時間があることを時計で確認すると、眠りから覚めて呼びかけてきた『類』に必死に正確な解答に関する率直で安易な答えを要求しながらも終了一分前になり、やっと全問題の解答と正誤をぼくに発表し、絶望をプレゼントするという嫌味さに危うく発狂しそうになりながらも、昨晩作った頭の中でくるくる廻る安倍晴明の滑稽さに正気を取り戻しなんとか救われる。

──インターネットの接続を切ったのもお前か! 『類』! ──

──臨兵闘者皆陣烈在前臨兵闘者皆陣烈在前臨兵闘者皆陣烈在前臨兵闘者皆陣烈在前──

と孔雀王を呼び出そうとしかしなくなってしまった『類』の不可思議な返答をぼくに対する挑戦状だと受け取り今期のテストがどうやら絶望的結果に終わることを無情にも告げられる。

あまりの悲惨な事態の訪れにいつもテストの時はそうするように白河君に思わずメールをするとすぐに返事が返ってくる。

【minoru@今回は週末から家から一歩も出れなかった分とても好調でござる。もしかしたら最高の結果かも\( ˆoˆ )/】

そういうふうに返答がきてもはや神も仏もぼくにはいないのだということを徹底的に植え付けられたたまま机に突っ伏して少しでも睡魔を追い出そうとする。

「今回こそは私に届くと思ったんだけどその様子だとまだ届いてない感じかな」

三島はぼくの肩を後ろから叩いてぼくがどうやら眠りと覚醒の狭間にいることを伝えにやってくる。

目を瞑ったまま三島の声に反応して幾何学模様の光が瞼の裏に映り込んでいることから今はまだぼくが校内にちゃんといて、情報処理に出題された正弦波の球体が規則的に繰り返し運動をする際のX座標とY座標が周期的に変化する数式を明確に思い出すことが出来ないことについて三島がかけた残念そうな声をきっかけにして完全に正誤を理解し自分自身の不明瞭な解答を思い出して絶望しながらも虚勢をはる。

「今日は問題を正確に把握出来なかっただけだと思う。乱数配列の格納と竹取物語を混同しているぐらいには今は少し混乱している」

「脳内の情報伝達に齟齬が生じているのかな。どうかな。ブレインストーミングがてら勉強会に参加してみる?」

三島沙耶はどうやらぼくに脳機能の拡張に関する重要な選択を迫っているらしい。

「源氏物語を書いた光源氏の意図を選択的解答にすることがそもそも美しさを欠いているんだ」

後ろの席の方で中沢乃亜が誰かに言い放つ声がしたが振り返ってみたところで彼女の姿は確認できず、ぼくは脳内に残っていた宇宙から干渉してくる特異な周波数の影響をこそぎ落とす為に、白いワイシャツが寝汗でびしょびしょに汚れてしまい酷く乱暴に減退した食欲が気恥ずかしさを刺激してくる状況をひとまず受け入れて職員棟最西部にある第二会議で行われる『ペンタグラム』に参加することにする。

任意の参加者が希望制で行なっている批判的学習会議と呼ばれる学生主導の勉強会ではテスト内容と方式について生徒たち自身が意見交換することによって成り立っているこの学園独自のカリキュラムだ。

正午を回り核融合された人工太陽が最頂部を過ぎ空一面に科学的な熱源が拡がり始めたのと時を同じくして、ゆっくりと第二会議室には有志の生徒が長方形に配置された木製の会議テーブルと金属製のどこにでもあるパイプ椅子に着席していて、統一選抜試験常連である横尾深愛、巡音家子女である巡音花音、それから先ほど教室で声だけを残して消えていた中沢乃亜の姿も見えてぼくは学園随一の才女の一人である三島沙耶と一緒に入り口から近い右角から三番目の席と四番目の席に着席する。

けれど、酷い眠気のピークとここのところの無理がたたったせいか突然酷い吐き気に襲われたので三島沙耶に断りをいれて男子トイレへと駆け込み何度も嘔吐する。

口の中は胃液でひどく汚れてしまい悪臭と苦味でいっぱいになってしまったので、洗面台で口腔部をそそぎ、うがいをして第二会議室まで戻ることにする。

教室へ戻るとすでに三島の隣には、知らない誰かが座ってしまっていてぼくは入り口から比較的遠い左側の中央の先の中程に空いている席へ着席すると、同じタイミングでぼくら『七星学園』の生徒が自分たちの慢心と傲りを補正する為の戒めとして、『ペンタグラム』を行なうきっかけになったと言われている西田死織がぼくとちょうど反対側の席へと着席し、批判的学習会議の目的であるテスト問題へ対する批判と提案を述べる自立思考への解答例の発案が始められる。

「グノーシス主義に関する考察は一般的宇宙観から見ても再生成された歴史という観点から見ても褒められたものではなかった、といーことや。うちは今回の件から生じる普遍性の劣化を正当な手段を用いて受け入れることを提案する」

西田死織の辛辣な解答を機に室内は張り詰めた空気がさらに緊迫感を増して、我々が監視と検査の為の生物であるという明確な自覚をその場にいる生徒たちに再認識させる。

「まるで才能と呼ばれる開花が平等な基準で設定されているという戯言を拡散するような恣意的な基準が見受けられたのは事実です。高等物理で演算不可能な術式の存在を肯定する研究が未だに正当な分野で行われていることから生じる弊害ではないでしょうか」

天才であるという自覚と堂々とした態度とともに、同室に集まってきている才人たちに対してすら、画一化された役割へと変換させる為の歯車への過程だと宣告するような横尾の言葉に第二会議室内に、少しだけ苛立ちの空気が入り混じる。

「死によって定義されるはずの非回帰性すら正確に生殖活動の一部に取り入れることが出来ていない事実を論理的数値の外側で確定する処置には問題は見受けられません。まずは個体差から生じる拡散された事実の誤認を簡易的な手段を用いて是正するべきではないでしょうか」

左の手の平から黒く光る球体を浮かび上がらせて巡音は少しだけ笑顔を創出する。

「竹取物語を未解明な神話的事実とするか抽象的思考の確立へと通じる明確な分岐点とするかを出題者側が意識出来ていたとは到底思えないということは以前から指摘している通りです。これでは脳機能が直感に対して知識の獲得によって抑制されてしまう可能性を放置しているようなものです」

中沢乃亜の肉体的動作を伝達性が極限まで高まっている肢体から生じる演説の効果的演出に一瞬だけ教室内の重力が弛緩して彼女の姿に視線が統一されかける。

「多角形の内角の和に意味性を与えて撹乱しようとしていた事実が見受けられます。全は一なり一は全なりという曖昧な手法を用いて、クライン空間に押し込められたままでいいはずの正常で誠実な姿勢を維持する意味が存在するとは到底思えません。両義性を保有したままでも確率的思考を養うことは可能なはずにも関わらず、です」

見た目とは矛盾するような三島沙耶の指摘には一〇八に分類されるべき欲望の所為を分断する手法の断片を見つけ出せたような気がして虚言癖によって室内に満たされた空気から現実認識へと帰還してきた生徒たちが我に帰る。

「けれど、数学Ⅱ問題三の形式はひどく一般的です」

黒髪の短髪の男子生徒が周りに合わせて立ち上がる。

「光源氏の生年に関する出題は果たして必要だったでしょうか」

水色のワイシャツが印象的な女子生徒が自己紹介をする。

「ぼくが提案する問題は生徒の自主性など既に崩壊しているという点です。よりマクロな視点で考えれば自立的思考の育成に主眼を置いたテキストなど必要がないのではということです。我々に必要とされているのは低帯域に付随する問題に対して無闇に干渉し乱雑さを拡大する意義など見受けられないことを自覚するべきだということでしょう」

ぼくがそう話すとぼくの正面の机の左から二番目に座っている人物が少しだけ不機嫌そうな顔をしてまるで口の中が嘔吐物で苦味を感じている事を知っているかのような意思表示をしてぼくに同属である事を訴えかける。

正論を話すのならば正確な軌道に沿うべきだと西田死織は明確な意志と態度を持って会議全体の空気を引き締める。

「情報処理における仮想環境の安定化が急務であると同時に量子化されたより高度な暗号通信の確立に目を向ける場合、高速なCPUが不可欠であるという当然の帰結をあまりにもないがしろにしていることと我々が認識上においても実務的な意味においても技術開発の希薄さと不完全さを保持させられていることに困難な命題を簡単に理解するための関連性があることを遺憾ながら魔術数学Ⅱの問題四で明白に感じ取りました」

戯言を恥ずかしげもなくいう九条院大河はまるでどこかの不確かな足元を踏みしだくようにして発言をする。

火種が落とされたということを第二会議室の面々は粛々と受け止める。

「今まで劣化されていない普遍性など存在していたかどうかは非常に疑わしく感じています。並列処理という観点から鑑みれば通信速度の安定と高速化にだけ眼を向けるべきで怠惰な目標の演出に気を煩わせる時間など唾棄すべきだとは言い過ぎでしょうか。自己実現には弊害がつきものであるという認識を普遍性に埋め込むかどうかは全く別の話であると考えます」

凛々しくなんの迷いもなく正面を見据える西野ひかりの姿がいつのまにかぼくの視界に割り込んできていて、三島沙耶の二つ隣の席で立ち上がった彼女は静かに着席し、円滑な批判と対策を迅速に発行する為に室内の温度を一定に保とうとした三島沙耶の努力を一蹴する。

次々に展開されていく批判的学習会議は書記である蓮花院通子の手元のポータブルタッチデバイスによってデジタルデータ化されて職員室、第二職員室、校長室、理事長室のデータサーバへ送信されて蓄積されていくのと同時に、それぞれのデータサーバは神人棟の地下のサーバーと同期化されている。

──惑星船団『ガイア』の正常運行と人類の複利的発展──がチルドレ☆ンたちの主題であるということをぼくらはこの会議を通じてまざまざと思い知らされることになるが、西田死織の一件で確立することになった──『ペンタグラム』には学園理事長である七星倫太郎の一般的には高い能力を持っているはずの他生徒への細やかな配慮が見受けられますねと隣にいた女子生徒が眼鏡をかけた男子生徒とひそひそと話をしていてテスト期間中における学園運営の形をまるで右手と左手を入れ替えるようにしながら続けられる。

「いずれにしろ不協和に対する違和を強い相互作用を用いて管理運営していることは差異に関する問題を再定義しているだけだという批判を改めていまこの場で議論するべきではないだろうかと考えています」

三島沙耶が室内の温度の上昇に対して素直に受け入れる意志を表明し始めたと同時にぼくの頭の中で『類』が観測された情報を元に的確な判断をぼくに与えようとする。

──『全天球を視認する眼球』には惑わされるなよ。お前が捉えている可能性にお前好みの重大な欠陥が生じる危険性があったとしても、だ──

まるでぼくの操り糸を手繰り寄せて原型と類型の違いを明確にする必要性を感じとらせながらぼくは入り口から見て奥側の机の左から三番目に座る中沢乃亜の席から二つ先、右からみて二番目の、横尾深愛からみて四番目の席に着席している芹沢美沙の姿を確認させる。

「無意識に連結する話はもう終わりにしたいと思っています。覚醒された思考が快楽的選別に委ねた未来と暴力的な概念と忘我の状態を維持した過去の狭間で我々は生きるべきなのです。故にこそ、我々が考える葦である事実を希釈することで他我との境界線の乱立を志向します」

急進的ではあるけれど、保守性に対して敬意を払う芹沢さんの態度に篭りすぎた熱が乱流に素直に飲み込まれているように感じてしまったのは『類』が言う通り、『全天球を視認する眼球』に魅入っているからなのだろうか。

ほんの少しだけ指先に残っていた先週の金曜日の出来事を思い出してちょっとだけこの批判的学習会議を抜け出して中庭であるいは銀杏並木の下でその善意がぼくに向けられる可能性を感じ取りたくなってしまう。

「乱数配列の格納は整数のままで問題なかったのではないでしょうか」

長髪の男子高校生が明るめのテンションで話しているのがぼくの耳には届かずつい見落としてしまった時間のことを思い出させる。

記録され解析され分解されおそらくは再構成される人型を難しく考えてしまう傾向が君にはあるんだよ、シンプルな機構で動いているロボットみたいな単純な理屈のことを忘れないでいてねって、駄菓子屋でみた小学生の男の子がぼくの耳元で囁いたような気がした。

その後もぼくの思念が人の形を為して具体的かつ抽象的な幻想空間を漂う会議が永延と続きぼくの眠気がピークになりかけた瞬間に終業のチャイムがなる。

キンコーンカーンコーンキンコーンカーンコーン。

はっと目を覚ますとぼくは2-Bの教室にいて涎でべとべとになった机と制服と古典の答案用紙をみて目の前でぼくの答案用紙をとても汚そうにみている芹沢さんの右眼の視線で完全に眼を覚ます。

中沢乃亜が白河君の席を飛ばして持ってきた答案用紙の束を受け取ると、慌ててぼくの答案用紙から涎をワイシャツで拭き取り椅子から立ちあがって──ぼくが前にもっていくよ! ──と無理矢理芹沢さんの机の上の答案用紙を抜き取ると、そのまま前列の他の生徒の答案用紙もまとめて教壇の上に提出する。

ひそひそという笑い声が聞こえてきたような気がしたけれど、未だに夢の中にいるような気分でいるような錯覚から逃れることが出来ずに、席に戻る途中で窓際の席を見ると、三島沙耶がきょとんとした顔をしてぼくをじっと見つめていることに気付く。

そもそもぼくが彼女と一緒に勉強会などという不可思議極まりない場所に出向くなどあり得るだろうか、妙に現実的な夢の中から帰還してきている事を受け止めながら着席し、テスト二日目が無事終了したということを実感する。

昨日の夜、徹夜で作り続けた平安時代の魔術師が物理法則に基づいて稼働するための摩擦運動を計算にいれて正確にプログラム出来なかった為に不自然な動きのまま頭の中でループ再生され続けている

「気持ち良さそうな寝顔だったね、はい、ティッシュ」

芹沢さんはまたしてもまるで荒廃した大地に現れた一筋の光のように鞄の中から取り出した不動産会社の広告用ポケットティッシュをぼくに手渡す。

「ありがとう! 徹夜で勉強していたせいでうっかり寝落ちしちゃったよ、あはは」

授業中の暇な時間を利用して眠気を防止するためにいつかの授業中にカッターナイフで木製の机に彫った五芒星の溝に入り込んだ涎まで丁寧に拭き取ると頭の中でまたしても声がする。

──ご所望した古典の解答はどうだった。俺の認識からすればあの程度の考察は必須だな──

小憎たらしい『類』の意見がどうにもこうにも鼻に付くがどうやら古典のテストも無事に乗り切ったらしい。

なにもかも悪夢であったと思いたいけれど、やはりこの大昔に大暴れした挙句、地下に幽閉されている魔術師の存在は現実であるらしい。

三日目はさすがに万全の態勢で挑もうと帰ったらすぐにベッドに入り、健全な知力の運営にはよく管理された体力からという自分のモットーに従ってまずは十二分な睡眠を取ることにした。

テスト終了前二十分の眠りでは決して得ることのできなかった快適な睡眠はノンレム睡眠中に脳内が作り出すと言われている無意識による幻影を知覚的に堪能することの出来ないほど脳に深い休息を与えて、次に目が覚めた時には午前零時を回っていた為に、こんなところで悪足掻きをしたところで、明日の結果が良好に変化していく可能性は零に等しいのだというもはやどうにもならない状況下に置かれていることを自覚して、すべてを受け入れる決意をした。

よもや得意としている数学という領域において空間座標を誤認し、平面ベクトルの一時独立性を見失うとは到底思えず、期末テストの結果から与えられる将来に関する問題よりも現在の睡眠欲の方が凌駕してしまいもはや机に向かうという動作すら諦めた。

地理学においては、工場を表す地図記号を女性器と勘違いをしていないことを再度確認して教科書教育において発生する情操教育的側面の不利益を憂慮してこれ以上あの禁忌に触れるべきではないことを心に誓い、教科書を開くことなく瞼を閉じた。

深夜二時を回り、けたたましい警報音が鳴り何事かと飛び起き、まさか宇宙の崩壊が迫ってきたのかとスマートフォンを確認すると、『少女地獄』もとい『レゾンデートル』が突然ベクトル方程式の例題を表示し、タイイオ起動し始めたので有無を言わさず電源を切ることにした。

心地の良い時間から一瞬にして引き戻された不快感を枕に投げつけることで一蹴し、目を閉じると自動的にスマートフォンが再起動し、ダウンロードした覚えのない日本地図のパズルアプリが立ち上がり、まるで学校教育の意欲的態度の育成でも試みているかのような人工知能の登場に苛立ち、嫌々ながらもベッドから抜け出していつの間にか自律的思考を確立してしまったスマートフォンはベッドから離れた本棚の隙間に格納した後、小便を済ませ、ついでだからと一階の冷蔵庫まで出向き、牛乳をぐいっと飲み干してから自室に戻りそのまま再び眠りへと没入した。

眠りに付く際にやはりというか迷わず再起動したスマートフォンが本棚付近で光る様子を確認したけれど無視してまっすぐとベッドへ戻り眠りを享受する事にした。

何度も起こされたにも関わらず十分な睡眠時間を取れたために、テスト三日目の朝はとても快適で申し分なく、思い切りノビをして閉め忘れたカーテンから漏れる朝の光を思う存分に浴びた後、そういえばスマートフォンの充電をし忘れたことに気付き慌てて本棚の隙間にしまったスマートフォンを確認すると、充電は五パーセントで何故か"少女地獄"が立ち上がっている。

「まったく私は自分の務めを果たしてすっかりお疲れよ! はやく私を癒してくれないかしら?」

どうやら本来のツンデレ属性を取り戻した自動応答型データベース『少女地獄』の相変わらずの女王様としてのたたずまいを確認してスマートフォンを電源ケーブルにつなぐ。

「おい。和人。お前の脳を確認したけれどベクトル方程式の理解が足りていなかったぞ、今日も惨敗だな」

聞き慣れない声が本棚の小学生の時に父親からのクリスマスプレゼントで貰った『超神合体アースガルズ』の主人公ロボである『アースガルズ』の超合金あたりから聞こえてきたので目をこすってよく見つめてみると、『アースガルズ』の手足がカクカクと動いている。

なんの悪い冗談だとまだぼくは夢の中にでもいるつもりかと不可解で不自然な声など無視をして一階で風呂に入って目を覚まそうとするぼくの頭の中で『類』が囁く。

──俺たちの初めての子供だ。可愛がってやってくれ──

と産まれて初めて聞いた文節に状況が飲み込めずにいると、また本棚の方から声がする。「ぼくだよ、ぼく。『レゾンデートル』だ。父の魔術の力と母の科学の力を使ってぼくは『アースガルズ』に超神合体されたんだ」

得体の知れない拘束された魔術師と自作プログラムが生命活動の原則である自己複製を完了したという耳を疑う報告と明らかに現実に存在している非現実的な現象が同時に襲い掛かってきているという事態をどう処理していいのか分からず思わずスマートフォンを充電するのと一緒にアプリケーションを立ち上げて流したラジオ局から流れる音楽に合わせて踊り始めてしまう。

ダンスという動作に含まれる体内活動の活性化により、ようやく今、目の前で起きてしまった映画を超える世界の訪れを受け入れることが出来、思わず本棚の『レゾンデートル』もとい『アースガルズ』の元に駆け寄り、

「お誕生日おめでとう!」

と叫んでしまった。

そうだ、いつだって運命ってやつはぼくの意志とは関係ないところで突然始まり出す。

──ありがとう。和人。これからは父と母といっしょに君をサポートするよ。これからよろしく! ──

ぼくが部屋の中で傍目にはたった一人で喜んでいるテスト三日目の早朝に、ぼくの部屋の窓から見える路上で一台のハイエースが止まっていることに気付いていたのは朝六時という時間もあいまって、もしかしたら誰一人いなかったかも知れない。

その黒いハイエースの車体の上部には、観測装置と見受けられるパラボラアンテナのようなものが取り付けられていて、ぼくの家の一帯で観測されたスカラー粒子の放出を受信している。

車内には、運転席に黒一色の軍服に左腕に数珠の腕章をした男がguiltyとゴシック体で書かれた黒いキャップを被り、助手席には錫杖の腕章をした金髪の東欧系の外国人の男が座っている。

後部座席にはたくさんの電子機器が搭載されていて、運転席真後ろに座っているのは、腕に天狗の腕章がついた黒い軍服に身を包んだ白髪混じりの無精髭の男で、彼からみて左側にはオシロスコープやコンソールの類の電子機器で先ほど観測されたスカラー波の過剰流出を確認している男が三名、狭苦しく同じく黒い軍服に身を包み座っている。

彼らと反対側にも同じように無線機器が搭載され、急遽八人の軍人が押し込められるにはあまりにも狭過ぎるハイエースでの出動を促されたことに嫌気がさしながらも、唯一の女性が黒いタンクトップ姿で座りヘッドインカムでどこかの無線を傍受している。

その隣では狭い車内であることを気にする様子もなく椅子に寄りかかり天井を見上げて鼾をかいている左腕に三本足のカラスの腕章をつけた男が座っているけれど、まるで車内の緊迫したムードとは無関心な様子で目を閉じたまま天井を見上げて眠りについている。

コンソールとオシロスコープで何かのデータを確認した左腕に夜叉面の腕章をつけた男が無精髭の男のほうを向き報告をする。

「相転移反応を確認。このまま行けば我々の予測通り、自発的対称性の破れが観測されるものと思われます」

無精髭の男は右手でざらついている無精髭の生えた顎をさすりながら低く野太い声で確認をする。

「了解。対象X、Y、Z及びαの追跡任務に移行。次元断層発現の予定時刻まで162270秒だ。観測を継続せよ」

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