神奈川県立音楽堂

『サイレンス』と「無言」について

映画『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014)や『シェイプ・オブ・ウォーター』(2018)の音楽で知られるアレクサンドル・デスプラが初めて手がけた室内オペラ作品『サイレンス』。昨年生誕120周年を迎えた川端康成の短篇小説「無言」を原作としたもので、1月18日にロームシアター京都で日本初演、同25日には神奈川県立音楽堂でも上演された。

病気による麻痺で執筆はおろか、会話もできなくなった先輩作家の大宮を見舞いにゆく作家・三田と、大宮の長女・富子とのやりとりを描いた「無言」は、途中にタクシー運転手の幽霊話が差し込まれたりして、オカルトや心霊に傾倒していた川端らしい作品だ。『サイレンス』は登場人物の極めて少ないこの「無言」を丁寧に踏襲したストーリー運びで展開してゆく。

私が訪れた神奈川県立音楽堂での公演には、2、30代と思しき人も多数足を運んでいて、改めて各方面からの本作への注目度の高さが窺えた。上演前に流れていたドローン音楽と会場内のささやかなざわめきが一体となって心地よい。ちなみに、会場である神奈川県立音楽堂は、1954年に開館した公共施設としては日本で初めての本格的な音楽専門ホールで、設計は前川國男。戦後日本のモダニズム建築を代表する建物である。

定刻からほんの僅かに遅れて、公演は始まった。オペラと謳っているからもちろんオペラなのだが、歌唱ではないパートもあって、オペラにそれほど縁のなかった私でもすんなりとその世界に没入できた。実は、私は初演に先駆けて本作についてのテキスト執筆をロームシアター京都から依頼されていたので、フランス公演の映像は自宅で観ていたのだが、やはり目前で鑑賞すると迫力や音の聴こえ方がまるで違う。結果、最初から最後まで大いに楽しむことができた。日本での公演がこの二回限りというのがなんとも惜しい。

ところで、先に述べたように「無言」は大宮の家に三田が見舞いにゆくという設定である。大宮の家は逗子で、三田の住まいは鎌倉。鎌倉から逗子に向かうにはトンネルを通る必要があるのだが、トンネルの手前に火葬場があって、幽霊が出ると噂されている。このトンネルは「小坪トンネル」のことで、実際、ここには1906年(明治39年)に有志の組織組合として発足し、現在も存続する鎌倉市、逗子市、葉山町唯一の民営火葬場がある。「無言」の初出は『中央公論』1953年(昭和28年)4月号で、ここからその頃すでにトンネルと火葬場がセットになって幽霊話につながっていたことがわかる。

「その頃すでに」と書いたのは、小坪トンネルが今もなお心霊スポットとしてたびたび紹介されているからだ。「無言」における幽霊話は、鎌倉から逗子へと客を乗せていったタクシーが鎌倉へと空車で戻る際に、いつのまにか後部座席に若い女の幽霊が乗っている、というもの。このエリアには「まんだら堂やぐら群」という鎌倉時代の葬送遺構があったり、古い井戸が残されていたりすることもあって、幽霊話は昔から後を絶たないようである。

「無言」では、この幽霊話は、大宮邸での三田と富子のやりとりを挟む形で物語の序盤と終盤に登場する。序盤に噂話として提示され、終盤では三田が鎌倉の自宅に帰る途中のタクシーに本物(?)の幽霊が同乗してくるのである。幽霊が何を伝えるために出てくるのか––––そもそも伝えることがあるのかどうか––––はわからない。しかし、人はああでもないこうでもないと想像力を働かせて出てくる理由を拵える。その理由が正解かどうかは永遠に不明で謎のままだとしても。

人が何らかの謎に直面したときにとる態度は、合理的に謎を解き明かそうとするのと、謎をそのままにして別段理由を問わないという二つが考えられそうだ。もちろん一人の同じ人間であっても前述の二つの態度はケース・バイ・ケースといったところだろう。面白いのは、躍起になって謎を解明し、めでたく正解にたどり着いた途端、谷崎潤一郎の「秘密」さながらに対象への興味が失せてしまうことがままあるという点だ。謎を解明したい欲求と、解明する時間を終わらせたくない気持ちのアンビバレントな関係がそこにはある。ある場所にまつわる幽霊話が手を替え品を替えて長らく語られるのも、思えばそんなところからなのかもしれない。

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