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限界ぎりぎりを繰り返し、とことんタフになり拡大していく

限界ぎりぎりのところで戦うフィールド。

それは肉体を使う限界、頭脳の限界など、様々な分野が存在する。

モータースポーツやアクロバティックな演技、囲碁や将棋もぎりぎりの世界がいつでも存在する。

特に肉体を鍛えるものである場合、一歩間違えれば大けがをしたり、時には命を失ったりする。

そしてそのギリギリがどの程度の物なのかを見極める力が、過去の教育では当たり前のようにどこまでもなされてきた。

時には科学的に非合理であるとされることも、根性論として美化されてきた。

コーチが見極める限界を時には誤り、犠牲が発生することもしばしば。

ただ、昔であればそれについてこれなかったということで、それまでだということで終わっていた。

今では絶対に許されない、ぎりぎりを超えていく訓練。

世間から激しいバッシングと共に、消滅する世界。

それらが鍛えられる場が限定的となってしまったため、多くの人が自分自身の限界を感じることが無くなる。

その結果として失われるものがある。

それは、限界を超えるための精神的なタフさ。

もしかしたら今の時代の教育においては、ほぼないといっても等しいのかもしれない。




限界を知ること、その見極めや調整というものはとても難しい。

そしてその現場に対して第3者から見るととても残酷で、非科学的と言ってしまうことが起きるのも当たり前。

だからこそ、本当の限界というものを自分自身の身体でしっかりと覚えて、そのギリギリをどの程度まで続けるかという加減を持っていることは強い。

そしてそのギリギリを続けることによって、徐々にその限界値が上がってくる。

やる人はさらに限界となる世界が拡大し、やらない人はただひたすらそのまま。

特に精神的な面で楽に流れ続けることは、停滞を生む。

だからこそ、もし本当に自分自身の中で拡大を経験したいのなら、常に限界を経験すること、新しい0から1をやり続けることは重要。

自分で自分を律して、自分が進みたい方向の壁にぶつかった時に、その限界をいかに超えられるか。

その部分を経験した回数が、その後の拡大につながることが多い気がする。




何があっても生き残ることが出来るタフさ。

どれだけ厳しい部活でも、投げ出さずに最後まで辞めない人。

ブラック企業と言われる環境でも、涼しい顔で過ごしている人。

ぎりぎりの交渉など、精神的に堪える世界で生き残れる人。

それは過去の人生で限界をどれだけ経験出来たかによって変わってくる。

過酷と言われることであっても、あの限界を超えた経験と比べれば大したことがない。

その自信がその人の精神をさらに強くする。

その結果世の中で大きなトラブルが発生し、それらに巻き込まれることがあっても動じないような人になるに違いない。

混乱期において余裕を持って生き残る最善の方法とは何か。

それこそが、過去の厳しい環境において、とことん精神を徹底的に鍛えられたタフさかもしれない。

そしてそれを身に付けるために限界ぎりぎりを繰り返すこと、今だからこそ改めて見直されてもいいことなのかもしれない。



ありがとうございました。

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