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全てが晒される時代なのだから

あらゆるものが誰からも見える様になっている。

他人のつぶやき、悪ふざけをした動画、大きな失言から何から何まで。

誰もが簡単に映像記録を意図的に作り出せることは、多くの人に力をもたらした。

「撮らないでください」ということも撮られて、どこまでも発信される。

「拡散しないでください」は、大拡散するのがあたりまえ。

「プライバシーにかかわるものだから広げないで」は全く通用しない世界。

「問題あるとのことで削除しました」というセリフは、そのセリフと共に削除された情報とともに今まで以上に広がっていく。

もはや倫理観など存在しない世界がそこにある。

デジタルの足跡はもちろん、簡単に映像に記録されることによって、すべてが見えるようになっている。

一度世の中に出たものは、無限に増殖するもの。

アテンションエコノミーだからこそ、出来るだけ晒して注目を浴びさせることこそが金銭の源になっている。

人々の時間がお金に変換されて、そのことで生活をすることが当たり前になっている時代では、今後ますます晒すということは当たり前になる。

何から何まで見られていて、すべての行動が監視されている社会。

その社会においては、何から何まで晒されるリスクがある状態。




意図せず晒されることによる被害は増えつつある。

ニコニコ動画関連の情報が、個人情報含めて晒されることで多くの被害が出ている。

その他ハッキングの餌食になった企業情報が、晒されるリスクがある。

いじめにおいて、弱点を晒されることで学校に行けなくなるということを恐れることがある。

芸能人やyoutuberだけでなく、その他色々な有名人が自宅の場所をさらされて拡散されることで、安心した暮らしが出来なくなる。

晒すことによるリスクや罰則が、全く機能していないことによって起きている悲劇。

これらは規制することはそれはそれで表現の自由の侵害というところにもなるため、バランスが難しいことでもあるかもしれない。

そもそも技術の発展により意図せず晒してしまっていること、晒されてしまっていることが当たり前になっていることが予想出来た地点で、すでにどうしようもなかったのかもしれない。

既に便利さに依存しきっているのだからこそ、後戻りすることは生活水準を下げることのように、多くの人から反発を受けることになるに違いない。




全てが晒されることを前提に、行動出来ているか。

そのうえで、自分を振り返ることで、より客観的な見え方を意識するようにすることは大切。

もし周りに知られることを恐れて何もしないを選択する人は、この先どれだけ長く生きることが可能であっても、果たしてそれはどうなのだろうか。

そのままで人生の終わりを迎える直前になって、それでよかったとするのだろうか。

こんなことに迷っているようなことは、ある意味もったいないかもしれない。

というのも全てが晒されることが怖いと言って、委縮する必要性は全くないのだから。

時には晒されることがあろうとも、何にも恐れない自分だけが正しいと思っている信念があるのなら、それを守れるかどうかが重要。

大切なのは晒されることにおびえて行動をやめるのではなく、晒されても全く気にしない行動をすること。

周辺の人の意思を含めて尊重して行動すること。

そのバランスがしっかりと取ることが出来れば、すべてが晒される時代であっても全く気にする必要はないのかもしれない。



ありがとうございました。

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