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衝突の根源 価値観の当てはめ & 押し付けについて

衝突、それは色々な場面で起きている。

家族の中での衝突。

地域社会における衝突。

企業同士の衝突。

宗教同士の衝突。

国民同士の衝突。

国と国の衝突。

様々な分野や異なる次元において、衝突が毎日起きている。

衝突の種類も、物理的な衝突からネットにおける衝突など、様々な物が起きている。

これら衝突を出来るだけ無くして平和な社会にしたいと、世の中に住む人の多くが望んでいる。

しかしながら、古代から現代にいたるまで、衝突は収まることがない。

むしろ現代になればなるほどその衝突は増えているように感じる。

それはなぜなのか。

それは今まで以上に価値観の当てはめ、押し付けが増えて行っていることが原因であるように感じる。




価値観が完全に一致する人は存在しない。

価値観が異なるということ、それは持っている物差しが違うという事。

物事の当てはめ方が異なることで話が合わないし、そもそも同じ言語でも言葉が通じない。

その価値観が異なることを、時には「悪」としてしまうこともある。

その結果として、様々な問題が生じて、お互いに悪とするもの・理解できないものを排斥しようとする。

排斥の手段の中に衝突があり、それが溢れる世の中になっていることが今の状態。

さらに価値観も多様化の一途を極め、ますますお互いの考えが別のものになって行く。

そこに人口の増加現象も加わることで、衝突する対象の数がさらに増加していく。

だからこそ、現在のトレンドである限りは衝突は増える一方で、減ることは無いように感じる。

つまりますます衝突が増えて、さらに混乱が生まれるのは必然であるということ。




衝突がただでさえ増えていくことに対してどうしようもない、あきらめるしかないと考えるのもまだ早いように感じる。

というのも、全く解決の手立てがないというわけではないから。

そこには大きな困難が生じるものの、不可能ではないと考えられる。

本気で一切の争いや衝突を防ぐ方法は何か。

そこには3種類が存在すると考えられる。


ひとつは、すべての物事の価値観を完全に均一化すること。

そうすることで、そもそも価値観が揃った状態であることから衝突は起きない。

その結果、すべてが均一化することで、すべての物事に対して合意することが可能。

まさにグローバル化の究極が争いを無くすことであるとするなら、なんとなく納得できる。

ただ、現実的には価値観が完全に均一化することはかなり難しい。

環境や宗教や教育内容、育った空間によって全く異なる状態である個性が形成されていく。

いくらマスコミや教育を使って価値観を均一化しようとしても、完全に同じになることは無い。

一方的に価値観が異なるものを物理的に消滅させるとなると、それは非常に大きな問題になってしまう。

そもそも分離された人間という状態、そしてその分離されたのが当たり前の社会で生きている限り、かなり厳しい。

ではどうすればいいのか。


2つ目のアイデアは、価値観の違いを当てはめない、押し付けないこと。

誰かが自分自身の物差しでは測ることが出来ない、全く価値観の異なることをしていても、それを止めない。

相手が理解不能であっても、それを認めること。

そして、自分がおかしいと思う場合であっても、相手の価値観に立って理解を試みる。

おかしいと思うことであったとしても、その考えを相手に押し付けない。

しかしながら、価値観を認めることについて片方のみが尊重することをしてしまうとどうなるのか。

一方的に価値観が侵食されてしまい、気が付いたら価値観そのものが別の色に染まってしまうこともある。

だからこそ、双方向で価値観を尊重でいるかどうかが問われている。

もちろん一方の価値観が他方を侵食する、相容れないものも沢山あるに違いない。

その場合はどうすればいいのか。


3つ目の方法、価値観の相容れない相手からは物理的な距離を取ること。

そのために機能しているのが国境であり、家の塀でもある。

それは熊と人間の関係かもしれないし、宗教原理主義者同士の関係かもしれない。

お互いに触れることや見えることがなければ、そこには平和が訪れる。

価値観が異なるもので触れないようにして、衝突を避けること。

そして、その境や敷居、塀をお互いに超えないようにすること。

それもとても重要なアイデアであるように感じる。




衝突がただでさえ増えていく世の中、今後ますます混乱の時期を迎えるに違いない。

一方で、その混乱期を経て人類がしっかりと反省して学びなおせば、衝突は起きにくくなるに違いない。

そのための大きな失敗を経験することが必要であり、まさに今がその時であるように感じる。

価値観の当てはめと押し付けが大きな失敗であることに気が付いて、次の段階に進むことができるようになること。

もしかしたらその時になって初めて次の時代に向けて物事が動き出すのかもしれない。



ありがとうございました。

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