役割を演じる自分と、本当の自分を切り分ける
現代人はとても忙しい。
毎日の仕事や学校、日々が活動で覆われている。
さらに一日に入る情報量が過去とは段違い。
ある必要情報を探すだけで一日の仕事が成り立っていたことから、情報は当たり前で膨大な数の情報処理に追われている。
そのため、過去と比べると間違いなく高難易度な仕事や勉強が必要になっている。
家事や子育てについても、同じことがあてはまる。
過去と比べるとより周囲の仕組みが複雑化し、考えるだけでも大変なことが多い。
これらについて頭をフル回転させ続け、さらに襲い掛かってくる忙しさに謀殺されていることで、あっという間に人生の時間が過ぎ去っていく。
そして気が付いたらその忙しさの真っ只中にいる自分しか見いだせなくなり、その自分がすべてであるかのように勘違いしてしまう。
本当に自分がやりたかったこととはかけ離れてしまう人も多いかもしれない。
何とかそこで果たしている役割を自分自身のアイデンティティと同一視しようとするが、いずれ本当の心がその負担についていけなくなる。
そうなってしまう前に、しっかりと自分の心を守ることが時には必要になってくるに違いない。
自分の本当の心を守る方法、それは「求められた役割を演じている」という形で、役割と自分自身の心を切り分けること。
人は所属するコミュニティによって、幾つもの役割を演じている。
時に母親であったり父親であったり。
仕事する一人の社会人であったり、勉強する学生であったり。
人によってはある場所で特殊な役割を演じることもあるかもしれない。
それぞれの役割として何かをしていることが、社会によって求められている。
ただ周囲に求められるからと言って、役割そのものを自分と同一にする必要は無い。
というのもの、役割はあくまでも記号に過ぎないから。
だからこそ、本当の心の中の自分の思い描く在りたいものと別であることもしばしば。
だからこそ、そう感じる時には役割を役割として区別して、しっかりと演じているということをすればいい。
ある役職に就いたときには、その役職であればどう考えるかを演じればいい。
ある立場であるときには、その立場である人はどのように行動するのが最適かを演じればいい。
下手に同一視してしまうと、何か問題が起きたときにその問題と共に滅びることもありうるのだから。
会社が倒産することがそのままアイデンティティが崩壊するということになってしまうのは、ある意味危険なこと。
だからこそ、役割が終わったらその役割を手放して、元のままの自分に戻ればいい。
そうすれば、物事に対して重く感じる必要もなくなってくるに違いない。
もちろん自分自身の心と役割を同一視したほうがうまくいくこともあるかもしれない。
それによって物事に対する取り組み、その本気度が全く変わることもあるかもしれない。
ただ、行き過ぎというものには気を付けたほうが良い。
同一にするときも、役割を分離するときも、常に冷静に自分の中でコントロール出来ていることが重要。
その時々に応じて、上手く役割としての自分を演じさせるか、本当の自分を使うかを決める。
もちろん、演じている自分と本物の自分では感じる責任感が異なる。
それがうまく出来るかどうか、その塩梅が上手に調整できることで、色々なことに挑戦出来るようになる。
もしかしたらその色々な中に、本当の自分と同一視していいような物事・役割も出てくるかもしれない。
そうしたときにこそ、しっかりと自身のアイデンティティとして取り組む。
自分の心にしっくりと来るものを見つけられること、それが出来た人は数ある人生のなかでもかなり幸せな方であることに違いない。
ありがとうございました。
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