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中途半端に自然消滅ではなく、きっちりと完了させると気分がいい

物事が途中で頓挫したり、最後までやり遂げられないこと。

読みかけの本や、途中まででやり残した仕事。

挑戦の途中で、難しくて挫折した物事。

中途半端に約束はしたものの、そのまま放置になっているもの。

人間関係で仲たがいしたまま、結局のところ長年会っていない関係性。

人生の中で溢れているに違いない。

特に長い時間を過ごせば過ごすほど、中途半端な不完了状態なものがたまっていく。

またいつか何とかなるだろうといったものの、そのいつかはやってこない。

そして気が付いたらいつまでも心のどこかに残って、忘れ去れるつもりでも忘れ切れていない。

どこかでふとしたタイミングで思い出されてしまうことで、気が付いたら後悔となっている。

あの時は仕方なかったと思っている地点で、それは後悔の証拠。

本当に心残りがない状態は、完全に忘れ去っている状態なのだから。




会社の文化変革のチームで、ずっと中途半端に残っていたチームがあった。

ある一時期はとても活動がもりあがっていたものの、コロナ禍やその他出来事によって、一時期に比べると全く活性化しない状態に。

活動人数もどんどん少なくなり、幽霊部員が増えてくるとともに、ほぼ開店無人状態が続くことに。

そして実質そのチームの機能は自動化する作業だけとなっていて、ほぼ何もない状態で動いていた。

Teamsの中にずっと残っていて、それがたまに気がかりであった。

特に、自分自身がそのチームの代表として残ったのだからなおさら気がかりが残っていた。

このまま中途半端に残して、放置で良いかなと思ったこともある。

それが、ふとしたことがきっかけで完全に解消に向かうことになった。

とある人からの一声で、「しっかりチームのために、終わらせてあげたほうがいいよ」とのこと。

チームリーダーであったこともあるし、多少余裕があったことから、動いてみたこの1か月。

短期集中で諸々の処置を終わらせて、チームメンバー含めてすべてについて解消することを周囲に伝えて、しっかりと形として終わらせることとなった。

結果として、役割を果たして解散と宣言することで、現在はとても心がすっきりとしている。

これは、いつまでも中途半端でいるよりもとても心地が良い感触であるにちがいない。




中途半端な状態での放置で、どこか心残りになっていることは、目に見えない重しになっている。

その重しを抱えないようにすることを常に心がける。

そのためには、しっかりと終わらせて完了させてしまう。

そうすることで、心に余裕が出来てくる。

もちろんしっかりと終わらせて、完了状態に持っていくことはかなりの手間と労力になることも多くある。

しかしながら、一度完全に完了させたものは、後の人生に引きずられてこないという意味で、その労力をかける価値がある。

抱えた荷物を中途半端に持ち続けていては、いくつ手があっても足りない。

特に目に見えない荷物ほど厄介な物はない。

だからこそ、完全に手放す状態にすることはとても重要なこと。




目に見えない荷物を背負っている人が溢れている。

それらはすべて中途半端にのこしたもの。

持っているものの種類はひとそれぞれ違うもの。

その中途半端なものによって、実は無意識のうちに人生を動かされていることもあるかもしれない。

見えない壁にぶつかって、困っていて進めない。

だからこそ中途半端に自然消滅を狙うのではなく、一度だけしっかりと向き合って、完全に終わらせる。

そうすることによって、気分は良くなっていくに違いない。




ありがとうございました。

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