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その常識は何によって作られたか

常識は目には見えないもの。

気が付いたら当たり前にしていること。

それは自分だけでなく周りも含めて。

違和感を感じないからこそ、常識として溶け込む。

そしてその常識とは違うことがあって、初めて常識があったことに気が付く。

同じものだけでは意識しても見ることが出来ない、とても不思議なもの。

常識にとらわれないでと言われることがあっても、気が付いたら常識に落ち着いている。

常識を疑えと言われても、その常識が当たり前のことだから疑いようがない。

だからこそ、そもそも常識が生まれた源を探る必要がある。

なぜこのことは常識になったのかということを。











一日に3食食べるのは常識。

夜になったら寝るのは常識。

学校に行くのは常識。

働くのは常識。

病気になったら病院に行くのは常識。

感染症が流行ったらマスクをするのが常識。

感染症にかかりたくなかったらワクチンを打つのは常識。

保険に入るのは常識。

お金が存在するのは常識。

メディアが公明正大で常に正しいのは常識。

偉い人は嘘をつかないのが常識。

高血圧は下げるのが常識。

約束を守るのは常識。

これら一つ一つは、ある人にとっては疑いようのない当たり前の行為かもしれない。

でも、すべての始まりはこれらのことは何もない状態であった。

ということは、常識も何もないバラバラの状態。

では、そもそも常識が生まれた一番初めは何だったのか。

そしてそれが今でも続いている理由は何なのか。














「そもそも」の部分に振り返る機会が増えるのは良いこと。

一度無自覚になっていることを意識しなおすことは大切なこと。

当たり前の中で無意識に行動していることの中には、様々なことが混ざっている。

身体によいと思っていたことが、実は真逆であったこと。

良かれと思って選んだことが、実は最悪の選択だったこと。

逆に間違っていると思ったことが正解であること。

あり得ないと思ったことが、実は合理的で最適解であること。

どのような時間軸で見るかによって答えが全く変わることもある。

だからこそ、「そもそも」というはじまりに注目することは、どんな時でも意識したいこと。
















常識は誰かによって作られている。

メディアかもしれないし、周囲の人かもしれないし、流行を流行らせるインフルエンサーかもしれないし、同調圧力かもしれない。

意図的なもの、意図的でないもの、それは様々。

無意識に溶け込んで、色々なものが見えなくさせられている。

だからこそ、常識という見えないものを今一度見えるようにしていってもいいのかもしれない。

もちろん周囲の常識だけでなく、自分自身の常識も確認する対象になる。

今一度意識してみるといいかもしれない。

自分自身の常識は、何によって作られているのかということを。











ありがとうございました。

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