「無敵の人」ならぬ、「無敵の政権」について
これ以上失うものがない状態に陥ること。
それは一種の無敵状態であるということ。
その時にはどんなことでもできる。
困窮を極めて、世間的にみじめな状態で孤立している人は、世の中がどうなってもいいと感じて行動を起こすことがある。
世間でとことんまで叩かれて、社会的に抹殺された人は、最後の一撃に全力をかけて世の中に対して派手に復讐をすることがある。
家族を惨殺され、何もかも失った人の中には、すべてを犯人への復讐に捧げる人生を選択する人もいる。
窮鼠猫を嚙むの状態は、まさに追い込まれている人がやっていること。
このようにこれ以上失うものがない状態は、ある意味「最強状態」であると言える。
通常では出来ないようなことを、いとも簡単にやってのけることが出来たりもする。
というのも、集中するべきところが1点であり、そこにすべてのエネルギーを注ぐことが出来るから。
その時には世間体や良心の呵責、あらゆる忠告や止めようとする制御が完全に効かない状態。
だからこそ何もかもを失って、これ以上は何も失うことがないことほど強いことは無い。
それはどのようなことをしてでも目的を遂げようとする。
本当に苦しい状態に追いこまれる人が増える時代、無敵状態の人がますます増えていく気がする。
そしてそれは色々な観点からしても、あらゆる社会を加速的に混乱期に導いていくに違いない。
それは良い意味でも悪い意味でも。
役割が終わった政権、役割が終わった政党。
そのことをうまく有効活用しているのが、今の日本政治のように感じる。
現在の政権は、おそらく本心では支持率をそこまで気にしていない。
残された期限があることを明確に見据えて、国民に注目されない形でやるべきことを一気に進めていく役割があるように感じる。
後先を考えない、実質玉砕覚悟で様々なことを進めていく気がする。
その覚悟があるとみて、一気に膿を出したり、あらゆる不祥事を表に出していく方針が感じられる。
不都合なことを短期間で出来るだけ多くのことを進めて、未来がより楽になるように今だけは負荷を一気に抱えながら進めているように感じる。
野党が実質上ほぼ機能していない間に、出来るだけ多くの物事を成し遂げて、禊を終えようとする。
周りを気にしない無敵状態である間に、どこまで何を成し遂げていくのかが気になる所。
次回の選挙は解散がなければ2025年とまだまだ1年以上先のこと。
だから完全に政権が権力を保持したまま機能不全に陥るまでは、今の状態がおそらく続く。
そしてその間にあらゆる物事が進むとともに、それ以上に世の中が大激変をしていく。
それまでの間に政権によって成し遂げられることが本当に評価されるのは、のちの時代になってから。
現段階では、本当の意味で評価されることは決してない。
歴史上過去の英雄とされた人も、本当の意味で評価されることが果たして出来ているのだろうか。
そしてその評価そのものについても、時代や立場、解釈によって全く異なってくる。
歴史で学んできた十字軍の遠征やモンゴル帝国・イスラム帝国の拡大、世界大戦や冷戦についても、人によって立場によって解釈が全く異なっている。
そのため、良い方向と捉えられるか、悪い方向と捉えられるかは、今を生きている世代では決してわからない。
それぞれの立場からしか見えないこと、後の世になって効果性が発揮されることを見越して行動をしているかもしれないし、そうではないかもしれない。
だからこそ、今は様々な物事に対して注視して、それ以上に自己防衛に努めていくことに専念するのが吉なのかもしれない。
ありがとうございました。
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