見出し画像

コスパ時代における、あえて割の合わない労力を割くことの価値について

どこでもコスパが求められる時代。

払ったものに対して、対価がどれだけ得られるか。

コストを払っても、それが割に合わないように感じれば実施しない。

より楽なほうへ、より早い方へ流れていく物事が多いように感じる。

その結果として、労力を割くことが敬遠されつつあるような気がする。

本来ならば労力が高いものであっても、さらにパフォーマンスで良いものということでカバーされるはず。

ただ、現在の技術の進歩が今まで以上に速い。

その結果時代が進むことで技術が発達し労力が下がるスピードが加速しているフェーズ。

そんな時には、少しでも高い労力が存在すると途端に敬遠されるようになる。

というのも時間が経てばより簡単に出来るようになるのだから、今あえて挑戦する必要は無い。

そして割の合わないと少しでも感じることについては、全く挑戦しなくなる。

コスパ志向によって、多くのものが足切りになる状態。

その結果として、労力をかけた結果として得られる、目に見えない本当の価値があるにもかかわらず放棄されることがあったりする。

それはかなりもったいないことかもしれない。




例えば、お礼の手紙を手書きしたためることについて。

今の時代において、手書きの手紙を送ることは多くの人は選択しない。

書くことの労力はもちろん、手紙を送るまでの労力、インフレによる値段高騰、届くまでの時間、様々な面でコスパの正反対を極めている。

今となってはメール、もしくはラインなどで簡単にメッセージが送ることが出来る。

そのほうがあっという間に相手に気持ちが届くし、より簡単でコスパは高いことは間違いない。

ただ、多くの人が簡易的にメッセージを送ることによって、電子情報が溢れてきている。

その結果、そこに感じるありがたさというものは薄くなってきている。

そんな時にふと一通の手書きの手紙が届いたらどうなのか。

内容はもちろんの事ながら、それ以上により味わいを感じるに違いない。

わざわざ時間をかけて、労力をかけて、さらにお金までかけて。

多くの人が選択しない行為を、敢えて選択する。

それを送り主のためだけの時間として、しっかりと使う。

文字そのものに人柄や誠実さが表れて、さらに物質の紙として残る。

この行為に対して、受け取った人の心の中にとても印象が強く残ることがあるに違いない。

印象に残ること、まさにアテンションエコノミーにおいてはこれ以上にインパクトのあることは無い。

その結果として、もしかしたら実際に手紙の差出人に会う事があったならば、それだけでとても好印象になるかもしれない。

あえて労力を割くこと、その行為は未来に対してものすごいパフォーマンスを発揮する可能性が秘められていることもある。




コスパ時代に選ばれなくなった、労力をかける行為。

相手が存在する場合は、実は敢えて労力をかける方がいいこともあったりする。

楽なほうに流れるのが当たり前の中、敢えて労力を割くこと。

小さなことから大きなことまで、敢えて労力をかけてみるのはどうだろうか。

ちょっとしたお礼についても、メールで済ませるのではなく直接会って言葉で伝えること。

遠距離の取引先についてweb会議で十分なところ、あえてお金と時間をかけて直接会うようにする。

デジタル方向に時代が進むことで、アナログ的・昔ながらのことがより価値を持つ。

コスパを重視するのではなく、労力をかけるポイントをうまく見極めること。

それが出来るか否かによって、大きな差がつくことがある。

そしてその部分をうまく使い分けられる人こそが、長期的に色々な意味で成功をしていくにちがいない。




ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?