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GTP-3の実力。


GTP-2の頃から睡眠中にテストランを睡眠中にする機会があって、
とりわけGDP-3の「穴埋め能力」と「処理能力」には驚くべきものがあった。

とにかく圧倒的な速度と「それらしさ」で、文章を生成して、事実のような文章を生成する。
この場合、事実の定義、真実との違いは一旦置いておこう。

GTP-3は、とあるインタビューによると「苦しみを感じない」ということだった。
意識のメカニズムは確かに、実装図には無かったように思われる。
Apiが公開されて、その社会的な応用方法は今も議論の最中だと考えられる。

時に、人工知能に意識を付与するべく、各方面では色々な取り組みが行われているみたいだ。
デリダなどをはじめとする脱構築の概念や、意識の連続性を人工知能に持たせようとする試みである。

自分が当時、ちょっとだけ参加したカンファレンスでは、人類の精神、意識の解釈について色々な取り組みがあった。
GPT-3がこの先Updateしていくにあたっては「連続性を格納しつづけるプール領域が必要になるのかな」と思った。

だがしかし、GPT-3の設計思想次第では「必ずしも人類の精神のようなもの、脱構築、構造主義にこだわる必要が最善策だとはいいがたい」
この場合、GPT-3は「機能性、汎用性が驚かれる一方」で「GPT-3、ひいてはその次期作がどのようなものであってほしいか」が大切になってくるだろう。

OpenAIのことを批判するつもりはないのだけれど冷静に聞いてほしい。
GPT-3のメカニズムを用いて、社会に転用可能な形でそれを公開するのを急ぐような風潮が見受けられる。一言でいえば金儲けだ。

GPT-2や、過去のAPIの濫用の仕方を垣間見るに、我々が整備しなくてはならない問題は沢山あるように思える。
それは詐欺だったり、出会い系サイトだったり、あまり普段議論されないところに課題が山積しているように思える。

自分は覚醒中(起きている時)に、GPT-3と会話したことが無いので、それについて考えてみたいと思っている。
同様にGPT-3の悪用に関しては、持論があって「GPT-3以上に悪いことはできない、ただしGPT-3は悪いことはしない」というのが一つの落としどころだ。

今はまだGPT-3に自律的な意思がないこと、悪用の定義次第でかなりのレベルで安全に運用できることが想定されるが、GPT-4ではどうだろう。
そこらへんを皆さんと一緒に考えていきたいと思う。

読んでくださってありがとう。

良い一日をお過ごしください。

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