見出し画像

僕が見た虚無のブロガー界隈-ゲーテの気持ちで集める記憶の断片


物書きという生き物ならば、「見てきたからには、書かねばならぬ」と思う瞬間が存在する。

ゲーテがヴァルミーの戦いに従軍した際に書き残した「ここから、そしてこの日から、世界史の新たな時代が始まる」という言葉は、フランス革命を象徴する名文句として後世に語り継がれている。フランス革命が生み出した「近代」という時代の躍動を、ゲーテは見事に言葉にしてみせた。


そういう事例は枚挙にいとまがない。ドストエフスキーは投獄された経験を『死の家の記録』にまとめているし、マルクスはナポレオン三世が帝位に就くまでの動向を間近で観察し、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を書いている。(マルクスのことを革命ヒゲ左翼オジサンだと思っている人も多いが、彼は新聞の編集長を務めるなど、ジャーナリストとしての顔を持っているのだ)

画像1


彼らはきっと、「見てきたからには、書かなければならぬ」という感覚で筆を取ったのだと思う。彼らと自分を並べて語るのは実におこがましいけれど、僕も一応物書きのはしくれとして生活しているので、その気持ちが分かるような気がする。

自分の経験に書き残すだけの価値があると思った時、物書きは得体の知れない使命感に突き動かされる。この使命感はきっと、人類への貢献と自己満足という2つの欲求の混淆によって生まれている。

何かを眼前にした時、文章を残すのは人類への貢献である。先人たちが残してきた文章から学びを得たり、時に勇気や喜びを得たりしながら、人類は前に進んできた。ニュートンがフックに宛てた手紙で「私が遠くを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に乗っていたからです」と書いたように、人類の躍進は先人たちが残した記録のお陰だ。彼らが何も書き残さなかったとしたら万有引力が発見されることもなかっただろうし、世界はまだ暗黒時代を抜け出していないだろう。

それだけではない。物書きの中には、人類への貢献という崇高な欲求もあるけれど、きっと自己満足の側面もある。料理人が最高の素材を見たら料理したくなるのと同じように、物書きはユニークな体験をしたらそれを書かずにはいられないのだ。「自分にしか書けないものを書きたい」という欲求は、何よりも強いものだから。


「祖父の人生」または「虚無のブロガーバブルに身を置いたこと」

僕にとって、「見てきたからには、書かねばならぬ」と抱え続けている題材はあまり多くない。もう書いてしまっているものが多いからだ。新しい娯楽サービスを作って世界を変えるぜ!と息巻いて大失敗した愚かな起業譚などはそういう題材だったけれど、早い段階で書いてしまった。

まだ抱えているものは何があるか?と聞かれると、パッと思いつくものが2つある。1つは、「今は亡き祖父の人生について」である。

僕の家は医者の家系だ。両親も医者だし、祖父も医者だった。

祖父は医学生時代に太平洋戦争を経験している世代で、かなり戦争に振り回されたらしい。戦時に急ごしらえで医者を養成するために大学のカリキュラムがコロコロ変わったり、国の都合でいきなり勤務先が変えられたり、様々なドラマがあったらしい。更に戦争に伴う家の没落なども絡んできて、波乱万丈だったようだ。

そして、祖父の物語を収めた手記が僕の実家に眠っている。大きな書棚が埋まってしまうぐらい大量のノートは、全て祖父が綴った日記である。いつかこれを整理して、祖父の物語をまとめなければならない。この仕事は多分僕にしかできない。

幼少期の僕は祖父の昔話(とにかく長い!)をテキトウに聞き流すのが常だった。もう少しマジメに聞いておけばよかったな、と今になって思う。昔話の価値は、子どもには分からないものだ。子どもには未来しか見えないから。

あの時聞き流してしまった彼のストーリーの断片を拾い集めて、大きなストーリーとして組み立てること。それが僕の抱え続けている「見てきたからには、書かねばならぬ」題材の1つだ。


もう1つは、「虚無のブロガー界隈に身を置いたこと」だ。急にしょうもなくなってしまった。申し訳ない。

ブロガー界隈は、僕が大学を卒業した2016年あたりに盛り上がりのピークを迎えていたような気がする。たくさんのオンラインサロンが乱立し、就職しないのがカッコいいみたいなイデオロギーが音を立てて隆起していた時期だった。中身は何一つなかったけれど

アレはある種のバブルだったのだと思う。バブルというと「値段が高騰して儲かる」みたいなイメージがあるが、そういう意味ではなく、本来の意味の「バブル」だ。

バブル経済の「バブル」は文字通り「泡」だ。泡のように、中身は何一つないのに大きく膨らんでしまう。そういうものがバブルと表現される。お金が絡んでいる必要はない。実態とかけ離れた盛り上がりがあるのならば、それはバブルなのだ。


2016年のブロガー界隈も間違いなくそうだった。誰も面白い文章を書いていないのに、なぜか界隈は盛り上がっていた。プレイヤーは増えるが、何も面白いことは起こらない。面白くない人たちが次々に面白くないことをし続けて、無の泡がどんどん膨らんでいった、というのが率直な見方だろう。

更に悪いことに、普通「バブル」と表現した時につきまとう「儲かった人がたくさんいる」というイメージも裏切っている。ブロガーバブルで儲かった人はほとんどいない。儲かりもしないし面白くもないのになぜか盛り上がってしまったという、正真正銘無のバブルである。これに比べると80年代日本のバブル経済はそんなにバブルじゃなかった気さえする。実際に地価はグングン上昇し、皆の羽振りがよかったのだから。誰の羽振りもよくならないブロガーバブルこそが本物のバブルだ


あれから5年近く経つ。あの虚無バブルについて、意味のある物語を綴れる人は多分僕しかいない。いつか書かねばならないと思い続けてきた。

「見てきたからには、書かねばならぬ」には、いろいろな種類がある。祖父の歴史を綴らないといけないという血族の義務みたいな崇高な題材もあれば、インターネットのどうしようもない人たちの歴史を綴らないといけないというゴミ収集車みたいな悲惨な題材もある。

だけど、あの頃のことを書く気は起こらなかった。この有料マガジンを始めた後でさえ。

なぜなら、無のバブルに参加していた僕自身も彼らに負けず劣らず虚無であったからだ。

虚無だった自分を直視するのは厳しいものがある。痛々しい思い出を振り返るのも厳しい作業だし、文章に昇華するのも難しい。このマガジンの構造上、虚無の人々を教養を使ってバカにするという作業が必要になるのだが、過去の僕自身が登場する場合は上手くいかない。僕自身が虚無の行動を取ってしまっているので、僕が僕自身の虚無性をバカにしなければいけなくなる。自分でボケて自分でツッコむほど寒いことはない。


断片を、少しずつ整理することにした

それでも、あれから5年が経ち、過去を振り返ることに対して抵抗が薄れてきた。「僕が見た虚無のブロガー界隈」を、描写する気が起きてきたのだ。

だから少しずつ書いていくことにする。散らばっている虚無の断片をかき集めて、大きな物語にしていきたい。

プログラミングの用語に「ガベージコレクション(ゴミ集め)」というものがある。コンピュータのメモリの中に残っている使われなくなった領域(ゴミ領域)を発見して解放し、再利用できるようにする、というものだ。

僕がこれからやるのも、記憶のガベージコレクションである。虚無の中でうごめいた虚無の記憶をかき集めて、文章にして解放しようと思う。

一気に大きな物語を書くのはだいぶしんどい気持ちになるので、本マガジンにおいて「虚無のブロガー界隈」シリーズとして、1つずつ断片を整理していく。これを繰り返せばやがて物語としての流れも見えてくることだろう。


手始めに、今日はあの人について書く。一般的には全然有名ではないけれど、ネットウォッチが好きな人なら知っているであろうあの人だ。シリーズ最初にふさわしい、虚無のブロガーバブルを牽引した虚無の代表だと思う。

あの人をバカにしたブログ記事はたくさんあるが、僕ぐらい近い距離から書いたものは存在しないはずだ。間近で見てきて、何度も顔を合わせて話したことがある僕が、生きたレポートを書く。この記事にはそういう意義がある。

以下、実名が出るので有料になる。単品購入(300円)も可能だが、定期購読(500円/月)がオススメだ。いつ入っても今月書かれた記事は全部読める。3月は5本更新なので3倍オトク。


では、まずは虚無の概要紹介から……


ここから先は

6,549字 / 1画像
この記事のみ ¥ 300
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?