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愛の欠乏が招く「ビッグサンダー面従腹背」という罪-クソリプについての新提案を添えて。

街はいくらでも 落ちぶれるやり方の見本市
(中島みゆき『テキーラを飲みほして』より)


『欠乏の行動経済学』という本を読んだ。


これがもう大変に面白い本だった。

「お金がない」とか「時間がない」などといった問題は、普通は全然別の問題として語られる。お金がない人には公共の支援が必要だし、時間がない人はスケジュール管理を見直さないといけない……といった具合だ。

だが、本書は、これらの問題を根本的に同じものとみなす。様々な実験結果を元にして、”欠乏”の共通点を発見し欠乏の本質を暴き出すという極めてチャレンジングな本である。めちゃくちゃ面白い。


あまりに面白かったので、皆さんにぜひオススメしたい!!という強い気持ちを抱えて、本の宣伝ツイートをした。一番キャッチーである「お金がない時はIQが下がる」という実験結果について書かれた場所をスクショ付きで投稿。(140文字に収まらなかったので、本の概要とURLはスレッドにぶら下げた)


これが想像以上に伸びて、2万2000RTを越えた。こんなにツイートが伸びるのは久しぶりだ。

そして、ツイートが伸びると、頭の悪いリプライがわんさか来る。Twitterにどれほどおびただしい数のバカが生息しているのか、普段はつい忘れてしまう。たまに伸びると思い出すことができる。

中島みゆきの名曲『テキーラを飲みほして』の中には「街はいくらでも落ちぶれるやり方の見本市」という歌詞が出てくるけれど、「Twitterはいくらでもバカの見本市」なのである。泥酔状態としか思えない知能の人がTwitterにはいっぱいいる。彼らは常時テキーラを飲みほしているのかもしれない


常時テキーラを飲みほしている人々


コメント 2020-06-07 170518

https://twitter.com/FUJI_0_SAN/status/1268232490012905477

「低いわ…」とすべきところを「低いは…」と間違っているし、「振り返れば」とすべきところを「振り替えれば」と間違っている

二文中二文に間違いがある。間違い文章率100%。この人はIQが低いのではなく、学力が極端に低い。小学校のテスト30点の実績はダテじゃない。



コメント 2020-06-07 171231

https://twitter.com/Nobody54170863/status/1268159541180420098

そうだね。今まさに「困窮状態では発揮できるパフォーマンスレベルが下る」という話をしているね。

なんでドヤ顔で「オレはもっと本質情報を言えるぜ!」って感じで出てきたのかな。まさにその話をしてるんだけど。


コメント 2020-06-07 172305

(https://twitter.com/yMGDEqjHJUs3CB6/status/1268381374701920256 )

「貧乏である⇒IQが低い」が仮に真だとしても、「裕福である⇒IQが高い」は全然真にならない。逆は必ずしも成立しないというのは論理の基本なんだけれど、アホは基本的な「論理と集合」を理解してないからすぐこういうことを言ってしまう。それはこの記事でも見た通りだ。


……と、こんな調子で、常時テキーラばりに頭の悪い人たちからたくさんのクソリプが来た。「IQテストなんてたかがテストでしょ?」と「人生はテストの結果で決まらない」的な話に持ち込もうとしてる人もいた。そうだね。君は幸せに生きてくれ。多分君はテストはできないんだろうけど、ぜひ幸せに生きてくれ。


さて、通知欄を駆け抜けていく大量の常時テキーラ飲みほしパーソンを見ながら、僕は少し楽しい気持ちになった。

このマガジンでは度々主張しているように、枯れ木も山の賑わいであり、バカこそがインターネットの賑わいなのである。僕は通知に目を通しながら「賑わってるな~」としみじみ思った。頭の悪いリプライに対して悲しんだり怒ったり対抗したりする人がよくいるが、アレは素人である。インターネットウォッチ玄人は「賑わってるな~」と趣を感じるのである。インターネットに湧いてくるバカな人たちの中にこそ、わび・さびがあるのだ。


インターネット花鳥風月

「わび・さび」は日本における根強い美意識だが、この「わび(侘び)」は、動詞「侘ぶ」から来ている。皆さんは「侘ぶ」の意味がおわかりだろうか。

「侘ぶ」には、「気落ちする」「迷惑がる」「心細く思う」などの意味がある。要するに「嫌だと思う」みたいな言葉である。

それがなぜ美意識として確立したかというと、不足・不十分の中に充足を見出すという茶道の精神があったからであろう。

岡倉天心はその著書『The Book Of Tea』の中で、「茶道の根本は‘不完全なもの’を敬う心にあり」と書いた。これこそまさに「侘び」の本質を端的に表している。我々が普段嫌だと思っている’不完全なもの’の中にこそ、充足を見出す。それこそが茶道の美意識である。


そういうワケで、頭の悪いリプライが来たときに嫌だと思っているようでは素人だ。茶道の美意識を理解している人なら、そこに充足を見出すことができる。「ああ~、バカがいっぱいいて落ち着くな~。わび・さびを感じるな~」と思うものである。バカの存在に趣を感じ始めると、インターネットが楽しくなる。ぜひ皆さんもこのインターネット茶道を始めると良いと思う。

インターネット茶道をちゃんと収めると、頭が悪い人からやってくるクソリプはクソリプではなくなる。むしろ趣を感じさせてくれる大事な存在であり、インターネット花鳥風月とも言うべき存在に昇華される。

「クソリプ」という言葉はちょっと下品で汚いので、今度から「インターネット花鳥風月」と言い換えることにしたらいいんじゃないだろうか。僕は自分ひとりでこの草の根運動をやっていこうと思う。「昨日インターネット花鳥風月がいっぱい来てさぁ…」と言っていこうと思う。ぜひ皆さんも採用して欲しい。


衝撃的すぎるトンネリングの威力

職業病ついインターネット花鳥風月の話を始めてしまったが、今日書きたかったのはこれではない。『欠乏の行動経済学』の内容についてである。ここから本題に入る。相変わらず本題に入るまでが長い。申し訳ない。


今日は、『欠乏の行動経済学』の内容に照らしながら、とある不幸な末路を辿った友人カップルの話を書きたいと思う。

だが、そのためには『欠乏の行動経済学』の内容を簡単にお伝えする必要がある。まずは簡単に本の内容を要約しようと思う。お付き合いいただきたい。


『欠乏の行動経済学』で指摘されている「欠乏時に起こること」は大きく分けて以下の3つだ。

①処理能力の減少 - 欠乏は「常に」「潜在意識レベルで」脳を”占拠”し、処理能力を奪っていく。(貧乏な時は明日の支払いのことを脳が無意識に考えるため、IQテストの結果が下がる)

②集中 - 欠乏は、差し迫った対象への集中を呼び起こす。これは良いことだ。(レポートの〆切間近の学生はレポートを夢中で書き続ける)

③トンネリング - ②の悪い面。集中しすぎてしまい、他のことや未来のことをおろそかにさせる。(レポートを夢中で書いている間は恋人からのLINEに気づかず、不機嫌にさせてしまう)

どれも「なんとなくそうだろうな」と思える話ではあるのだけど、予想外なのはその威力の大きさである。本の中では衝撃のデータがたくさん提示され、「欠乏とはなんと強力なのだろう」と驚く。

例えば、「③トンネリング」についてのデータは、消防士の死因についてである。

アメリカの消防士の死因の実に25%ほどが、交通事故によるものだそうだ。しかも、シートベルトをしていれば死ななかったであろう事故が多い。

消防車が急カーブを曲がった拍子に後部ドアが開き、乗っていた消防士が車から転がり落ちて道に頭をぶつけて死ぬことは珍しいことではないらしい。

言っちゃ悪いが、はっきり言ってバカみたいだ。絶対その死に方したくない。僕がその死に方をしたら、性格の悪い友人たちに爆笑されると思う。「あいつ道に頭ぶつけて死んだらしいwww」「火災現場で人を助けて死ぬなら本望だ!とか言ってたのにwww道でwww道で頭ぶつけてwwww浮かばれないwww」って言われると思う。(僕の友人は性格が悪い人が多い)


しかし、著者は言う。消防士がバカだからシートベルトをしないのではなく、問題なのは欠乏なのだ、と。

何しろ、消防士は必ず講習でこの事故死の統計を習う。シートベルトをしないことによって毎年たくさんの消防士が死んでいることを彼らは知っている。にも関わらず、実際彼らの多くがシートベルトをしない。

なぜなら、消防士はこの世の仕事の中でもトップクラスの「時間の欠乏」に直面するからだ。彼らは一刻も早く現場に到着する必要があり、到着後にはすぐさま消火や救助を行わなければいけない。移動中に考えることは山積みだ。燃えている建物の構造を把握し、進入と脱出の計画を考える……消防士はとんでもない規模の欠乏に襲われることになる。

すると、「③トンネリング」が起こる。火災現場に急行することや消火計画を考えることに脳が集中してしまい、シートベルトをしなくなるのだ。

しなくなる、と単に言うのでは不足かもしれない。本書では「シートベルトをすることは頭の片隅にもよぎらなくなる」と表現されている。トンネリングの威力はそれほどまでに強い。「今忙しいからシートベルトどころではない」などと考えることすらもできないのが欠乏によるトンネリングなのだ。

欠乏は無意識レベルで脳を占拠する。思考に影響を与えるだけではない。もっとずっと根本的なレベルで、認知を歪め、見えるものを変えるのだ。だからこそ、「トンネリング」という表現が使われている。我々は自分がいるトンネルの内側のものだけを見ることができる。トンネルの外にあるものはそもそも目に入らないのだ。


そのことをよく示しているのが、「私に見えたのはケーキだけ」研究というキャッチーなタイトルの研究である。

被験者はこの実験において、数十ミリ秒というごく短い時間だけスクリーンに表示される赤い点を発見するように要求された。

さらに、赤い点が表示される前には、やはり数十ミリ秒だけ気を散らすための画像が表示される。

さて、この実験を空腹の人と通常の人に行わせるとどうなるか?

画像が、当たり障りのないもの(自動車や建物や風景)だった場合、空腹でもそうでなくても、結果は変わらない。

だが、食べ物の画像にした場合、結果は一変する。空腹の人は食べ物の画像しか見えず、赤い点を発見できなくなる

繰り返すが、これはほんの数十ミリ秒、ごく一瞬の認知の話だ。「お腹が減った」とか「食べたい」とか、そういう思考が脳をよぎるよりも圧倒的に短い時間の話だ。

欠乏時の脳は一瞬の間に、勝手に認知を変化させるのである。


僕は正直、この「③トンネリング」の話を最初に読んだとき、「そりゃそうだろう。仕事がめちゃくちゃ忙しかったら、人はジムに行けない」と思った。だが、そういうレベルの話ではなかった。ジムに月謝を払っていることが完全に頭から抜け落ちるというレベルの話だったのだ。


貧困と近視眼

このあまりにも強力なトンネリングのために、人はしばしば近視眼的な発想に陥る。目の前のこと以外は気にならなくなるのだ。

だから、お金がない人は今差し迫った支払いのために、異常に金利が高い「給料日ローン」(給料日までの繋ぎローン)に手を出す。

そして、「そんなローンを借りたら来月はもっと困るのでは?」という妥当すぎる質問に対しては、理解どころか憤慨で返す。本書の内容を一部抜粋しよう。

借金するときに借り手に「どうやって返済する計画ですか?」と尋ねると、「えっと、一週間後に給料が入ります」というようないい加減な答えが返ってくる。さらにちょっと探る─「でもほかにも出費があるのでは?」─と、まるでこちらがわからず屋であるかのように憤慨する。「わかりませんか? 私は今月家賃を払わなくてはならないんです!」。言外の意味は「私はいまやらなくてはならないことに集中しているんです!」ということ。次の月の予算は現実感がなく、あとで注意を向ければいい。病院に急いでいるときは立派な目標などどうでもいいのと同じように、給料日ローンの長期的な経済的意味は、その瞬間にはどうでもいい

『欠乏の行動経済学』(早川書房) (Kindle 位置No.2117-2123).


この本を読むまで、僕は「借金地獄に陥っている人はバカなのだろう」と思っていた。

だが、この本から分かることは、必ずしもそうでないということだ。借金の問題点を十分理解した賢明な人でさえも、借金地獄にハマりうる。消防士がシートベルトの重要性を認識しながら事故死するのと同様に。あるいは、空腹の人はケーキを見てしまい赤い点を見落とすのと同様に。


さて、この借金地獄についての章を読んでいる間、僕はとある友人カップルのことを思い出していた。

彼らは、不幸な末路を辿ってしまった。そしてその末路が、借金地獄に落ちた人と重なった


ことわっておくが、彼らはお金が欠乏していたワケではなく、時間が欠乏していたワケでもない

あえて言うなら、欠乏していたのは”愛”なのではないかと思う。

だからといって、「愛がなかった2人が離れた」という月並みで簡単な話でもない。これは、まさにこの本で指摘されている”欠乏”が引き起こした現象なのだ、と思った。


『欠乏の行動経済学』で紹介されるデータはほとんどが「お金の欠乏」と「時間の欠乏」である。「愛の欠乏」などというテーマはほとんど扱っていない。

だが、著者も言うように、本書で解き明かされた欠乏のメカニズムは、あらゆることに敷衍できそうだ。そのためにまさにうってつけの事例が、この友人カップルだった。

だから、今日は彼らについて書いてみようと思う。いわば『欠乏の行動経済学』応用編である。


なお、当事者に読まれると友達が減ってしまう内容なので以下有料である。タイトルの「ビッグサンダー面従腹背」の意味も続きを読めば分かる。気になる方は是非課金して読んで欲しい。単品購入(300円)もできるが、定期購読(500円/月)がオススメだ。いつ定期購読を始めても今月書かれた記事は全部読める。6月は300円の記事が5本更新されるので大変オトクだよ。


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