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持続可能なエモーションとは何か。20代で訪れてしまった隠居についての分析。

4月18日、雨の土曜日は、静かな一日だった。

朝からの土砂降りは、外出の意欲を奪う。この日は大雨の影響か、新宿駅の利用者は86%減ったそうだ。悪天候の力を借りて、東京都は目標である「8割減」を初めて達成した形になった。人手が少ない、静かな土曜日だ。

夕方からは太陽が少し差して、雨音も止んだ。とても穏やかな夜がやってきた。

だけど、この夜、僕の心は穏やかではなかった。1つのWeb記事と、1件のイタズラ電話。ただそれだけで、ずいぶん騒がしい夜になってしまった。名状しがたい気持ちが湧き上がってきて、少しだけ眠れない夜だった。眠れない時間を使って、過去を思い出し、未来に思いを馳せた。


***


1つのWeb記事とは、これのことだ。

慶應義塾大学医学部に9年間通い続けた末に医者にならなかった異常な友人が書いた記事なのだが、すごく良かった。

ざっくり内容を要約すると

・過干渉な教育ママである母親によって育てられ、受験戦争をさせられ、幼少期を過ごした。
・そして慶應医学部に入ったが、自分は医者になりたい気持ちなどなかった。
・毎日苦しみながら大学を卒業した。医師国家試験はボイコットした。親のLINEもブロックして、家を出た。
・受験制度によって自分と家族は壊れてしまったから、受験制度を改革するために今後の人生を使いたいと思っている

みたいな話。記事は全部で5万文字くらいある上に、構成はグチャグチャで誤字脱字は大量、お世辞にも読みやすいとは言えない文章だ。

それでも、僕は夢中で読んだ。友人が自分の人生を詰め込んだ文章というのは、驚くほどの魅力がある。

というのも、文章の面白さというのは、文脈によって決まるからだ。「ありふれた愛の言葉でも、大好きな恋人にもらえれば嬉しい」みたいなことは往々にしてある。今回も然り。

僕は、あまり自分のことを語らない彼と4年間友人であり続けた。その4年間の節々で「なぜ彼はこんなに自分のことを語らないのだろう…?」とか「なぜ彼はこんなことにこだわるのだろう…?」とか、たくさんの疑問があった。(聞いてみてもいつもはぐらかされたので、あまり踏み込まないようにしていた)

その4年分の伏線が、今回の記事で全部回収された。これはすごい物語体験だった。実に気持ちいい。

伏線を張ってから回収するまでのスパンは、長ければ長いほど気持ちいい。伏線は多ければ多いほど気持ちいい。


僕は「嘘喰い」というマンガが大好きなのだけれど、このマンガの特徴はとにかく伏線が多いことだ。コミックス丸ごと2冊伏線みたいな時期もあり、連載中には「え??これ今何やってるの??どういうこと??」と読者を絶望させる期間がず~~~っっと続くこともあった。しかし、作者はいつも鮮やかに伏線を回収してくれるので、読者も「意味不明だけど読み続けよう」と、追随し続けた。これは美しい信頼関係だと思う。

信頼関係はどんどん醸成されていくので、連載が続けば続くほど伏線パラダイスは加速していく。最後の方はもう伏線に次ぐ伏線。伏線を張りすぎて、伏線がグチャグチャに絡まり倒してる。全49巻なんだけど、最後の勝負の伏線は30巻の段階で張られてるからね。連載期間に直すと大体5年前

皆憶えてんの???5年前の伏線憶えてる?最後の勝負が終わった段階で「ああ~~!5年前のあれはそういうことだったのか!」ってなるヤツいる????

しかも、めっちゃ分かりやすい伏線ならともかく、超細かいヤツだからね。こういうのだからね。

コメント 2020-04-19 171105


この最後のコマの「確か…」が伏線。いや、地味すぎるだろ……!皆絶対憶えてないって……!5年後に回収される伏線なんだからもっと派手にしておいてくれないと……!


作者、すごいワガママっぷりだ。5年後に回収される伏線なのに、全然強調してくれない。「伝える気が1%」みたいな世界観である。



しかし、よく訓練された読者はすごかった。ラストバトルの真相が明らかになった直後には割と皆すぐに「あの時の”確か…”はそういうことだったのか!」って言ってた。僕は全然憶えてなかったので「え??何?全員セリフ一言一句憶えてんの??何回読み返してたらそうなるの???」と大いに動揺したものである。


…メチャクチャ脱線してしまった。話を戻そう。


上の「慶應医学部」記事を書いた友人のことを、僕はいつも名字で「服部」と呼んでいる。だからここでもそう書こうと思う。

僕と服部は、妙な友人関係をちょうど4年間続けてきた。今となってはこの4年間は、ミステリーの前半部分のような、長い伏線を張る期間だったような気がする。

「嘘喰い」に出てくる5年越しの伏線も感動モノだったが、服部の4年越しの伏線にはやはりかなわない。実際に彼と交わした言葉は、圧倒的なリアリティと情報量をもって僕の記憶に保存されている。「確か…」みたいな些細なものが膨大に積み重なって、彼に対する印象を形成している。だからこそ、伏線回収の瞬間は劇的に荘厳だった。今回のnoteには痺れずにはいられなかった。


エモしんぼ

服部の記事は皆さんが読んでもそこそこに面白いものだと思うけれど、前述の通り、友人である僕には特別な文脈があって、もっと圧倒的に面白かった。

「エモい」という言葉はこういう時に使えばいいのか!という隔世の感すらあった。これこそが”エモい”だ。人生が凝縮されて伝わってくること。”エモい”は、こういう時に使うべきなんだ。

「ボロい家・部屋着の2人・洗濯物が干されたベランダ・缶コーヒー」みたいな今風の淡いミュージックビデオに使ってる場合じゃない。

コメント 2020-04-20 075150

マカロニえんぴつ『恋人ごっこ』より)


こんな大量生産された”エモい”を見て「うわっ、エモいな~」と言っていた自分が恥ずかしく思える。小手先の技術に頼ったエモさじゃん。海原雄山に怒られるタイプのエモさじゃん。


コメント 2020-04-20 081026

『美味しんぼ』8巻より引用)



エモしんぼ』があったら、大体こういう展開になるだろう。

山岡は「地味めの黒髪美女と塩顔のイケメンを起用し、しっかりお金をかけて作った映像」を提出するのに対し、海原雄山は「しょぼくれた無職の医学部卒が書いたグチャグチャの文章」を提出する。

先攻・山岡のミュージックビデオは審査員にも好評で、一見山岡の圧勝かと思われたが、後攻・海原雄山の番になると状況は一変する。

審査員は「エモい、ほんまエモい…」と涙を流して感動する。

コメント 2020-04-20 082838

『美味しんぼ』8巻より引用)

これに比べると山岡さんのミュージックビデオはカスや」と180度掌返しの暴言を食らう。


なんと、文章を書いたしょぼくれた医学部卒は、審査員の友人だったのだ!

コメント 2020-04-20 083416

『美味しんぼ』8巻より引用)

友人が書いたグチャグチャの文章には、圧倒的なエモさが宿る。審査員はそれで涙を流していたのだ。


そして、海原雄山は、「どこかの誰かがしっかり作ったミュージックビデオよりも、審査員の友人が感情を爆発させたnoteの方がエモいのだ!」みたいなことを言って終わりになる……。


『エモしんぼ』は大体そういうマンガなんじゃないでしょうか。

というか、僕はさっきから何を言ってるんでしょうか。『エモしんぼ』って何???



エモーションの持続可能性

脱線に次ぐ脱線で話が何にも進まない。調子が悪い。服部のnoteのエモさに触発されて思考が発散している。

とにかく、服部のnoteは最高にエモかったので、思わず「エモい…!ほんまエモい…!」という気持ちになり、投げ銭をしてメッセージをして、彼が今後やっていく教育系事業のディスカッションルームに入れてもらうことになった。


さて、僕は彼を心から応援しているし、彼の今後の事業の成功を祈ってもいるのだけれど、一方で「あんまり上手くいかないんじゃないかなぁ」とも思っている。


それは事業自体の困難性とか彼自身の能力とかそれ以前の話で、エモーションの持続可能性にある。

服部の中には今、「自分と自分の家族をグチャグチャにしてしまった受験制度への怒り」、すなわち、義憤がある。これこそが彼のエモーション(強い感情)に他ならない。しっかりしたエモーションがあるからこそ、エモい文章を書けたワケだ。

ところが、エモーションというのは時間が経つにつれて薄れていく傾向にある。自分が当事者でなくなってからも義憤を抱え続けられる人は、めったにいない。


自動車免許の筆記試験

卑近な例を出そう。僕は大学生の時、自動車の免許を取るために教習所に通っていた。

そこで、免許を取るための筆記試験の醜悪さをまざまざと目にすることになった。例えば、こんな問題だ。


夜道は暗くて危ないので、気をつけて運転しなければならない


この問に対して○☓で答えなければならない。みなさんは正しく回答できるだろうか?ちょっと正解を頭に浮かべてほしい。理由と一緒に。



……


………


正解は、☓である。理由は「夜だろうが昼だろうが道は危険なので気をつけて運転しなければならない」からだ。

僕は初めてこの問題を見たとき、愕然とした。作問者の頭が悪すぎる


高校一年生の数学で「論理と命題」というテーマを扱うが、そこに必ず載っているのが「ベン図」という図だ。

ベン図シンプル_アートボード 1

これは、集合の包含関係を示すために用いられる。

この図が示すところは簡単だ。人間は「哺乳類」の中に含まれている。

したがって、「人間であれば哺乳類である」は正しいが、「哺乳類であれば人間である」は正しくない

このように、”集合の包含関係をきちんと確認して、論理的に正しいかどうかをちゃんと判断しましょう”というのが、論理的思考の初歩中の初歩である。

※ちなみに、インターネットにはこの初歩中の初歩ができずに、「人間であれば哺乳類なんだから、哺乳類であれば人間だろうが!!」と怒っている人が散見される。僕はそういう人を「教育の敗北」と呼んでいる。


さて、この「教育の敗北」の皆様は、インターネットでギャンギャン騒いでる分にはそれほど社会にインパクトを与えないから野放しにしておいてもいいと思うのだけれど、なぜか大いにインパクトを与え続けている領域が一つある。それが「運転免許の学科試験」である。

先ほどの問題を再掲しよう。


夜道は暗くて危ないので、気をつけて運転しなければならない


そして、出題者が真実であるとしている「昼も夜も道を運転することは常に危ない」を、ベン図に直すとこうなる。


ベン図夜道_アートボード 1


したがって、「夜道は危ない」は正しい

設問に対する論理的に正しい回答は○である。

しかし、運転免許の学科試験ではこの論理的に正しい回答が通用しない。作問者は基本的な集合と論理を理解していない

すなわち、「教育の敗北」が教育者側に回ってしまったのだ。たまに、「インフルエンサーになる方法教えます!」と言ってるヤツのフォロワーが200人で地獄みたいなことがあるが、免許試験においてはあの地獄が国家ぐるみで行われているワケだ。これは大いにヤバいことである。しかも、何十年も改正されていないのだから驚きだ。

運転免許を取ろうとする人は誰でも、論理的に正しくない答えを書くことを要求される。この作業は日本人の論理に対する意識を著しく下げ、論理的思考から遠ざけている。マジメな話、あの筆記試験のせいで日本の国力が少し下がっていると思う。

僕はこれに対して大いに腹を立てており、マジメに「運転免許学科試験の改正を求める会」みたいなのを作ろうかと考えていた。幸い、大学生の僕には時間が大量にあったし、社会運動みたいなものをやりたい気持ちもあったからだ。


……が、免許を取った後にはすっかりどうでもよくなってしまった。「どうせ僕はもう試験を受けることもないしな」と思った。

これは、エモーションの定番着地パターンな気がする。自分が渦中にいる間は「何としてもこの問題を根絶せねばならぬ」と怒っているのだけれど、自分がいざ問題から脱出するとどうでもよくなってしまう。


この世の大抵の問題は、根絶するよりも自分が脱出する方がたやすい

そして、脱出してしまった人は、時が経つにつれて義憤が薄れていく。「なぜもう関係ないオレがこんなに必死で問題を根絶しなければならないんだ…?」と考えるようになっていく。義憤というエモーションを維持し続けられる人はほとんどいない。

服部もきっとそうなると思う。今までは学生として常に親の意向に振り回されていたし、親との関係も断ち切れずにいた。彼は卒業してやっと自由になったワケだが、そうなると義憤の炎は徐々に弱まらざるをえない。


エモーションの残り火としての、イタズラ電話

服部のnoteを読み終わった僕は、彼の未来に思いを馳せた。卒業後、彼はどうなっていくのだろうか……と考えている時、突然電話が鳴り出した。ディスプレイには080から始まる知らない番号が表示されている。

出てみると、10代後半くらいと思われる男が半笑いで話しかけてきた。

「メントスコーラやってみてくださいよぉwww」


ずいぶん久しぶりのイタズラ電話だ、と思った。僕は3年くらい前までインターネットに電話番号をはじめとする大量の個人情報を公開していたので、一時期は頻繁にワケの分からない電話がかかってきていた。

最近は積極的に公開していないが、ことさらに消す努力も払っていないので、インターネットのそこかしこに僕の番号は残っているらしい。


そういえば、大学卒業直後の僕は、ずいぶんエモーションが燃えていた、と思い出した。このイタズラ電話は、その残り火だ。

僕がたどってきた道と、これから服部がたどる道は、同じなのかもしれないなと思った。イタズラ電話をきっかけに思い出した自分の過去と、記事を読んで思いを馳せた服部の未来が、重なるような気がした。


消えてしまったエモーション

僕は今もう「社会に対して何か働きかけたい」みたいな気持ちはほとんど持っていない。エモーションが全くないのだ。好きな本を読み、好きな文章を書き、生活が維持されていればそれでいい。

僕の生活を漢字2文字で表現するなら”隠居”がふさわしい。


だけど大学卒業直後は、ワケの分からないエモーションに突き動かされていた。人はエモーションがなければネット芸人になどならない。普通の進路を歩むはずだ。

僕が就職もしないでネット芸人になったのは、強烈なエモーションの力に他ならない。(皆さんはご存じないかもしれないが、推薦で進学が決まっていた大学院の入学を辞退し、それを教授に報告する激烈な気まずさに耐えるためには、相当大きなエモーションが必要なのだ)


それでは僕は大学卒業後はどんなエモーションを持っていて、なぜそれが失われていったのか。痛々しく薄っぺらい自分の過去を紐解くのは大変なのだけれど、この機会に書いてみようと思う。

そして、友人である服部が目的である「受験システムの破壊」を成し遂げるには何が必要なのか。換言すれば、持続可能なエモーションとは何なのか、という話に触れていきたいと思う。

なお、痛々しく薄っぺらい自分の過去を書くので、以下有料になる。単品購入(300円)もできるが、定期購読(500円/月)がオススメだ。いつ入ってもその月書かれた記事は全部読めるのでオトクだよ。


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