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テントに住民票を移そうとして公務員を困らせちゃった話-あとインテリ悪口のマルシェ。


社会学者ロバート・K・マートンが書いた『社会理論と社会構造』を読んだ。


この本の第2部第6章『ビューロクラシーの構造とパースナリティ』は、官僚制の問題を指摘している。

「官僚制の問題を指摘している」と書くと難しそうに聞こえるが、有り体に言うと公務員に使える悪口が紹介されているのである。


目下、僕は『インテリ悪口ハンドブック(仮題)』なる本を書いており、そのネタに使えそうだなと思って読んだところ、想像を遥かに超える収穫量だった。

狙いは官僚制の部分だったのだが、それ以外のところにもセンスの良い悪口がゴロゴロ転がっていた。この著者、人をテクニカルにバカにすることに喜びを覚えている節がある。同類の臭いがする。


例えば、著者は冒頭で「現在の社会学のダメなところ」を指摘している。

それは、「学説と学説史を混同していること」だそうだ。

他のあらゆる学問は、学問の歴史と学問事実を混同していない。ニュートンは「泥から金が生み出せる」と信じて錬金術の研究に明け暮れていたけれど、それが可能だと思っている科学者は現代にはいない。ニュートンの輝かしい発見を尊重することと、ニュートンを妄信することとは全く違う。学問と学説史は完全に区別されている。

しかし、社会学については混同されている、と著者は言う。そして警鐘を鳴らす。学説史を事実として信じてはいけない、と。

学説史には、経験的なテストに直面して微塵に粉砕されてしまった概念の巨大な塊りが記述されている。そこには誤った出発点があり、陳腐な教説があり、過去の結実することのない誤謬がある

(『社会理論と社会構造』 p3)


まだ3ページ目なのにだいぶギアが上がっている感じがある。「学説史を信じちゃダメだよ!」って説明するだけなんだから、こんなにボロクソ言わなくてもいいじゃん。「微塵に粉砕されてしまった概念の巨大な塊り」とか、わざわざ言わなくていいじゃん。

ともかく、一事が万事こんな調子なので、痺れる名フレーズがたくさん出てくる。マジメな学術書だが、面白半分にパラパラ読むのにも向いているかもしれない。途中で用語の厳密な定義について論じている部分などもあるが、そこはつまらないので飛ばしていいと思う(多分そういう読み方をすべき本ではないのだが、効率よくインテリ悪口を探したい我々はそういう読み方をするしかない


で、肝心の『ビューロクラシーの構造とパースナリティ』だが、期待を裏切らず、抜群に面白かった。

公務員に対して使えそうな悪口語彙が豊富に紹介されていて、「しまった。収穫量が多すぎる」となってしまった。

『インテリ悪口ハンドブック(仮題)』は色々なタネ本から悪口を引っ張って来るつまみ食い本なのであって、『社会理論と社会構造』1冊から膨らませすぎるのはよくない。したがってサラリと使用して終わったのだが、収穫した量に対して、書いた量が見合ってない。いわば在庫が余っているのだ。

農家が「今年は予想以上に豊作になってしまった」と言いながら大量の野菜を廃棄するニュースを見ることがあるが、僕は今アレと同じ気持ちだ。インテリ悪口も豊作すぎると処分しなければいけないのだ。


……いや、待ってほしい。収穫した野菜を市場の流通網には乗せられなかったが、地元のマルシェとかで手売りすることはできるんじゃないか。

せっかく収穫したインテリ悪口を廃棄するのは忍びない。皆さんの食卓に届けたい。今日はそういう気持ちで記事を書こうと思う。インテリ悪口の産地直売マルシェである。

もちろん、無料部分ではちょっと書きにくい実例も出しながら、収穫したインテリ悪口を活用していこうと思う。

途中から有料になるので、続きが気になる方は課金して読んで欲しい。単品購入(300円)もできるが、定期購読(500円/月)がオススメだ。いつ入っても今月書かれた記事は全部読める。6月は4本更新なのでバラバラに買うより2.4倍オトク。先週書いたひどすぎるM&A失敗案件の記事がたいへん好評だったので、定期購読してそちらも読んでいただけると幸いだ。


それでは、本論に入ろう。


ビューロクラシー(官僚制)とは

前述の通り、著者は「ビューロクラシー(官僚制)」の残念なところを指摘しているのだけれど、まずこの「官僚制」という言葉の意味を確認したい。

「官僚」というとエリート国家公務員を思い浮かべる人も多いが、ここでいう「官僚制」は単に「序列がハッキリしていて規則がガッチリ守られるピラミッド型の大組織」ぐらいの意味である。軍隊とかもそうだし、地方公務員もそうだ。旧態依然とした大企業だって官僚制の組織だと言えるだろう。

著者が扱っている「官僚制」はこういった制度全般のことだが、特に典型的な例として、役所の公務員とかを念頭に置いて読んでもらえると分かりやすいだろう。ここから先、僕もそのつもりで書く。


官僚制には良いこともたくさんある。厳格な規則の中で仕事が遂行されるので、担当者の個人差に関係なく職務が行われる。僕たちが役所に行ってちゃんと書類を出せば、ちゃんと書類は処理されるのである。

A市からB市に引っ越すための書類を出したとしよう。書類に不備がなければ、僕らの住民票は問題なく移動できる。A市の担当者とB市の担当者が犬猿の仲で書類を渡すのを嫌がり、引っ越しが完了できないみたいな経験をお持ちの方は恐らくいないだろう。これは官僚制のお陰だ。担当者の能力や人間関係とは無縁の「規則」によってのみ業務が遂行される。ビバ官僚制。今日も明日も、転出届は淡々と処理され続けるのである。


一方、官僚制には問題点もある。これは皆さんもよくご存知だろう。「お役所仕事」という言葉が存在するくらい、役所は決まった処理しかしてくれないのだ。


お役所仕事に対して使える悪口

役所について、典型的な思い出話をしよう。

僕は昔、「月額会員制村作りサービス」という意味の分からないジャンルで起業したことがある。

有り体に言うと「月額6200円を支払うと山奥の土地を使い放題!村作りがいつでも楽しめるよ!」というものだった。クラウドファンディングで総額300万円くらい集めるなどして話題になったが、すごい勢いで失速して一年で倒産した。世の中はつくづく諸行無常である。

自分の経営者としての無能さを痛感した一年であり、薄暗い部屋でインテリ悪口を書いて生活している方が性に合っているな、と学んだ一年であった。


この期間に起こった印象的なできごとがある。

それは、「住民票を移すのに2時間以上かかった」というレア体験だ。

これを聞いて「なんだ、そんなのよくあるじゃん。引っ越しシーズンなら役所は混んでるよね」と考えたかもしれない。違う。待ち時間が2時間あったのではなく、書類を受理してもらうのに2時間以上かかったのだ。

なぜそんなに長時間を要したのか。どうやら、家がないことが問題だったようだ。

「現代人は家に住んでいる」というのは、かなり広く浸透した常識である。

「どこに住んでるの?」と聞かれることはあっても、「何に住んでるの?」と聞かれることはない。我々は皆、「家に住んでいる」ことを暗黙の了解として社会生活を送っている

しかし、この時の僕は違った。「何もない山奥にゼロから村を作る」というコンセプトの事業をやるので、家がないだだっ広い土地に引っ越そうとしていた。当面はテントで暮らそうと思っていた。

テントに住民票を移そうとする酔狂な人間は多くないらしく、担当してくれた市役所の女性は大いに困惑することになった。


「転入届書きました!よろしくお願いします!」

「はい。少々お待ち下さい~(書類を持って笑顔で席を立つ)」


ここまでは当たり前のやり取りだった。担当の女性はルーチンワークを処理するべく笑顔で行動していたし、僕も「10分で終わるだろう」と余裕ぶっこいていた。

しかし、彼女の動きを見ていると、「どうやら一筋縄ではいかないらしい」ということが分かった。パソコンを操作していた彼女は、怪訝な顔で戻ってきた。


「あの、書いてもらった住所なんですけど……家、ないですよね?」

「ないですね」

家がないところには住めませんよね?住民票は移動できないです……」


住民票を移す気満々の僕は、「家がないとムリ」と切って捨てられそうになってしまった。彼女もまた、「現代人は家に住んでいる」という常識を持っているのだ。


この時の僕は「おいおい!!困るぜ!!」と思った。あの時は良いインテリ悪口の持ち合わせがなかったので、慌ててしまった。

しかし、『社会理論と社会構造』を読んだ後の僕は違う。こういう時にピッタリなインテリ悪口を持っているので、落ち着いて小バカにできる。


「出た出た。訓練された無能力だ」。

こう考えるのが正しい。


訓練された無能力

訓練された無能力」とは、著者が真っ先に指摘している官僚制のデメリットである。

官僚制の下で働く人はルーチンワークを完璧にこなすように訓練されているが、その訓練がかえって無能を招くと言うのである。


そして、この話を説明する時は結構ひどい比喩を使っている。引用しよう。


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