人は、人権を撤廃したらどうなるのか。あと進撃の巨人の話。

前回の内容はこちら。

結城さん

先の奴隷貿易についての議論、非常にスマートで冷静な回答をありがとうございます。が、僕の踏み込みたかったレベル感の答えではないので、もうちょっと掘ってみます。

「奴隷貿易は規制されるべき」という感覚の根源を探ると、確かに「人には人権があり、子どもの人権は親ではなく子ども本人に属する」という共通理解(これを以後、共通理解Aと呼びます)があるからのようです。

しかしこれは”「奴隷貿易は規制されるべき」であると我々が考えてしまう理由”であり、”「奴隷貿易は規制されるべき」である理由”ではないと思いました。

なぜなら、共通理解Aは絶対の真理ではなく、我々が形成してきた共通理解にすぎないからです。

かつて、「黒人は劣等人種である」という共通理解を基準として、「黒人は差別されるべき」であるという結論が存在しましたが、この共通理解は撤廃され、結論も翻りました。

とすれば、共通理解Aも撤廃され、「奴隷貿易は規制されるべき」という結論も翻るのではないでしょうか。


ということで、結論「奴隷貿易は規制されるべき」を疑ってしまった僕は、共通理解Aも疑っていますから、共通理解Aを根拠に結論を信じることはできません。


……と、文句を言ってばかりで生産性のないヤツみたいになってしまうので、共通理解Aの妥当性を考えてみたいと思います。

復習。共通理解Aの内容は「人には人権があり、子どもの人権は親ではなく子ども本人に属する」でした。

この共通理解Aが撤廃されるとしたら、3つのパターンがありそうです。

①すべての人には人権がない(人権の撤廃)

②子どもの人権は親に属する(人権保有者の変更)

③子どもには人権がない、特定の年齢で人権を獲得する(人権保有条件の変更)


3つのパターンにそれぞれ検討を加える……みたいなことはダルいのでやりたくありません。

僕は最もドラスティックな①について考察してみます。②と③の処遇は結城さんにおまかせします。気が向いたら考察してください。向かなかったらスルーしてください。


もしも人権がなかったら

さて、①の人権撤廃後の社会について考えてみます。

人権が「ない」とはどういう状態なのか。

それは、主人と奴隷に分かれる世の中です。

人間に人権がないので、仮に一度誰かに所有されてしまったら、奴隷の権利は全く存在しません。奴隷を酷使するのも、甘やかすのも、死なせてしまうのも所有者の自由です。

もちろん、良い主人であれば「一日のうち15時間は自由にしていてよい」というような権利っぽいものを奴隷に与えるかもしれませんが、これはあくまで主人の気まぐれな自由意志によるもので、奴隷が主張できる権利ではありません。主人の気が変わったらそれまでです。


さて、この世の中が実際に良いのか悪いのか……。ちょっとよく分からないですね。

一見すると「悪そう」なんですが、奴隷が雑務をやってくれるお陰でインテリは政治や学問に集中できるというアリストテレスの奴隷肯定論もあります。アリストテレスの主張も一理ありそうです。もしかしたら、この人権撤廃世界の方が人類の生産高が大きくなるかもしれません。実際、古代ギリシャではめざましく学問が発展していたわけですから。

世の中の「良さ」を何で測定するかという問題は大いに難しいですが、例えばGDPで測るという発想があります。GDPで測る場合は、人権撤廃世界は「良い」ということになるのかも……。

ただし、人権撤廃世界は「努力が報われない世界」ということにもなりそうです。奴隷は一生奴隷で、這い上がるシステムが用意されていません。

世の中の「良さ」を、【人類の感じる幸せの総量】で測定する場合(僕の好きな測定方法です)、奴隷たちが大いに不幸になる人権撤廃世界は「悪い」ということにもなりそうです。


……長いこと書きましたが、結局人権撤廃世界、あまり良くなさそうです。人権はあった方が良いんでしょうね。

今回考慮しなかった②や③であまり上手くいく感じもしないですし、共通理解Aはまあまあ妥当といえるのでしょう。

……以上、自分でふっかけておいて自分で納得するスタイルですみませんが、そんなことを考えました。補足などありましたら教えてください。


進撃の巨人

全然話が変わりますが、一昨日、マンガ「進撃の巨人」をすべて読みました。

激烈に流行った頃(恐らく既刊が4巻くらいだった頃)に読んで、「風呂敷を広げるだけ広げて、畳めずに終わりそうだな」と思いました。

が、改めて既刊25巻を一気読みしてみると、非常によくできたマンガでした。ちゃんと伏線もキレイに回収していく、よく練られた構成です。結城さんは読んでいますか?

感心したポイントを簡潔に言うと、巨人という得体の知れないものと必死で戦い続けて、少し情報を得て、少し希望が見えてきて、でも希望に向かってみると結局絶望しか待っていない、という地獄のような構造の見せ方が実に巧みです。

これに近いもの、実社会でも多いよな、と思います。

ある問題を解決するテクノロジーが発展すると、また別の問題が見えてくる、それを解消するためのテクノロジーが発展すると、また別の問題が……とかね。

また、”巨人”という得体の知れないものを追っていった結果、その先にあるのが結局”人間”であるというのも非常にリアルです。(読んでない場合はネタバレですがこの解像度は許して下さい)


謎が解けかけた時に見える”希望”、解く度に出現する”絶望”、それでも戦い続けなければならない”人生”、そして全ての問題の元凶となる”人間”

生きることに肉薄した、本当に良いマンガだなと思いました。読んでなければこの機会に読むことを心よりオススメします。

いや、ホントに脈絡なく進撃の巨人の話を始めてしまってすみません。面白かったので誰かにこの感動を伝えたかったのです。


2018年4月23日 堀元

P.S. マンガの読みすぎで今月末締めの会社の経理が終わりません。

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