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記事が公開前に腐ってしまった話-飽きっぽさで小供の時から損ばかりしている

「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」というのはあまりにも有名な『坊っちゃん』の冒頭である。


『坊っちゃん』に登場する主人公はたしかに無鉄砲であり損をする性格だ。物語のラストでは、彼は正義に反する教頭をボコボコにして教師の仕事を失ってしまう

彼は曲がったことが許せない。気に入らない相手には直情的に食って掛かり、後先考えずに戦いを始めてしまう。彼の生きづらい性格には思わずため息が出る。読みながら「愚かだな」とか「もう少し何とか器用に生きればいいのに」とか思いっぱなしである。

だが、その真っ直ぐな生き方にはどこか心を掴まれてしまうフシもある。愛されるキャラクターと言えるのかもしれない。『坊っちゃん』は夏目漱石の作品の中でもトップクラスに読まれているが、それはこの主人公のキャラクター性によるところが大きいと僕は思う。


とはいえ、無鉄砲というか単に人格に問題があるのではないかと思うシーンも多い。


(兄と)ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付けた。おやじがおれを勘当すると言い出した。

夏目漱石.坊っちゃん(Kindleの位置No.74-79).青空文庫.Kindle版.


「待駒」というのは将棋において「敵の王将の通り道になりそうなところに駒を置いておく(逃げられないようにする)」ことだが、立派な戦術の一つである。

それに対して腹を立てて「飛車を眉間へ擲きつける」のは完全に八つ当たりである。無鉄砲というか、単にメチャクチャな理由で怒る危ない人だ。


あと、将棋の駒ってめちゃくちゃ軽いと思いんだけど、「飛車」を投げつけただけで眉間が割れるってパワーヤバくない???

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主人公のすごさは無鉄砲さよりもパワーなのではないかという気がする。

父親はこの事件を受けて「勘当する」と言い出したらしいが、問題だったのは主人公の行いよりもむしろパワーの方なんじゃないか。

「ええ…!?こいつ将棋の駒投げて眉間割ったの…!?ゴリラかよ……?怖っ……!もうこいつ近くにいて欲しくないわ。勘当しよ……」

父親の真意はこっちだったのかもしれない。「危険だから一緒にいて欲しくない」なのかもしれない。ちょっと将棋でカッとなっただけなのに人を傷つけてしまう悲しき腕力……。ほぼシザーハンズ


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(映画『シザーハンズ』より)


飽きっぽさが招く損害

さて、『坊っちゃん』の主人公は無鉄砲のせいで(あるいは腕力のせいで)いつも損ばかりしているワケだが、僕はというと飽きっぽさのせいでいつも損ばかりしている。

そう。「飽きっぽい」という性質は極めて損を招きやすい。何しろ、畑を耕して種を撒いた後、あと一ヶ月で収穫だという段階で飽きることがあるのだから。畑を耕した労力や種を買ったお金などは丸損である。

いや、分かっている。僕も皆さんの主張は分かっている。そこまでやったなら収穫まで頑張れよという話は僕も分かっているのだ。仮にこれが本当に農産物なのだとしたら、僕はどうにか気合を振り絞って収穫までやると思う。何しろ、農産物は今収穫しないとダメになってしまう

ところが、世の中の大体のものはそうではない。「またやりたくなった時にやればいいか」という保留が効いてしまうのだ。「ここまで作ったけど、ちょっと飽きてきたからまた気が向いた時にやろう」と思ってしまうのだ。これが作りかけのものを放置してしまう典型的なパターンだ。

僕のPCには大量の「作りかけのもの」が放置されている。300時間くらい投じた作りかけのWebサービスとか、400時間くらい投じた作りかけのゲームとかが放置されている。今でも「いつか完成させよう」と思っているのだが、多分完成するよりも僕が死ぬ方が早いと思う。


そして、これらの「放置されているもの」の中で最も残念なものが1つある。とあるブログ記事である。自分のブログで公開するために書いたものだ。

この記事には結構手間とお金がかかっている。ちゃんとプロのカメラマンに撮影をお願いし、出演者にもギャラを出した。全て自腹である。

執筆にも9時間くらいかかったし、かなり丁寧に書いた。気に入っている記事だ。記事自体は完成している。

だが、結局公開はしていない

これは非常に珍しいケースだ。「作りかけで放置しているもの」は数多くあれど、「完成しているのに放置しているもの」はほとんどない。僕は承認欲求の塊なので、作ったものは見てもらいたくて仕方ないのである。


「実は農産物だったパターン」もある

ではなぜ公開していないのかというと、この記事は実は農産物だったからだ。

記事を書き上げた後、僕は公開前にちょっとした作業をやりたいと考えていた。ちょっとした作業をやった後で公開した方が意味がある記事だったのだ。

ところが僕は記事を書き上げた段階で燃え尽きてしまい、このちょっとした作業をやる気にならなかった。飽きてしまったと言い換えてもいい。

その時に僕が考えたことはこうだ。「まあさすがにここまで完成に近づいたから放置はありえないな。一ヶ月後までにはやる気を絞り出して作業して公開しよう」である。農産物と違って、Web上の記事は腐ったりしない。次にやる気が出るまでしばらく寝かせても大丈夫なはずである。


そして一ヶ月後、そろそろやる気絞り出して作業するか~と思い始めた頃には、この記事はだいぶ腐っていた

「うわ~、腐ってんじゃん。マジかよ……」とガッカリしつつ、絞り出せそうだった僕のやる気は完全に消滅してしまった。

そこからやる気が出ないまま更に一ヶ月が経ち、この記事は完全に腐り落ちてしまった。この時点で永遠に日の目を見ないことが確定した。

そう、残念ながら、保留が効くと思ったら実は農産物だったというケースもたまにある。

今日はそんな悲しいケースの紹介を兼ねて、腐ってしまった記事を供養しようと思う。記事の全文を改めて掲載し、その後になぜこの記事が腐ってしまったのか、公開できなくなった理由について触れようと思う。


ちなみに、記事自体は腐ってしまったとはいえ、腐ってしまったのは面白さに関する部分の要素ではない。普通にライトなおもしろ記事として楽しんで頂けると思う。普段はそれなりの原稿料を頂きながら広告記事を書いている僕が頑張って書いたものなので、ぜひ皆さんに楽しんで頂きたい。

そして、記事が終わった後に「ウラ話」的にダメになった理由を楽しんで頂ける。一粒で二度美味しい記事である。興味がある方はぜひ課金して読んで欲しい。

ということで、以下有料になる。単品購入(300円)もできるが、定期購読(500円/月)がオススメだ。いつ入ってもその月に書かれた記事は全部読める。8月は5本更新なので3倍オトクだ。ぜひ定期購読を検討されたい。


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