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リスナー30万人のラジオパーソナリティが教える「異色の会話術」【ビジネス書】


衝動的にビジネス書を書きたくなったので、今日は試しに書いてみることにした。

以前「ビジネス書っぽい雰囲気でビジネス書をバカにするネタ本」を書いたことはあるのだけれど、本気でビジネス書を書いたことはないので、一度マジで書いてみようと思う。

ビジネス書っぽい文体と構成をやりにいくけれど、主張の内容自体は僕がホントに思っているものだ。「堀元見がビジネス書を書くとこうなる」という感じでお読みください。


はじめに-異色の会話術

当たり障りのない会話を続けていても、人と仲良くなれる気がしない──。

1ミリもおもしろくない会話を続ける時間が苦痛でしかたない──。

世にある「会話術本」を読んでも、会話が楽しくならない──。


本書は、そんなあなたのために書かれた「異色の会話術」です。

上京したての大学生の頃、自分のコミュニケーション能力に不安を抱えた僕は、会話術の本を狂ったように読みました。

それらの本には、たいてい同じことが書いてあります。「とにかく質問をしましょう」「自分の話ではなく、相手の話を聞き出しましょう」「話し上手は聞き上手」といったノウハウです。会話術を冠する本には、ほぼ間違いなく「質問をたくさんせよ」と書いてあります。いわば「質問至上主義」がこの世界には蔓延しています。

あえて断言しましょう。これは真っ赤なウソです。僕はこの質問至上主義を捨ててから、生きるのがグッと楽しくなりました。つまらない会話を延々続けるあの苦痛から解放され、上っ面だけの人間関係を維持する労力を割く必要もなくなりました。人生が変わったのです。

世にはびこる質問至上主義に警鐘を鳴らし、駆逐するために、本書を書きました。最後までお読みくださった皆さんの会話が楽しくなり、人生が豊かになることを、祈っています。


会話嫌いの大学生が、会話のプロになった

僕は、「ゆる言語学ラジオ」というネットラジオをやっています。基本的には相方とふたりで好きな話をしているだけなのですが、ありがたいことに30万人のリスナーを獲得して、それだけで十分食えるようになりました。いわば「会話のプロ」です(自称するのは恥ずかしいですが……)。

ラジオをやるのはとても楽しいです。話している時間も楽しいですし、聴いてくださった何万という皆さんが「おもしろかった!」と感想やおたよりをくれるのがすごく嬉しく、やりがいを感じます。

そんなワケで、今では会話が楽しくてしかたない僕ですが、大学生の頃はいつも、「人との会話がつまらない」と感じていました。

人と話していなかったワケではありません。むしろ、人一倍たくさん会話をしていました。当時の僕は学生団体のリーダーを務めていましたから、毎日多くの人に会って話していました。

しかし、たいていの人との会話はつまらなかったのです。おもしろいと感じられるのはごくごく親しい数人だけで、それ以外の数百人との会話はイマイチ楽しめませんでした。

つまらなかった理由は明白です。とにかく相手の話を聞こうとしていたからです。必死で会話術の本を読み漁り、質問至上主義に染め上げられてしまっていた僕は、相手にひたすら質問を続けるクセがあったのです。

当時の僕の、初対面の人との典型的な会話を書き起こしてみましょう。たとえば、立食パーティで偶然目が合ったAさんと話すとします。そのときの会話はこんな感じ。


僕「こんにちは~! はじめまして! 堀元です!」

Aさん「はじめまして~! Aです!」

僕「何されてる方なんですか?」

A「あ、◯◯大学の4年生です」

僕「へえ~!学部はどちらですか?」

A「人間科学部です」

僕「人間科学部っていう学部あるんですね(笑)、何やるんですか?」

A「よく言われます(笑)。なんか何でもやってる学部なんですけど、私は環境問題みたいなことやってます」

僕「へえ~、どうすれば地球温暖化は防げるんだ、みたいなことですか?」

A「あ、そうそう、そんな感じです」

僕「エラいですね! 昔から環境問題に興味あったんですか?」

A「うーん、そうでもないんですけど、大学入ってから結構気になってきましたね」

僕「ボランティアとかもしてるんですかね? そういう人ってボランティアするイメージがあるんですが」

A「あ、してますしてます。□□っていうインカレのボランティアサークルで、結構いろいろやってますよ」

僕「何やるんですか? ゴミ拾いとか?」

A「そういうのもしますし、他には………


この会話例を見て、皆さんはどう思ったでしょう?

「そこそこ良い感じに話が展開している」と思った人もいらっしゃると思います。実際、世間にたくさんある「会話術」系の本を読んでいると、こういうのが「理想の雑談」として紹介されていることがままあります。

しかし、この会話は断じて、断じて理想の雑談などではありません。ただ場を保たせるだけのカス雑談です。

何が問題なのでしょうか?

最大の問題は、「興味がないことを聞いている」点です。正直に言うと、僕は環境サークル□□の活動内容にまったく興味がありません。しかし、ただ会話を途切れさせないためにこれを聞いていました。会話自体が問題というより、会話をしている僕の心の中が問題なのです。

ここに、本書「異色の会話術」の特徴があります。見かけ上の会話が上手くいっているかどうかではなく、心から会話を楽しめているかどうかを重視します。

通常の会話術の本では、しばしば「いい感じに会話のキャッチボールができること」がゴールとして設定されています。

しかし、僕はこれを適切なゴールだとは考えません。「いい感じのキャッチボール」はそれほど人生を豊かにしないからです。場合によっては、害悪ですらあります。

だから、本書はゴールとしての「いい感じのキャッチボール」を捨てます。代わりに、「会話を心から楽しむこと」をゴールにします。さらに、その結果として「人生が楽しくなること」が究極のゴールです。大げさだと思われたでしょうか。僕は実際に、この会話術を身につけてから、会話が心から楽しくなり、人生が心から楽しくなりました。

見かけ上いい感じのキャッチボールをするのはやめましょう。そのボールはどこかに投げ捨てて、今すぐ本当の会話を始めましょう。


質問至上主義は大ウソ-お前と喋るよりアキネーターと喋るわ!

僕はかつて、あまりにもひどい雑談をしている人を見たことがあります。結婚式で偶然同席した、初対面のふたりの会話でした。


「趣味はなんですか?」

「あ、旅行です」

「いいですね。最近どこに行かれたんですか?」

「えーっと、香川県に行きました」

「おー、うどん食べました?」

「はい、食べました」

「美味しかったですか?」

「美味しかったです」

「他には何を食べました?」


僕はこれを見て思いました。アキネーターかよ、と。

片方がどうでもいいことを延々質問し続けて、もう片方が淡々と答え続ける。聞く方も聞かれる方も全然楽しくない、地獄の一問一答。

誠に残念なことに、巷に氾濫する「会話術」系の本を読んで実践する人は、アキネーターになってしまいがちです。

僕の観測事例の中では「陰キャで高学歴の人が、後天的にコミュ力を身につけようとして本を読んだ結果、アキネーターになる」というケースが圧倒的に多いです。何を隠そう、かつての僕もこのタイプでした。勉強が得意な人はマニュアルに書いてあることを真に受けるので、本に書いてあることをそのまま実践するのです。そしてアキネーターになるのです

驚くべきことに、「最強の雑談力」みたいな凡百の書籍の中では、このアキネーター型の会話が推奨されています。「なめらかに話が続いていて素晴らしい」らしいです。そんなワケはありません。僕はこの会話をしているふたりを観察していましたが、ふたりともムダにダラダラ喋って疲弊していました。

先ほども書きましたが、一般的な会話術の本では、「質問至上主義」が横行しています。これはウソなので真に受けないでください。真に受けた結果としてあなたはアキネーターになります。

いや、厳密に言うと、「アキネーターになる」という表現は正しくありません。アキネーターは最後に「思い描いていた人物を当てる」というカタルシスがあります。この瞬間のために、我々は退屈な一問一答に耐えられるのです。

翻って、質問至上主義にかぶれた人はどうでしょう? いつまでも退屈な一問一答を続け、カタルシスは訪れません。アキネーターからカタルシスを引いた人です。そんな人間に何の価値があるというのでしょう。

質問至上主義を信奉してはいけません。「お前と喋るよりもアキネーターと喋る方が100倍マシ」という烙印を押され、あなたは「アキネーター未満」というひどく屈辱的なあだ名をつけられるのです……。


……というのはちょっと言い過ぎかもしれませんが、とにかくまず、「質問至上主義は大ウソ」という本章の主張をご理解いただければ幸いです。


興味のない質問をするな-質問至上主義に代わる3つの方策

それでは、どうすればいいのか。「質問至上主義」へのアンチテーゼとして掲げたいのは、「興味のない質問をするな」という当たり前の原則です。

これに限らず、本書で志向するのは「自分にウソをつかないこと」です。興味がないのに興味があるフリをして質問するのは自己欺瞞ですから、避けましょう。

じゃあどうすればいいのか。代替案は3つです。

①興味があることを聞く
②おもしろい話をする
③黙る

ひとつずつ見ていきましょう。


①興味があることを聞く

まずは「①興味があることを聞く」。これはそのまんまですね。本当に興味があることを聞けばいいのです。ただし、興味があることを聞こうとすると往々にしてタブーに踏み込みがちなので、そこは注意が必要です。

例を挙げましょう。僕は昨日、友人の結婚式に出席していたのですが、同じテーブルに座った初対面の人が公立の小学校の先生でした。

ここで、「子どもがお好きなんですか?」などと当たり障りのない話を延々していてもつまらないので、僕は興味のあることを聞くことにしました。「小学校の先生って、どのぐらい給料をもらってるんだろうか?」です。

とはいえ、さすがに「給料いくらですか?」とは聞けません。それはあまりに直接的すぎます。だから、僕は工夫をすることにしました。前置きをしながら遠回しに聞いてみたのです。

「いやあ、学校の先生って本当に大変ですよね。頭が下がります。待遇を改善した方がいい、とよく言われますけど、本当にそうだな、と思いますね」
「ははは、ありがとうございます」
「そういう議論はよく目にしますけど、実際のところ、待遇って改善されてるんですかね?」
「いやあ、まあ、昔よりはちょっとだけマシになってますが、まだまだ全然ですね」
「昔は残業代も一切出ていなかったイメージですが、今もそうですか?」
「みなし残業みたいな形で、特別手当が出ることになってます」
「へえ~!そんな制度があるんだ!」
「制度というか、教員の給与を定めるためだけの法律があるんですよ」
「えっ!!」
給特法、っていうんですけど」
「それ専用の法律があるんですか!?」
「そうです。給特法にしたがって給与が計算されるので、残業代を出さなくても許されているんです」
「すごい制度だ。どのぐらいのお金が出るものなんですかね?」
「給与の4%です」
「えっ、ものすごく少ないのでは?」
「そうですね。残業代として考えると8時間ぐらいに相当する金額です」
「うわ~、やってられないですね。それで過労死ラインまで働く人もいっぱいいるワケですよね?」
「めちゃくちゃいます。っていうか僕もです」


どうでしょう? 当たり障りのない質問をしていたときよりも、明らかにおもしろい会話になったのがお分かりいただけたでしょうか。給与の具体的な額面こそ聞き出せなかったものの、給与に関するおもしろい情報をたくさん聞けました。

これが、「興味があることを聞く」の威力です。アキネーターの無味乾燥な一問一答よりも、明らかに熱が入っています。当然です。聞きたいことを聞いているので、質問者のテンションがまったく違います

そして、質問者のテンションにつられて、答える方にもだんだん熱が入ってくる。「この人、私の話にめっちゃ食いついてる!」という感覚があると、話す側も楽しいものです。結果として、両者ともに熱が入った楽しい会話が始まります。

これこそ、本書が目指すゴールです。当たり障りのない話をするのではなく、両者ともに楽しめる話をする。

なぜか、世間の雑談本には「踏み込んだ話はするな」「気分を害される可能性がある話題はNG」といった教えが並んでいますが、皆さんは今すぐ忘れてください。これは、質問至上主義者たちによるプロパガンダです。彼らは国民を全員アキネーターにしておくために、このような教えをばら撒いているのです。ほとんどディストピアSFの世界と言っても過言ではありません。(過言かもしれません)

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