人生の邪悪リテラシーは太宰治『津軽』に学べ。- 黒い岩に一輪の白菊。
本当の気品というものは、真黒いどっしりした大きい岩に白菊一輪だ。土台に、むさい大きい岩が無くちゃ駄目なもんだ。
(太宰治『津軽』より引用)
毎年、ゴールデンウィークには多くのイベントが行われる。ニュースをつければ日本各地で地域の特色を出したイベントの様子が流れてきたものだった。大抵、「○○フェス」なんて浮かれた看板が掲げられている。
ところが、今年は新型コロナウイルスの影響でイベントはもっぱら自粛。代わりに(?)、5/1から給付金の申請ラッシュが始まった。
・国民全員を対象とする10万円の「定額給付金」
・フリーランスを対象とする100万円の「持続化給付金」
いずれも、5/1から申請が開始されたので、Twitterのタイムラインはその話題で溢れかえった。「家に対応機器がなくて絶望した」とか「マイナンバーカードって通知カードと違うのかよ…!?」とか、申請できない人の悲しすぎる叫びがたくさん観測できて面白い。
が、何より見どころは「自分のAndroidでは無理だったが、息子のiPhoneを借りてやったらイケた。iPhoneの方が難易度が低い」とか、「カメラでカードを読み取るっぽい図が表示されるがこれはトラップ。実際にはNFCで読み取る」など、行政の申請なのに「攻略法」が出回るという珍事である。
注目の新作ゲームが出た時はよく攻略法が出回るが、行政の申請に対して出回ってるのはあまり見たことがない。もしかしたら、これは今一番熱いゲームなのかもしれない。行政から退屈した国民へプレゼントする謎解きゲームなのかもしれない。「あつまれ 給付金の申請法」みたいな世界観なのかもしれない。「一人では給付金の申請は難しいんだなも。皆で協力してお金をゲットして欲しいんだなも」みたいな世界観なのかもしれない。
(どうぶつの森公式Twitterより引用)
申請できなかった人は大げさに文句を言い、無事に申請できた人は大喜びでスクショをTwitterに上がり、盛り上がる。喜怒哀楽にまみれた一つのビッグイベントになっているのだ。今年のゴールデンウィークは「申請フェス」という日本共通のイベントに彩られることになった。
イベントが自粛になっても何かしらで勝手に盛り上がることができる。人間というのは実にたくましいものだと思った。コロナウイルスは経済に甚大な影響を与えたが、それでも我々はどうにか生きていけると思う。何しろ、行政への申請手続きだけでこれほど盛り上がれるのだから。
Twitterで言えない「邪悪リテラシー」
事業者向けの「持続化給付金」について概要が発表された時、僕はこうツイートした。
現代のTwitterは、うっかり変なことをつぶやくとすぐに魔女狩り部隊がやってくるほぼ中世みたいな世界観なので、「これは素敵!」とふんわりしたツイートしかできなかった。世知辛い。
そういうことで、Twitterで書けなかった邪悪リテラシーをこの記事では解説していこうと思う。
まず、給付金に限らずあらゆる場面で使える一般原則「黒い岩に、白菊一輪」の話をし、それを具体的にどう活かすかということで、今回の給付金を例に挙げて説明する。お付き合いいただきたい。
「完全に黒」を絶対に避ける
日本人は「グレー」が好きな国民性だと言われる。確かに、白黒はっきりしない返答が日常的に飛び交っている。
「行けたら行くわ」とか「前向きに検討します」とか、意味合い的にはノーっぽいんだけどはっきりしない言葉がたくさんある。
この「グレーを好む」日本的コミュニケーションには賛否は色々あるだろう。僕も別にこれを称賛したいとは思わない。
だけど、実は「法務」や「税務」においては「グレーを好む」のが非常に優れている。グレーを好むことこそが最適戦略なのである。
仮に、「100%クロ」ということをやってしまったとしよう。
例えば、僕が知っている経営者の話だ。彼は零細の学習塾を一人で経営していて、なぜか経費で私用のラジコンを買ってしまった。
税務調査が入った際、彼はそのことを突っ込まれ「あ……いや……自分が欲しかっただけなんですけど……つい……」と答えてしまった。これは悪質な経費水増しだと判断され、結構重いペナルティが下ったらしい。
非常におバカなエピソードである。僕はこれを聞いて爆笑した。他人にペナルティが下った話を聞くのは楽しくてしかたがない(性格が悪い)。
ところで、ここで皆さんにお聞きしたい。彼の愚かなところはどこか?一言で言うなら、どうなるだろう?
…
……
優等生的な模範解答は、「私用のラジコンを経費で買ってしまったこと」そのものである、ということになる。
まあ、そりゃそうだ。経費とは仕事で使うものを買うためのものであり、私用のものを買ってはならない。当たり前の話だ。
だけど僕はもちろんそんな模範解答の話をしたいワケではない。もっと邪悪な話がしたいのだ。
というワケで、邪悪な方の模範解答を紹介しよう。「言い訳を一切用意していなかったこと」だ。今回の彼の愚かさはその一点に尽きる。
はっきり言って、「学習塾経営者がラジコンを経費で買う」なんて、スーパー経費潜り込ませブラザーズの中では、ステージ1-1くらいの難易度だ。敵はクリボーしか出てこない。慣れたプレイヤーなら目隠しでもクリアできるだろう。
こんなもの、「授業の中でたった一度、2分ラジコンを走らせておく」だけでいい。何の授業でもいいだろう。例えば、社会の授業でトヨタの生産高を教える前にちょっと走らせればいい。
ただそれだけで、「生徒を引きつけるアイドリングトークに利用するために買いました。この授業では日本における自動車産業の重要さを意識してもらうために、強烈な印象を持って欲しかったからです」という言い訳が成立する。
なんなら実際に走らせている必要すらない。走らせたことにすればいい……いや、なんでもない。ウソはダメだ。国税法によって、税務調査での「偽りの答弁」は禁止されているからね。皆もくれぐれもウソはやめよう。断じて。「こうやって使ったことにすれば言い訳ができるからそう答えよう」とか考えちゃダメだ、断じて。断じて。まあちゃんと設定を作れば税務署員も確認が不可能になるから完全犯罪なんだけど、そこを利用してやろうとか考えちゃダメだ。断じて。断じて。
このように、「完全にクロ(言い訳なし)」と「1%言い訳する余地がある」とでは結果に雲泥の差が出る。
「生徒を引きつけるアイドリングトークのためのラジコン」はただの言い訳で、毎週末自宅の庭でラジコンで遊んでいたとしても、ペナルティが下る確率は驚くほど下がるだろう。
たった1%の言い訳があるかないかで、結果が180°変わる。重いペナルティになるかお咎めなしになるか変わる。そういうことは往々にしてある。なぜ、たった1%がそんなに大きく結果に聞いてくるのだろうか。
ここで一つ、忌野清志郎の名言を紹介したい。
勝負をしない奴には勝ちも負けもないと思ってるんだろ?でもそれは間違いだ。勝負できない奴はもう負けてるんだよ
「完全にクロ(言い訳なし)」とはどういうことかというと、勝負が発生しないということである。”勝負できない奴はもう負けてる”のだ。相手が税務署員にせよ何にせよ、「へへえ、お代官様!仰る通りです~!もうどうにでもしてください~!」と、相手のされるがままになるしかない
相手からすると、「戦いなしで刑を執行できる」状態になる。これは当然、執行されてしまう。楽だからだ。
一方、「1%言い訳がある」と状況はガラッと変わる「いや、でもそれはこうですからねえ」と言い返せる。すると相手は、戦って勝たなければいけなくなる。
この「戦わなければいけない」という事実が重いのだ。戦闘力自体はあまり問題ではない。相手が強かろうが弱かろうが、戦うことはとても面倒なことである。多くの動物は「闘争」の前に「威嚇」を行うが、これはまさに生物が「なるべく戦わないように」進化してきたことを示している。
そう、好んで戦いたい人間は少ない。前回の記事でも書いたが、好んで裁判をやりたい人間などいない。そして、好んでラジコンの稼働実績を調べたい税務調査官もいない。
「ラジコン程度の経費のために戦うのはしんどいな」と税務調査官も思うから、言い訳はそのまま認められる可能性が高い。たとえ、どんなに脆い言い訳だったとしても。
愚かな学習塾経営者はこうやってディフェンスをしておけば、重いペナルティを食らうことはなかっただろう。
以上、「完全にクロ」と「1%の言い訳」の違いを見てきた。
両者の差は甚大である。「差はたった1%しかない」と考えるのは大きな間違いだ。この二つの差は「戦いがあるか、ないか」の違いである。たった1%で、最も大きな違いが生まれるのだ。
だからこそ、我々は「完全にクロ」だけは避けなければならない。「なるべく白くしよう」と努力する必要は全くないが、「1%の白を混ぜておこう」と考えることは必須である。
そう、我々が考えるべきなのは「黒い岩に、白菊一輪」である。
黒い岩に、白菊一輪
「真黒いどっしりした大きい岩に白菊一輪」。これは太宰治の私小説『津軽』に出てくるセリフから借用した。
本当の気品というものは、真黒いどっしりした大きい岩に白菊一輪だ。土台に、むさい大きい岩が無くちゃ駄目なもんだ。
(太宰治『津軽』より引用)
『津軽』の中で、文学について喋っている主人公(太宰)が言うセリフである。このセリフ、一見名言っぽいんだけど、実はめちゃくちゃカッコ悪いセリフなのだ。
地元の津軽に帰った際、ピクニックに集まった友人たちが自分以外の作家のことばかり褒めるのが面白くなくて、太宰が「お前ら!そんなしょうもない作家のことばっかり褒めてないで、オレのことも褒めて!!オレも作家だよ!!」と、男子小学生みたいなムーブを始めた時のセリフだ。太宰治、文豪とは思えぬ余裕のなさが面白い。
「そんなチャラチャラした作家は本物じゃねえ。オレの文章が本物だ。本物はカーネーションではなく、真黒いどっしりした大きい岩に白菊一輪だ。基本ムサイけど、オレの文章の方が本物なんだ!」と喋る。めちゃくちゃカッコ悪い。太宰治、文豪のクセにカッコ悪い。
太宰治のエッセイっぽい文章は大体面白い。やたらカッコ悪かったり後ろ向きだったりしながらもユーモアに溢れていて笑える。太宰治は『人間失格』と『走れメロス』しか読んだことない人が多いだろうが、それで終わらせるのはもったいない。エッセイがとにかく面白いのだ。
特に『畜犬談』とかはめっちゃ笑えるので超オススメ。「犬が嫌い」というだけの内容を延々コミカルに書いているのがたまらない。無料で読めるのでぜひどうぞ。
……話が逸れてしまった。僕は太宰治のエッセイが好きすぎて気を抜くとすぐ太宰治エッセイ宣伝botになってしまう。話を戻そう。
とにかく、『津軽』の中で出てくる「黒い岩に、白菊一輪」は文学評論のセリフなのだが、これは法務・税務などの一切における邪悪リテラシーとして捉えても優秀なのである。
ということで、ここから実例を見ていこう。
実例-「持続化給付金」における一輪の白菊
新型コロナウイルス感染症の影響に伴う、個人事業主への「持続化給付金」(最大100万円)の申請においても、この”一輪の白菊”リテラシーは非常に有用である。
ということで、以下、実際にどうやって一輪の白菊を添えればいいのか、僕の実際の売上データなども見ながら説明していく。
気になる方はぜひ課金して読んで欲しい。単品購入(300円)もできるが、定期購読(500円/月)がオススメ。定期購読してもらえるとモチベーションにもなるのでぜひ応援の気持ちで購読して頂けると幸いです。
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