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近所の友だちに金を盗まれた追憶。熟練の悪党を見た幼少期の原体験。

僕の幼少期は特別に暗いワケでもないが、これといって明るいワケでもない。「あの頃は良かった」という感覚はまったくない。戻れるのだとしても戻りたくない。僕の人生は右肩上がりに楽しくなっている。皆さん本当にいつもありがとうございます。

あらゆる悩み事は人間関係に端を発すると言われるけれど、これは多分正しい。長じてからの方が人生が楽しくなったのは、周囲の人に恵まれたからだ。いま近くにいる人は全員、僕が作り続けたコンテンツを媒介に繋がっている。作り続けて良かった、と心から思う。創作で世界が変えるのは難しいけれど、少なくとも自分の人間関係を一変させることはできる。


子どもの頃。特に小中学生の頃は、それができなかった。与えられた窮屈な人間関係の中では、嫌なことがあまりにも多かった。

たとえば、近所の友人。僕の実家から徒歩2分のところに住んでいた彼とはよく遊んでいたけれど、それは嫌な思い出になった。彼は物を盗むからだ。最終的には現金6万円を盗まれて、二度と遊ばないことにした。

今日はそんな話を書こう。選べなかった人間関係の、不愉快な話を。僕は世界をニヒルに見ているけれど、その感覚は幼少期に体験した無数の不愉快な出来事に起因している。


物を盗みまくる近所の友人

今回の主役・物を盗む友人をAくんと呼ぶことにしよう。

Aくんと僕の関係がどう始まったのかはもう憶えていない。未就学児ぐらいの頃から遊んでいたはずだから、恐らくご近所付き合いの中で交友関係が生じたのではないだろうか。僕の家とAくんの家は徒歩2分の場所で、歳はひとつ違い。Aくんは僕のひとつ下だった。歳も家も十分に近かったから、親同士の繋がりもできて自然と交流が起きたのだろう。

Aくんは生まれも育ちも日本だが、Aくんの家は中国系だった。たしか祖父母が中国から日本に渡ってきて定着した、というような話だったような気がする。

彼には5つほど年の離れた兄がいて、僕は彼ら兄弟とよく遊んでいた。テレビゲームをしたり、外で走り回ったり。ふたりとも日本で生まれ育っているので、中国語はほとんど話せないらしい。

幼かった僕にとって、お兄さんはとてもカッコよく見えた。初めて自転車の後ろに乗せてもらったのはこのお兄さんだった。「乗れよ」と言われて、サドルの後ろの金属板に体重をかけた。軽快に進む自転車の景色に快感を覚えた。バイクの後ろに乗せられてキュンとする、少女マンガの描写の意味が少し分かった気がした。


幼少期はよく3人で遊んでいたのだが、僕たちが小学校に入った後、お兄さんが中学に入るあたりからその頻度は低くなった。彼は彼の交友関係で忙しくなり、弟と遊んでいるヒマがなくなったのだろう。ありふれた兄弟の距離感の変遷だ。

僕とAくんはそれでも時々遊び続けていた。僕たちは同じ小学校に入っていた。Aくんはあまり物怖じしないタイプだったので、ひとつ学年が違う僕のクラスメイトにもガンガン話しかけたし、僕がクラスメイトと「今日ウチで遊ぼうぜ!」と話しているときに「俺も入れて!」と乗っかってきた。特に拒む必要も感じなかったので、一緒に家で遊んだ。

僕の実家はそれなりに大きかった。広い子ども部屋を与えられていて、快適に過ごせるプライベートスペースだった。そういう場所はすぐ友人たちのたまり場になる。2001年に『大乱闘スマッシュブラザーズDX』が発売になってからというもの、僕の部屋はほぼ常設のゲームセンターと化し、四六時中バトルが繰り広げられていた。

e-sportsという言葉を聞くこともなかった当時、「強くなるために情報収集して基礎練習をする」みたいな発想は一般的ではなかったので、僕たちは闇雲に戦い続けた。効率ではなく圧倒的な時間の蓄積によって、少しずつ技量が上がっていった。小ジャンプの概念は誰に教わることもなく、自力で発見した。


テレビゲームが大好きだった僕たちは、鉛筆よりも書籍よりも、コントローラーを握っている時間が長かった。買ったばかりのゲームソフトは数日ですべてを味わい尽くして、いつも新しいソフトに飢えていた。

そんな中、ありがたかったのは友人の存在だ。親しい友人とはいつもゲームを貸し借りして、自分でお金を出すこともなく多くのタイトルを遊ぶことができた。僕はここで「良好な人間関係は出費を減らしてくれる」という値千金の学びを得た。それから、人に物を貸すときはデータを消されるリスクがあるということも。幼少期に何かを貸し借りするのは貴重な経験だ。

数限りないゲームを貸し借りしてきたので、そのことに違和感はまったくなかったのだけれど、Aくんの行動には違和感があった。彼は「そのゲーム、あげるよ」と言うのだ。

子どもにとって、「貸す」と「あげる」は天と地ほども違う。このふたつは大人になってからはあまり変わらない(僕は貸したまま忘れている本も、借りたまま忘れている本も腐るほどある)けれど、子どもにとっては大違いだ。彼らは所有している資源が少ないので、ひとつひとつの資源が非常に大切だ。

僕はどんなに遊び飽きたゲームであっても、読み飽きた本であっても、軽々に「あげるよ」なんて言えなかった。だがAくんはずいぶん簡単に「あげるよ」と言った。

当時の僕は純粋無垢な少年だった。「すげ~!めちゃくちゃ気前のいいヤツだ!!ありがとう!」と感謝して、大いに喜んでいた。それが盗品かもしれないと疑うこともなく。


盗品は手元に置かない方が合理性がある

古今東西、泥棒は同じ悩みにつきまとわれる。盗品をいかにして捌くか。いわば窃盗の出口戦略である。

モナ・リザを盗んだビンセンツォ・ペルージャは、モナリザを売るために古物商に連絡を取って逮捕された。泥棒は盗むときよりもむしろ、盗んだ後が難しいのだ。

Aくんは恐らく、度重なる窃盗経験において、このことを理解したのだ。子どもながら「それは俺から盗んだものだろう」と指摘されて窮地に陥ったことがしばしばあったのだろう。だから、彼は盗んだものを人にあげてしまうという解決策にたどり着いた。

あげてしまって何のメリットがあるのか。月並みな言い方だが、「人に好かれる」だろう。返報性の原理が働くので、彼のことを助けてあげたくなる。

実際、彼に「遊んで」と言われたとき、「今あんまりこいつと遊びたくないな」「でも、こないだゲームをもらっちゃったし、悪いな…」と思って、受け入れてしまったことも何度かある。窃盗を明るみに出されるリスクを犯しながら盗品を手元に置くより、好感度に変えてしまう方がいいという判断だろう。マネーロンダリングならぬ、好感度ロンダリング。非常に合理的で正しい判断だ。


それから、「このゲームソフトを1000円で買わないか?」と持ちかけられたこともある。それなりの人気タイトルで、中古でも3000円ぐらいの値がついていることが多かったので、1000円は破格だった。「ただし、箱はなくてむき出しのソフトだけ」らしい。思いっっっっきり盗品である。

今になって思えば、この上なく明白に盗品なのだけれど、当時はなんとも思わなかった。「これは買いだな」と、自由市場経済を楽しんでいた。


純真な子どものレンズでは、泥棒に気づけない

くれるにせよ売るにせよ、彼はゲームソフトを持て余している印象だった。

僕はなんとなく「彼の親はたくさんゲームを買ってくれるのだろう」と思っていた。当時の僕の世界観では、そうでなければ説明がつかなかったから。

だが、そんなワケがなかった。ボロボロの木造建築に住んでいたAくんたちは、明らかに裕福ではなかった。母子家庭で父親はいなかった。お母さんはいつも働きに出ていて、彼ら兄弟の世話はもっぱらおばあちゃんがしていたようだった。

そんな彼らの家の経済事情を推測できれば、自ずと「これは盗品だ」と分かったかもしれない。だけど、子どもが見ることのできる世界は限られている。


そして訪れるカタストロフィ

「このゲームソフト、2本セットで3000円で買わない?」

Aくんはいつものように、僕に商取引を持ちかけた。例に漏れずこれは中古屋の相場よりもかなり安い。「素晴らしい条件だ」と思って、僕は快諾した。

ただし、小学生にとって3000円は大金だ。自分の部屋にはない。お年玉を溜め込んでいる貯金箱(入れたら取り出せなくなるタイプでなく、開閉可能なもの)にアクセスしなければならない。

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