5月14日 壱岐島観光~2019年春クルーズ(九州)
「壱岐島」は2度目だが、前回行けなかった所、もう一度行きたい所を回る為に、再びレンタカーによる島巡り観光を行う事にした。
昨日からレンタルしている車を桟橋前に置いてある。8時30分に出発した。
話のネタに先ずは下記写真が「猿岩」、思わず誰かが削ったのではと思うくらい猿の横顔を良く捉えている。
「勝本城跡」は、豊臣秀吉が朝鮮出兵に備えて、平戸藩の命令で築城させたもの。海抜80mぐらいの見晴らしが良い小山の頂上に作られ、現在残っているのはその石垣だけであるが、いかにも急ごしらえの感じがした。解説板には、朝鮮出兵の際の補給基地と書かれていた。
次に、昨年も訪ねた「いきゆがっぱ海の駅」である。
この海の駅は、全くと言って良いほど、利用されている形跡がない。事前に電話をしても出た試しがない。
また、下記の写真のように、外来艇を止める場所さえ空けていないというお粗末さである。結果、外来艇にとっては「郷ノ浦ビジターズ桟橋」が、事実上の壱岐島を代表する海の駅となっている。
今回とても驚いたのは、壱岐島にはたくさんの古墳群が存在している所だ。解説によれば、長崎県全体の6割に当たる280基の古墳があるのだそうだ。
その中には前方後円墳(大和政権下、このタイプはかなりの有力者にしか許されない)も含まれている。そんな「壱岐古墳群」を誇る壱岐(魏志倭人伝で言う一支国)がその後の歴史において勢いを失ったのは、海運技術の進化により、壱岐国を介さない直接取引を日本本土の各国々が開始した為で有る事がわかり、瀬戸内海の島々の栄枯盛衰と基本は一緒だと思った。
ご愛嬌の「はらほげ地蔵」と紹介されている事が多いが、満潮になると海中に没するとの解説を読んだ時は、何やら「人身御供」に見えて6体のお地蔵さんが可哀想になってしまった。
たまたま、干潮だったので渡れた「小島神社」だが、この神社が位置する内海湾は古代「一支国」の玄関口。ここで船を小舟に乗り換えて川を上って「一支国」に入ったと言う。
「月読神社」、京都の松尾大社内に、そして伊勢神宮にも同様の神社があるがその本家本元がこの神社である。月を祀る神社らしいが、例えば「京都の月読神社は487年に壱岐から分霊された」と言う解説を見ると、往時の勢いを感じざるを得ない。
以上、盛り沢山のコンテンツを有する「壱岐島」であるが、泊地としてこの「郷ノ浦港の外来艇桟橋」の快適さを改めて強調して起きたい。又、これまで給油はこの桟橋では出来ないと思っていたが、実際には可能である事がわかった。理由はニコニコレンタカーを桟橋で受け取った時、ENEOSロゴの小型ローリー(中野石油)を伴ってきたからである。
どうしても連泊してしまう「郷ノ浦外来艇桟橋」であるが、叶うなら陸電(含む200V、マリンコ仕様)を何とかして欲しい。料金かかっても良い。それにしても管理窓口のH氏の接遇ぶりが素晴らしい。