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人間の土地を読む【読書感想】

 現代社会は技術が急速に進歩している。この目まぐるしい変化に不安を抱くこともあるだろう。
 サンテグジュペリが著した人間の土地はそんな私たちの悩みを解決するヒントを与えてくれる。

 人間の土地の中で、彼は技術の発達の極致は機械が目立たなくなることだと述べている。実際、現代の技術の産物であるスマートフォンはボタンという目立った機械が取り除かれ、そのフォルムも曲線的で、角があり物々しい見た目の電化製品と比べて機械らしさがない。
 機械らしさがなくなるという事は、自然に近づくという事である。彼も「道具の彼岸に、道具を通じて僕らは昔ながらの自然を見いだす」と言っている。この指摘は80年以上前のものとは思えないほど鋭い。

 私たちが使っているスマホも、パソコンも、複雑な構造でできている。しかし、その内部のシステムを知らなくとも、画面を押すだけで簡単に動画を見たり、音楽を聴くことができる。それはまるで緻密な体の仕組みを知らないまま感覚的に生きる私たちのようであり、自然の法則を知らぬままサバンナを駆け回る動物たちのようでもある。

 そう、社会は生身の体のような、サバンナの大地のような、複雑な法則を作り上げている最中なのだ。
 優秀な人々が技術を開発し、それを世界中の人々が使えるように簡略化されることで社会に新たな法則が生まれる。そしてその法則が、あたかも自然のように日常的で身近な存在になることで技術に自然が見いだされるわけだ。
 逆に、自然とかけ離れている文明の産物はまだまだ改善の余地がある。合理性だけを重視して自然らしさを失った社会も、結局は進化の彼岸に自然に帰ってゆくのである。だから、今の社会を憂いているのなら、この不完全な現状を変えようと努めるべきだ。合理性と自然らしさが両立できないと思ってはならない。

 ここまでの話からこんな疑問が生まれるかもしれない。「では、法則を傍受するだけの人間は開発者の服従者なのか」と。このような質問をする人はサンテグジュペリの言うところの、目的と手段を混同している人間のように思われる。

 そもそも人間というのは何かの服従者なのだ。アイドルのファンはアイドルの服従者であり、ゲームが好きで毎日画面に釘付けになっている人はゲームの服従者である。
 問題は、服従に喜びを感じるかどうかだ。もしもあなたが何の感情の変化もなくボーっとスマホを見ているのなら、それは開発者に餌を与えられているだけの家畜に等しい。いわゆる社畜というものも、ただただ上司の命令に従っているだけの状態をいう。

 だが、アイドルのファンがアイドルの情報を得るためにスマホを操作しているのなら、スマホは自分の喜びを得るための手段でしかない。ゲーム好きがボスと戦うためにコントローラーを動かしているのであれば、画面とコントローラーは戦さのための道具でしかない。
 概して、自然界の法則も、人間が作り出した法則も、すべては目的のための手段である。鋤と鍬で畑を耕す農夫のように、コンピューターで新しいシステムを模索するエンジニアのように、法則の服従者として、惜しみなく法則を利用するべきだ。そうすれば、目的と手段を混同することはない。

 サンテグジュペリも飛行機という手段を用いて世界を旅し、生きることの真の目的を見出した。その中で、愛するという事はお互いに顔を見あうことではなく、一緒に同じ方向を見ることだと述べている。
 砂漠で不時着した経験から、仲間と共に僅かな食糧を分かち合い、生という共通の目的のために歩いてゆくことがどれだけ幸せか、彼は知ったのだ。

 ここからわかるように、貧しさとか、豊かさというもので幸せを語ることはできない。戦争という悲惨な出来事があったにもかかわらず昭和という時代が生き生きとしていたように思えるのは、壊滅的な被害をこうむり、全てを失った状況の中、最初からすべてをやり直そうとお互いが肩を組み、同じ方向を見ていたからである。その時、人間に希望の光が差し込み、たとえ物質的に貧しかったとしても、一人一人の心はどんな大金持ちよりも豊かで、充実しているのである。

 昔と比べれば今の日本は発展した。だからと言って完成したわけではない。それを完成したと勘違いして毎日を過ごせば、人間は文明が生み出した物質を受け取るだけの動物になってしまう。
 先ほど述べたように、社会は法則を作り上げている最中である。皆がこの未完成の一大事業の一員として共に肩を組み、新しい自然を作っていこうと生きられれば、世の中に山積している課題も、今より前向きに捉えられるだろう。




今回読んだ本
サンテグジュペリ「人間の土地」堀口大學訳、新潮文庫、1955年

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