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試合5日前。根性廃絶時代に思う、根性に「論理」はないけど「意義」はある説

さて、いよいよ12月ですね。表面的な寒さにはやたら強いので、ついこの間まで半袖半ズボンだったのに、体の芯に染み込んでくる冷たさにはとても弱いです。完全防護のようなスタイルへの急転ぶりに驚かれるばかりです。

12/5の試合まであと1週間となりました。毎日が同じことの繰り返しです。練習をして、留学のための準備(勉強)をして、格闘技の勉強して、本を読んで、お腹を空かせて寝る。今の生活スタイルに彩りはないけれど、潤いはあります。友達が遊んでたり、グルメしていたり、催事を楽しんでいるのを観ると、確かに周りを見て楽しそうだなとは思うけれども、それで自分が満ち足りることはないことを知ってしまったので、かつてのような羨望のようなものはなくなってきました。楽ではないけれど、とても楽しく毎日を生きれています。

今回は2日かけて書いてしまって、1万字近いです。あと、後半は競技的な話が多く、試合見にきてくださる方に向いた話です。ご容赦ください。)

チケット代、「オマケ」はしません。

ありがたいことに、今回は東北とか遠方から応援に来てくださる方もいて、学芸発表会じゃあいけないなというか、1円たりとも金銭が発生している以上「プロ」としての取り組みをしていかなければならないと改めて強く認識しております。そもそも、みんなに好かれるタイプではなかったし、応援されるということに対して慣れていないので、ビックリして柄にもなく感動してしまいました。が、同時に大きなプレッシャーでもあります。

応援と言う言葉は無償の愛のようなニュアンスも含んでいることもあって、応援する人と応援される人の関係があると思っているのですが、やはり僕は僕とお客さんの間で対等であらねばならないと思っています。普通のご飯屋さんだって、2000円のランチなら2000円のランチである理由や、それに値するインパクト・価値を残さないといけないはずです。そこをお互いなあなあにしたくないというか。今更感ではありますが。

だから、「友達なんだから安くしてよ」と言われるのは僕にとっては、残酷な言葉のように受け止められます。今回結構言われることが多くて、ちょっとその度にしんどかったです。日本人的なおまけ文化は確かに一理あるのかもしれない。僕としては別にこれで儲けたい訳とか、ケチりたいという訳ではなくて、この決められた価格でも観たいと思って貰えるようなものを見せたいと言うのが毎日の原動力や取り組みの姿勢に繋がっている側面も確かにあるのです。自分が好きでやっていることだけど、自分にお金を払ってくれる人がいるのであれば、毎日をやり抜くことは義務でもあるはずと思っています。悪意がないかもしれないけれど下げてほしいと強請ってくるのは、それらを下げられるというか否定されるというか。もちろん、その程度の自分に責任があるのですが。そっちに逃げた方が気楽になるのかもしれないけれど。

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だから、会場に来てくださる人の多くが情のある友達だったとしても、そこに僕が甘えることは許されないし、他のエンタメと比べて高めなチケットを買って貰った価格以上の何か価値を残さなければなりません、その意味では、もっとシビアで、ヒリヒリした関係だと思うし、試合後に優しい嘘をもらうよりも、本当の感情や言葉をぶつけてもらいたいです。座布団でも、ゴミでもどっちでもいいから何かしら投げてもらいたい。何が来ようとそこは自分で受け止めるぞ、と僕は舞台に上がる側の人間として心構えを持っています。そこの、お客さんとの勝負もある気がします。イベントは選手や関係者と団体戦で作るものだしメインイベンターが存在するけれど、やはり大会ではなく僕個人を見に来ている訳なので、そこは自分がメインイベンターだと勝手に思っています。

その意味では水商売的というか、独立系の仕事というか、個人の名前で勝負するというものの大変さを、痛感しております。職種次第だとは思いますが、会社員になっても、自分個人の名前でお金が動くことはなかなかないのだろうと思うので、その意味ではなかなかできない苦い経験を沢山させて貰っています。だからこそ余計に、これが仕事の一部であったとしても、これを生業にすることには怖気付いてしまっています。

(脱線)コスパこそが日本を貧しくしている論。

少し脱線してしまって恐縮なのですが、12月に渡米するので格闘技のメジャーリーグであるUFCを観に行こうかとチケットを見ていて驚愕したのです。2万人のフルキャパシティを入れてるにも関わらず最低価格が$300〜と驚異の値段でした。世界一稼いでいるアスリートはサッカーでもアメフトでもなくUFCファイターやボクサーがこの10年占めてたのである程度は予想はしてたものの、いざ突きつけられると高い。。日本だと5000円〜くらいが相場ですからね。でも、原価がわからないものに対して、そもそも高い・低いなんて、何を基準に言えるのだろうか?

しかし、そもそもスポーツやイベントにおける価格設定なんて、曖昧なものなはずです。アスリートの報酬を時給換算しても意味がないのと似ていますが、出場するアスリートの原価を測れません。その意味で、コスパの概念とは真逆を行っています。僕は、「コスパ」はお客さんによる搾取であり、社会の幸福だと思っていません。コスパが良くなる過程で、誰かが、何かが一方的に安くされているはずだから。その意味で、コスパ追求が進行する限り、日本は豊かな国になれないのではと思うのです。iPhoneとかアートに原価を求める人がいたらそれはナンセンスじゃないですか。

遠い話に発展してしまいました。。逆に原価が不明瞭だからこそ、上にも下にも感じられるのであろうはずなので、見合ってない僕が悪いと言う自己結論に至りました。すみませんでした。今回の試合でも、上を目指します。

試合の見方。前回からの大きなチェンジ。

さて、じゃあ、今回の調子はどうなんだと言う話をして行けたらと思います。今回は、あまり堅すぎず、メンタル的な部分や個人的な心情の吐露というよりも、自分がこの試合に向けてどう取り組んできたりしたのか、殴り合いに見える中にどういう駆け引きが存在しているのか、会場に来てくださる方には特に読んでもらえると見方が少しでも増えて楽しめるのかなと思って書いたので、少々長いですがお付き合いくださいませ。

殴り合いの中で、何を考え、どんな駆け引きをしているのか。競技的な話。

まずは、最後の試合から。基本的に試合前に対戦相手の情報はほとんどない場合が多いです。今回もその意味ではあまり対戦相手を解像度高くは分析はできていないので、基本的には自分のレベルアップを図るしかありません。センター試験で5割しかできてない人が、志望校の「対策」をするよりも、まずは基礎を固めた方が良いのと同じ話です。相手をイメージすることは必要不可欠だけど、相手本位で練習を組んでいいレベルにはまだまだありません。その意味では、試合間隔が空いたことを、プラスに捉えています。(もちろん、試合で勝って、もっと上に行きたかったけど。)

そんな訳で、約1年間試合から空いてしまっています。これは、特に若いうちには痛手だと思っているのです。リーグ戦のようなスポーツと違って、試合の場が確定されている訳でもなく、序列がハッキリしている訳でもない。3連敗とか負け越しが続けば試合できる場所なく事実上の引退になってしまう可能性だってあるし、逆にインパクトある試合で3連勝すれば実力以上の場に躍り出ることだってよくある話です。その意味で、一個ずつ駒を進めるリーグ戦というよりも、株とかギャンブルのような感覚に近いかもしれません。だからこそ「冒険」的で、自分がどこに辿り着くか楽しみです。

アマチュアも含めて3回負けてきたのですが、前回の試合は本当に完敗でした。何もできなかった。何もさせてもらえなかった。でも、心の隅っこでいつか完敗するならこういう形だろうと思っていた負け方でもあった。今までは、それをさせないように隠してきたのが上手くいっていただけであって、逆に目を瞑ってきたからこそ一度崩されるとあまりにも脆かった。だからこそ、負けるべくして負けてしまったのかもしれません。失策です。これは試合を見てもらえると分かるかと思います。

自分の事は、自分で分からない。相手セコンドの指示こそが、自分の穴。

でも、だからこそ、自分にとっての弱さが露呈したのだから、今までで一番チェンジできた気がします。見事に相手のセコンドが自分の弱さを見抜いて的確な指示を出して嫌な事を選手にさせていたのは、試合中にも気づいていました。なので、自分の弱い部分を大きくアップデートするために、このセコンドの指示を何度も聞いて、どういう状況に持ち込まれたら自分が勝てなくなるのか、何をされたら自分が負けるのかを、徹底的に敵目線で考えてきました。

根本的に変えなければいけなきゃいけない・戦い方の引き出しを増やさなければいけなく、そのためには必要になってくるリソースも変わってきて、そうなると練習方法も変えなければいけない訳です。そうすると、毎日が変わります。ここら辺に関しての大きなチェンジは、前提となる知識がないと中々分からない部分もあるので、一旦キックボクシングの基礎・前提の話を挟んで、ちょっとまた最後の方で。

キックボクシングの攻防の原理原則・「間合い」
やった事ない人向けの、見方のススメ。

と言うことで、要望があったのでもう少しテクニカルというか競技的な話をするための、前提となる話を少ししていきます。僕はキックを武器とするタイプ(キッカー)です。(ここからは格闘技を見たことがない人に向けての解説も含めて書いているため、シンプルにまとめ過ぎているので、トップレベルの競技はもっと進化しているので違う部分は多々あるかと思います。ご容赦ください。)

キックボクシングは、大まかにいうと、パンチ・キック(膝)が攻撃として認められています。あらゆる格闘技や武道でも大事な要素の一つに、「間合い(距離感)」があります。刀と槍のどれを武器とするかで、距離設定が大きく変わり、結果的に戦い方が変わってくるのと同じだと思うと、イメージが湧きやすいかもしれません。相手と同じ身長の場合、手の長さよりも、足の長さが長いので、パンチはキックよりも距離を遠めに設定して戦うことが多く、そのため間合いを支配しやすくなります。(身長差があると、この原則が崩れるため、より一層複雑になっていきますが、自分のような軽量級では大体身長も同じことが多いのでここは割愛。)

最近だと女子キックボクシングのこの試合が分かりやすかったです。

従って、パンチャー(パンチ)を得意とする選手は、キックよりもリーチが短いので、支配されてしまいやすい間合いをどうにか掻い潜らないと、自分の攻撃が当たる距離には到達できません。パンチャーが距離を潰す、パンチの距離に持っていく場合は、①ステップワーク(フットワーク)を巧みに使い相手をがキックなどの攻撃できないタイミングに素早く飛び込むか、②蹴られてもフィジカルな強さを発揮して戦車のように突進するかの大抵2パターンです。

僕はフィジカルが頑丈ではないです。もちろんトレーニングで鍛えられるフィジカルもあります、筋力(パワー)とか筋持久力(スタミナ)とか。でも、それじゃないです。それもまだまだ足りぬのですが。格闘技でノックアウトが起きるのは8割方が、ボディ(お腹)やロー(脚)ではなく、頭部への攻撃です。よく失神KOとか言うアレです。失神KOやそれに近いものは脳が揺れ動くことで倒れてしまうのですが、こればかりは鍛錬をすれば耐性がつくものではないのです。また、脳へのダメージは消えることなく、貯金されていくのです。だから、派手な殴り合いをしていた打たれ強い(パンチを貰っても倒れにくい)選手でも、歴を重ねるごとに急速に弱まっていくことが多い。 

制約の中に、ゲーム性を感じる。だから、不便さの中に、面白さがある。


前回の試合では、いくら蹴っても、気にすることなく、キックの距離を潰て、自分のパンチを当てやすい距離に前身し続けてきたし、それを可能とするフィジカルの強さとメンタリティを持っていた。格闘技は、サッカーとか野球と違って、フィジカルコンタクトの直接性が高いからこそ、フィジカルの弱さを踏まえた上で武器の選び方・使い方、即ち戦い方を考えなければならない訳です。でも、フィジカルがモノを言わせる人が多いからこそ、フィジカルに恵まれていない自分が戦略力や技術力で逆転するのが、ゲーム性があって面白いのです。不便さの中にこそ、面白さがある。

さて、概論的な話から、自分の話に戻したいと思います。前回から、何をアップデートしてきたのか?答えは「敵のセコンド」にほとんどあります。戦いを冷静にかつ客観的な視点で見ているのですから、相手のセコンドの声ほど良い材料はないはずです。(いいセコンドに限る)

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