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スキコム編集長のひとりごと:遠ざかるほどよくみえる

Katsurao Collectiveのスタッフとしてポッドキャストやテキスト記事を発信している「スキコム」に関する、ひとりごとシリーズ。個人の発信であり、所属組織の意見を代表するものではありません。

今回はフキの手仕事をしながら、ゆるく収録しました。

アートワールドで流通している情報って、テキストはちょっとインテリな感じの熟語やカタカナが並んでいてかっこいいし、ビジュアルもバチッときまっていてクールなことが多いのではないかと思います。高尚でイケている感じ。葛尾村でのアートの取り組みも、「過酷事故を経て文明の曲がり角に差し掛かるこの地でアートやクリエイティブの力を云々」みたいな言い方を、やろうとすればできてしまいます。

しかしながら、この企画でそれを目指してしまってはあまり意味がない。ある種「整っている」視覚情報や文字情報だけでは掴まえきれない空気感を、いかにして受け手に届けるか。雨音の中、フキの皮を剝きながら雑談しているという時間そのものを、微かにでも感じてもらえるように形を与えて世に出していくということも、また重要だと思ったのです。

もちろん、アートワールドの美術批評や、アートと社会の関係を鋭く論じる専門家の仕事は重要です。また、人と人がコミュニケーションを通して深いところで通じ合う「対話」も、人が生きる中においてかなり贅沢な時間のひとつだと思います。そういうこともやってみたい。

一方で、あえてアートの深みや人間が抱えている切実さから離れ、ささやかな日常を真空パックしていくような「雑談」の回にも、高尚さから平凡さに自らの実存を引き戻す、という重要な価値があるのではないでしょうか。食べるために皮を剥く。一緒にいる人と喋る。そうやって村の日常とアーティストが過ごす日々が交わっているのが、いまの葛尾村です。

そういえばこのあいだ、ある別のアーティストが「アートの話をしようとすればするほど、アートから遠ざかる気がする」と仰っていました。無駄も空回りも多い雑談にこそ、グルーヴが宿る。なんとなく納得。


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