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欧州の王侯の綽名に寄せて

日経で佐藤賢一『王の綽名』という連載をやっていた。面白そうだと思いつつも、結局、一つも読んだことがなかった。その後単行本が出ていて図書館で読むことができた。恥ずかしながら、佐藤賢一氏が直木賞作家であることはそこで初めて知った次第。経歴を見ると西洋史について学者並みの能力がありそうで、嘘は書いてないような気がした(極一部違うのではないか?と思うところもあったが)。

嘗て世界史を高校以降で学んだ人は、欧州の王に綽名がついている人がいることは知っているだろう。リチャード獅子心王、フリードリヒ赤髭王など。しかし、今の世界史の教科書に綽名は一切出て来ない(但し別売りの世界史年表には表示されている)。リチャード獅子心王ことリチャード1世は綽名どころか名前も教科書に今は登場しない。十字軍で有名であるものの、特に歴史を動かした人物ではないからだろう。名誉の為?にいえば、英国の国章に入り、イングランド王の紋章であるThree Lionsはリチャード1世が作ったものと言われている。

前置きが長くなったが:

1.英国の王室
マニアアックな話題で恐縮であるが、最初はこの話題で。
英国(本当はイングランドとGB/UKを分ける必要がある)の王朝をどこから開始するか色々考え方があろうが、一般的にはサクソン人、デーン人(ノルマン人の一派)の王朝はネグって、フランスからノルマンディ公ギョームがやって来て(所謂ノルマン・コンクエスト)建てた王朝を嚆矢とする。

英国の王朝は沢山あるように思われがちだが、それほど多くはない。以下の括弧内は初代の王名である。
(1)ノルマン朝(ギョーム→ウイリアム1世)
(2)プランタジネット朝(ヘンリー2世)
 フランスに広大な領土を保有。よってフランスの名前をとりアンジュ―帝国
 ともいう。リチャード獅子心王やジョン欠地王がいた時代。
(3)ランカスター朝(ヘンリー4世)とヨーク朝(エドワード4世)の混合
この間に有名な百年戦争および薔薇戦争が起きた。
(4)テューダー朝(ヘンリー7世)
テューダー家はウェールズ発祥。この王朝初代のへンリー7世=ヘンリー・テューダーはウェールズ系の血を引く。エリザベス1世で断絶。
(5)スチュアート朝(チャールズ1世)
テューダー朝の断絶でスコットランドから王を迎えた王朝。
(6)ハノーファー朝(ジョージ1世)・・現在のウインザー朝
よく知られるようドイツのハノーファー選帝侯を王として迎えた王朝。途中から王朝名をウインザー朝に変更(厳密にはウインザー朝に変える前に別の王朝名が極短期間にあった)。

少なくとも(1)~(3)の途中まではフランスから来た家系と言え、ウイリアムはギョーム、ヘンリーはアンリ、リチャードはリシャール、ジョンはジャンと呼ぶのが本来は妥当だと思う。獅子心王リチャード1世は殆どイングランドにいなかったことは有名。英仏の百年戦争は、国家間の争いというより親戚同士の継承権争いというのが的を射ていると思う。
エドワード(Edward)はフランス由来ではなくアングロサクソン系の名前である(Ed=富、ward=守るもの)。プランタジネット朝のエドワード1世の末裔がハリー杉山。

姓(苗字)はないので王の名前がどうなっているかというと、出てきた順に
〇ウイリアム・・3人
〇ヘンリー・・・8人(ヘンリ8世以来出ていない)
〇リチャード・・3人
〇ジョン・・・・1人
〇エドワード・・8人
〇メアリー・・・2人
〇エリザベス・・2人
〇チャールズ・・3人(スコットランドから来た王名。現在の国王を含む)
〇アン・・・・・1人
〇ジョージ・・・6人(ドイツ名ゲオルクの英語読み)
である。

ジョン王は末子で相続する土地がなかったということで欠地王が正しいようだが、フランス領土を失ったので失地王の方で通っている。その為、ジョンという名前は以降は付けなかったとか。記憶が正しければシェイクスピアの『ジョン王』では悪く書かれてはいなかったと思う。

リチャードは、2世、3世とも不遇の死を遂げ、特に3世は極悪人のように書かれている(シェイクスピア『リチャード3世』も然り)。実際は後継のテューダー朝が仕立て上げたものではと言われている。リチャード3世協会というファンクラブがあることで知られ、また、2012年に遺体が見つかったことで有名になった。このことを題材にした『The Lost King』というドラマ映画が2022年に英国で作成された(日本上映は2023年?)。

スコットランド出身のスチュアート朝のチャールズ1世は清教徒革命で処刑され、チャールズ2世は王政復古の悪政?でイメージがよくないはずだと思うけれど、何故か?今の国王名である。
スチュアートは「宮宰」「執事長」という意味。スコットランド王室の宮宰を歴代務めていて家名となった。本来StewartであるがStuartに改めた。今は航空界会社客室乗務員はCAと呼ぶ。嘗てはスチュワード=Steward(女性系Stewardess)と言っていた。これらと語源が同じことがわかるだろう。

現国王の次はウイリアム皇太子が国王になるので4人目のウイリアム、その次は順当ならジョージ王子なので7人目のジョージとなる。妹シャーロット王女、弟のルイ王子が万一王となるなら初の王名であるが、ルイと名付けたのは最初から王の目がないから?と勘繰ったりしている。

英国の話題が長くなってしまったが、以降はアトランダムに書く。

2.ブルートゥース(Bluetooth)の由来
パソコン、スマホ、タブレット、スマートウォッチではWi-Fiと並びluetoothは不可欠になっている。Wi-Fi と違い変な名前だと思っていたが、文字通り「青い歯」ということだった。以下から来ているそうで命名はスウェーデンのエリクソン社である(通信規格名)。

ノルマン人の国々(デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの3国)の内、デンマークがノルウェーを無血で支配したことがある。その時のデンマーク王ハーラル1世は青歯王と呼ばれていた(どこかの歯が青黒かったとか)。ブルートゥースはここからとって付けた名(海を隔て離れた国を統合した、或いは乱立する無線通信方式を統一するという趣旨の模様)。

スウェーデンの会社がデンマーク王の綽名を採用するというのは変という気がしないでもないが、スウェーデンは嘗てデンマークの属国だったからか?
https://note.com/kengoken21go/n/n136bb5b12a94

3.ベルリンは何故「熊」なのか
ベルリンのシンボルは熊であり、ベルリン映画祭にも金熊賞、銀熊賞があることはよく知られているのではないか。NHKのドイツ語番組でもベルリン=BerlinのBerは古ドイツ語のBär=熊であると紹介していた。

背景は、ベルリンはブランデンブルク辺境伯→プロイセン公国→プロイセン王国の首邑で、ブランデンブルク辺境伯のアルブレヒト1世が熊公(Albrecht der Bär)という綽名だったからだそうである。ライバルだったザクセン公兼バイエルン公のハインリッヒが「獅子公」と言われていた為、それに対する言葉として熊公となったようだ。因みにBerlinはドイツ語で「べァリーン」と聞こえる。

4.航海王子エンリケとコロンブス
航海王子エンリケは世界史の教科書にも載っている。Henrique, Infante Dom Sagre ( or Henrique, O Navegador)。英語はPrince Henry the Navigator。
航海王子というといかにも航海をしていたように思える。実際は船に乗っていた訳ではなくポルトガルの新航路開拓の指揮をした人(エンリケ亡き後は国王ジョアン2世が引き継ぐ)。その結果、
〇バトロメウ・ディアスの喜望峰発見
〇バスコ・ダ・ガマのインド航路開拓(以前書いたよう発見というのは妥当ではない)
〇ペドロ・アルヴァレス・カブラル(ブラジルの語源)のブラジル発見
が実現し大航海時代の幕開けとなったので、例え船に乗らなくても航海王子と言っていいだろう。

ところでクリストファー・コロンブスはポルトガルに住んでおり(妻もポルトガル人)、ポルトガル王室(エンリケではなくジョアン2世時代)に航海の支援を求めたもののが断られたので、レコンキスタ=国土回復運動完了で有名なスペイン・カトリック両王(カスティーリャ:イザベル、アラゴン:フェルナンド)の元に行き、支援を受けてアメリカに到達した。最近の書籍は英語読みコロンブスではなくコロンと書いてあるものが多い。これはスペイン語。出身地はジェノバなのでコロンボが本来の姓(クリストーフォロ・コロンボ)。
カナダのニューファンドランドの「ランス・オ・メドー国定史跡」(L’Anse aux Meadows National Historic Site)が世界文化遺産として認められたよう北米大陸に最初に到達・入植したのは11世紀のノルマン人=ヴァイキング(の内のノルウェー人)である。

因みに、カステラの語源はポルトガル語で「(スペインの)カスティーリャ地方のパン」というのは広く人口に膾炙していると思う。カスティーリャは「城」(カスティーリョ)から来ている。英語Castle、イタリア語Castello等と同根。
 
5.その雑件
(1)ブラッディ・メアリー
ウォッカとトマトジュースで作る赤い同名のカクテル名があるよう血まみれのメアリーとはヘンリー8世の娘でエリザベス1世の前女王、メアリー1世のこと。父ヘンリー8世が離婚するために英国国教会を作ったのに対し、カトリックに戻そうとして反対する人を虐殺したのでこう呼ばれる。実際の処刑はカソリックの流儀で火刑なので流血はしていないと言えばそうなる。尚、ヘンリー8世は英国教会を作ったものの信条はカトリックでありプロテスタントではなかった。
 
(2) 吸血鬼ドラキュラ
英国のブラム・ストーカーのゴシック・ホラー『吸血鬼ドラキュラ』のドラキュラとは、ストーリー上はルーマニア・トランシルヴァニア地方のドラキュラ伯爵。モデルは同じルーマニアのワラキア公国のウラド3世だと言われることが多い。しかし、この根拠は何も残っていないそうだ。ウラド3世は通称ドラキュラ(ウラド ドラキュラ)という綽名がある、というか自分でも名乗っていたそうである。このドラキュラはドラゴン=竜のことで寧ろいい意味であろう。ウラド3世は、(敵軍(オスマントルコ)や国内の敵対者を木杭に刺して処刑、晒したことから「串刺し公」という綽名もある。最後は哀れな末路を辿った。


イングランド王紋章 Three Lions
英国王室国章

補足:
アングロ・サクソン人、ノルマン人(ヴァイキング)、フランク人は全て
ゲルマン系民族。フランスはフランクから来ているのは周知のとおり。
然るに、英国、スカンジナビア(デンマーク、ノルウェー、スウェーデン)の言葉はゲルマン語系ながら、フランスだけイタリック系なのでは、やはりローマ帝国の支配が長かったからではないかと思う。
フランスのシラク元大統領は、フランス人はガリア人(ケルト系の一部)の末裔&ローマ帝国の末裔と言っていた。フランスでガリア(ケルト)の言葉残っているのはブルターニュ地方だけだと思う。

山川書店(2021)『詳説世界史B』より転載


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