ふりさけ見れば

日経(読んでない方は悪しからず)朝刊の連載小説で安部龍太郎『ふりさけ見れば』が載っている。久々に読み応えのある大作である。タイトルは勿論、阿部仲麻呂の「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山の出でし月かも」から来ている。最近はどうか知れないが、百人一首でもお馴染みなので嘗ては小学生でもこの和歌は知っていた。ただし、この歌が本当に本人のものか怪しいという説もある。


この連載小説は阿部仲麻呂が主人公、或いは吉備真備も入れてのダブル主人で、彼らが遣唐使として派遣されて以降の活躍を描くものである。日本でもお馴染みの玄宗皇帝、楊貴妃、「安史の乱」が出て来るので興味深い。


以前も書いたよう、安禄山はソグド人と突厥人のハーフである。安禄山の本来の父親は「康」という名前のソグド人であったが、亡くなったため母が「安」というソグド人と再婚した。史思明はソグド人の父と突厥人の母をもつ。中国の書にはソグド人よくは「紅毛碧眼」など書かれている胡人の代表で、ソグディアナを本拠としオアシス都市に展開する所謂イラン系アーリア人である。ソグド人は中国姓を名乗る際に元々のルーツの出身地によって「安」「米」「史」「何」「曹」「石」「畢」「羅」「穆」「翟」「康」などのソグド姓にする。

安禄山の母は突厥人のシャマンと言われている。日本でもシャーマニズム、巫女として知られる。卑弥呼も巫女(シャマン)だったと考えられているのはご存知のとおり。

このシャマンはツングース語である。

連載小説で仲麻呂と一緒に王維が出てくる。この人物は戦前の教養人なら誰でも知っているし、戦後も世界史また漢文の授業を受けた人ならそうだと思う。小説では科挙で王維が1位、仲麻呂が2位だったことになっている。王維は首席だったという話はあるようだが、仲麻呂は分からない。何れにしても仲麻呂も真備も秀才だったようで『続日本書紀』に「わが朝の学生にして名を唐国にあげる者は、ただ大臣(吉備真備)および朝衡(阿部仲麻呂)の二人のみ」と書かれている。朝衡は晁衡とも書く(小説では晁衡)。

王維は、唐の高級官僚で時代を代表する詩人であり、画家・書家・音楽家としての名も馳せたようだが、日本ではなんと言っても詩人として有名であろう。一番広まっているのは多分以下の二つ?。漢文を学んだ人なら「そうか」と思うはずである。


<鹿柴>

空山不見人(空山 人を見ず)

・・ひっそりとした山に人影もなく

但聞人語響(但だ人語の響きを聞く)

・・ただかすかに人の声だけが聞こえる

返景入深林(返景 深林に入り)

・・斜陽が深い林の中に差し込み

復照靑苔上(復た青苔の上を照らす)

・・また青い苔の上を照らし出す

<送元二使安西>

渭城朝雨浥輕塵(渭城の朝雨 軽塵を浥す)

・・渭城の朝の雨が道の埃を落ち着かせ

客舎青青柳色新(客舎 青青 柳色新たにす)

・・旅館の柳も青々と生き返ったようだ

勸君更盡一杯酒(君に勧む 更に尽くせ一杯の酒)

・・さあ君、もう一杯やりたまえ

西出陽關無故人(西のかた 陽関を出づれば故人無からん)

・・西方の陽関を出てしまえばもう酒を交わす友もいないだろう

 

ところで、安史の乱はウイグル(帝国)の援助で収めることが出来たと書いたことがある。このウイグル人と現在、中国政府の弾圧で問題になっている新疆ウイグル自治区の

人々とは関係がないことが分かった。この件はまたどこかの機会で触れることがあるだろう。


日経朝刊より 西のぼる画


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