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私は愛について考えている。

てめえの愛はどこにある。
オールドレンズの先か?インスタグラムか?

愛の安売りに溺れた商業カメラマンが多過ぎる。逆光フワフワ、ストロボキラキラ、ラブラブちゅっちゅ、派手なレンズ効果。それが愛の形をしているのか、たった一度、その場で会っただけの人間の愛をそんな簡単に形に出来るのか。衣装は、ポーズの意味は、レンズ選択、色温度、露出、そのシャッターに「なんとなく綺麗」以外の意味があるのか。我々カメラマンが愛について考えるべき時がきていると思う。

のっけから飛ばしてますが、まだまだ若いんで世の中に中指立てていきます。キラキラした写真は思い出として、とても綺麗で良いものだと思います。なんなら僕も好きです。逆光の柔らかい感じとか玉ボケとか綺麗だし撮ります。ソフトフィルターなんて付けっぱなしです。カラーなんてやりたい放題。もしそれが2人で撮った幸せな記録なら最高です。我々が口を挟む余地なんてない。

ただ、我々のような、写真を生業としている人間がお客様相手にやるとなると訳が違う。その曖昧な写真がホンマにLoveなのか。そのシャッターに、これまでの人生や2人の愛を育んだ時間は刻まれてるのか。簡単に言っちゃいかんと思うんです。最近よく見かけるのが、お客様を撮った写真を「作品」としている人を沢山見かける。これも「事例」としてあげるならわかります。撮ったんですからね。けど作品と言うのは、お客様が言う事だ。僕らはお邪魔してるんです、表現のお手伝いなんです。言葉狩りをするようで汚いですが、これは写真をやってるなら区別をつけなければ、と思う。写真を撮らせていただいたお客様は喜んでくださるんですよ。本当に喜んでくださる。でも、それはお客様が、ご家族が素晴らしい関係だからこそ、僕達はシャッターを切って、とても素晴らしい瞬間を残す事ができる。自分達は黒子だって事を忘れちゃいけない。

愛って身近なのにめっちゃ難しいんすよ。どれだけ撮ってもわからない。パートナーとセルフポートレートの作品を撮って、写っているもの全てに意味を持たせ、出来るだけ要素を剥ぎ取って抽出し、さらに考えて試行錯誤して、それでもまだまだマダマダ何にもわからない。こんなにも恋人が好きで、こんなに愛に真剣に向き合って、でも自分達の事ですらわからない。自分達の写真で、自分達の愛を表現する事がこんなにも難しいのに、他人の愛を写すなんて、作品にするなんて僕には出来ない。

これまで無理だなんだと散々書きましたが、愛の表現をやってのける巨匠がいる。とんでもねえ人達だと思う。先達の写真や絵を目の前にして、その圧倒的な愛に茫然とし、立ち尽くすしかなくて涙した事もある。だから僕は追いかけたい。いつか超えたい。自分達の愛の形をいつか残すために。

私は愛について考えている。

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