見出し画像

常磐線全線復旧 初日に浪江町へ行ってきました

東日本大震災で大きな被害を受け、原発事故にもみまわれたJR東日本・常磐線。2020年3月14日(土)、最後に残された区間である富岡~浪江間が復旧し、晴れて全線開通となった。

水戸に住み、毎日東京に通う自分にとって常磐線は生命線。水戸の前も柏、その前は松戸に住んでおり、高校時代も使っていたから人生の半分以上常磐線にかかわっていることになる。そして、学生時代は水戸から仙台まで青春18きっぷで往復したりもした。

その全線開通初日、自分は福島県浪江町に行くことにした。

震災直前、2011年1月に自分は仕事で浪江を訪れた。だから地震があったとき、浪江はどうなったろうとずっと気がかりだった。2017年にこの駅を含む町の東側が避難指示解除になったので再訪しようかと思ったが、何となく、常磐線が完全復旧したときこそそのタイミングだと決めていたのだ。

そして迎えた3月14日。

LEDボードの「仙台」という文字が光り輝いて見える。

この日から運行を開始した品川発仙台行きの特急、その最初の列車となるひたち3号が水戸駅のホームにすべりこんできた。

毎日乗っている電車だが、いつもとは逆方向だし、席を埋めているのは通勤のサラリーマンではなく鉄道ファンたちということで、非日常感というよりアウェー感を抱きつつ出発進行。意外にマスクしてる人が少ないのは若年層が多いからかな?とどうでもいいことを考えているうちにいわきに到着。ここで車掌区が変わり、車掌さんから「本日、東日本大震災から9年の月日を経て、常磐線が全線開通いたしました」と力強いアナウンス。ぐっときた。

しばらく進むと、いよいよ本日から列車が乗り入れる区間へ。その模様を動画に収めておいたのでここに貼る。

浪江駅では、地元の人々が数多く集まり「ひたちの帰還」を祝った。

9年ぶりの浪江駅。駅の外観は変わっていない。

前にこの駅に降り立ったとき強烈に印象に残っていたのが、ロータリーにあった「高原の駅よさようなら」歌碑だ。

地元出身の作曲家、佐々木俊一の業績を顕彰するものだが、この歌碑にはその前に立つと楽曲が流れるというチョベリグな仕掛けがあるのだ。

震災、そして原発事故があり、この駅の周辺には長い間人が立ち入れなくなっていたが、なぜか自分はずっとこの歌碑のことを思い出していた。

それは、星新一の『ひとつの装置』のイメージが重なったからだと思う。単行本「妖精配給会社」に収められているこのショートショートは、人類が去り、荒廃した都市にそびえる「ある装置」の話だ。

あの装置のように、無人の駅前で、あの歌碑はどうしているだろうか?

だからきょう、駅舎を出てまっさきにその歌碑を探した。すると・・・

あった。

いや、問題は以前と同じように曲が流れるか、だ。

流れた!

いやあ、この再会は嬉しい。これだけで来た甲斐があったというもの。

ひたち3号の浪江着は11時15分。歌碑の動画など撮っているうちにいい感じにお昼時になったので、駅から歩いて10分ほどの市役所となりにある仮設商店街「まち・なみ・マルシェ」に行ってみた。

ここには、今や浪江の代名詞にもなりつつある「なみえ焼きそば」による町おこし活動を続けてきた団体「浪江焼麺太国」のアンテナショップがある。前回浪江を訪れたのも少しこの活動に関係したもので、実際になみえ焼きそばも食べている。大量のもやしと太い麺、濃いめのソースがおいしかった。現在、街中の飲食店は極めて少ないこともあり、この店で焼きそばを食べられればと思ったが、残念ながら休みだった。

焼きそばは今度来たときのお楽しみにして、マルシェ内の「海鮮和食処くろさか 」へ。せっかくだから贅沢しようと「特上海鮮丼」を頼む。

いやあ、これがウマすぎた。小粒で味の濃いイクラに良質のウニ、大ぶりの大トロや分厚いホタテなどなど、一級品のネタがそろっている。これで1900円は高くない。都内でこのクオリティを求めたら倍以上しそうだ。

すっかり満足し、ぶらぶら歩きながら駅まで戻る。途中、前に来たとき焼きそばをいただいた店の場所に行ってみたが、すでに空き地になっていた。

駅に着いたが、帰りの電車にはまだ時間がある。駅前にある、(社)まちづくりなみえが運営する「かふぇ もんぺるん」に入ってみる。すると、日替わりランチが焼きそばだというではないか。食べない手はない、と本日二度目のランチ。

太い麺に大量のもやし。そして豚肉。一味がついてくるあたり、正しく浪江スタイルである。

いい気持ちになって電車を待つ。JRが集めたメッセージボードに何となく目をやる。

このメッセージが印象に残った。

帰りは普通列車でいわきまで戻る。その様子も動画に収めた。

いわき駅で銘菓「浜通り」を購入し、水戸へ帰る特急の車内でいただく。でもつい「三万石」の「ままどおる」や「エキソンパイ」も買ってしまった。

というわけで、一口にまとめると「焼きそばを食べて帰ってきた」1日だったのだが、いろいろ思うところはある。

9年前、初めて浪江の町を歩いたとき、一種の違和感のようなものを感じた。人通りは非常に少ない。だが「さびれている」という印象はなかった。この町は「何か」に支えられているのではないか?その時は、地方ならではの豪族企業でも存在しているのかな(「野生の証明」の大場グループのような)などと考えた。

それが「原発」だったことに気づいたのは2カ月後、震災が起きてからである。浪江町に原発が立地しているわけではないが、商業や雇用などの面での波及効果は大きかったと聞いている。

原子力発電への賛否はここでは語らない。しかし、その影響力の大きさが「良くも悪くも」圧倒的だという現実を、改めて思い知らされた。

浪江町は駅を含む東側のエリアで避難指示が解除されているが、もちろん人口はまだまだだ。復興はその緒についたばかりである。そして、西側の大部分はいまだ帰還困難区域だ。

今回、富岡~浪江間を列車が走るようになったが、双葉駅も大野駅も夜ノ森駅も、降りたところで駅前のわずかな区域以外は立入禁止だ。

東日本大震災はもう過去のものだと思っている人もいる。しかし厳然とした事実として、まだ震災は終わっていない。「まだ終わっていない」というのは時として語弊があるかもしれないが、言い換えれば過去と同じ時間軸に生きている、と実感することだ。沖縄に初めて行ったとき、「まだ太平洋戦争は終わっていない」と感じたのも同じ感覚だ。

時には「もう終わった」と考えたほうがいい場面もあるだろう。過去に拘らないほうがいい、という意見も否定しない。しかし「まだ終わってない」と考えれば、より大きな本質が見えてくる。人類創生以来、紡ぎあげてきたヒトの歴史はひとつの時間・空間の中で成り立っていることを忘れずに生きていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?