劇団四季『ゴースト&レディ』四季の第?幕が始まった
トップ画像でバレてしまっているが、この作品を鑑賞してから2カ月も経ってしまった。特に理由があるわけでもないのだが「これはちゃんと考えて書かないといけないな」と感じて、考えているうちに時間が過ぎてしまったいつものパターン。そして考えがまとまってないのもいつものパターンなので、いつも通りにだらだら書きます(言い訳)。
今後名古屋や大阪で観る人も多いと思うので、一応ネタバレ注意ということだけ先に言っておきます。
観終わったあとの感想をひとことで言えば、ボブのセリフと重なるんだけど「何て美しい物語なんだ」。
フローとグレイの間にある、恋愛とも友情とも信頼とも取れるけど、それらすべてを昇華させたような関係が心を打つ。デオン・ド・ボーモンにフローとの共通性を、軍医長官にグレイとの共通性をそれぞれ持たせ、その上でクライマックスで4人を同時に舞台に配置する構成の見事さ。そして物語の全体を「演劇」というパッケージに包み込んで、メタ的に劇場に座っている観客もその要素に取り込んで見せる「演劇的」な面白さ。奇をてらうことのない直球勝負のエンターテインメントが、これほどまでに美しい色彩を放つとは。
当初、正直この作品は観る予定がなかった。藤田和日郎は好きな作家だけど、この作品は未読だったこともある。ところが、開幕すると評判を呼び、あちこちで賞賛の声を耳にするようになった。空席がどんどん埋まっていく。やば、とチケットを確保して足を運んだ。
これは、自分が最近の四季をやや見くびっていたということなんだろうと思う。クリエーターのピークを過ぎてなお、浅利慶太のリーダーシップは劇団内外(特に外)に絶大なものがあり、それを失った劇団四季はいずれ厳しくなるのではないか――と自分もうっすら感じていたのだ。
実際、浅利慶太が四季を離れてからの新作は、良作とはいえ、観客を「正常ではない観劇姿勢」に導くほどのパワーを持ってはいなかったと感じる。四季が好き、演劇が好き、という人は足を運ぶが、そうではない人を一発で沼に沈めるほどの破壊力は、昔から上演していたレパートリーに一歩譲っていたのではないか。
そこに登場したのがこの『ゴースト&レディ』だ。
この2カ月どっぷりその感動にふけるほどの熱量を持つ作品ながら、そこに「強烈な作家性」は前面には出てこない。藤田和日郎の原作には比較的忠実なので(鑑賞後に読んだ)、その世界観は感じられるし、高橋知伽江の職人というか名人としての技巧にはほれぼれする。若いながらもはや大御所の風格がある富貴晴美の音楽はいつも耳と心にやさしい。
だがそれらの何かが突出しているのではなく、あくまで作品全体として、トータルに見たときに最高の輝きを発している。
これこそ『劇団四季』のなせる業ではないか。
浅利慶太が率いていた時代も、そりゃ若いころは『ジーザス・クライスト=スーパースター(ジャポネスクバージョン)』みたいなアバンギャルドを突き抜けたようなこともしてたけど、ベテランになってからはどちらかというとプロデューサーとしてその手腕を発揮していた。
かつて加藤敬二は何かのインタビューで「俺はこう思うからこうしろ、ではなく、みんなに意見を聞いて考える。それこそが『劇団』の強み」と答えていた。
そういう意味で、本作には劇団内外の、この作品にかかわった多くの人の仕事ぶり、アイデア、思いがここかしこに感じられた。強烈な作家性に「さすが!」と舌を巻くのも快感だが、多様な人の手により練り上げられた作品にはまた格別のキモチ良さがある。
これこそが、四季がずっと言い続けてきた『作品主義』なのかもしれない。
浅利慶太が四季を離れるその前から、準備と試行錯誤を続けてきた四季の新章の幕――それが二幕なのか三幕なのか分からないが――が上がったことを高らかに宣言した。『ゴースト&レディ』はそんな快作だ。
そしてこの作品から感じ取れるのは、本作にかかわった人たちの息遣いだけではない。これまで四季が創り、演じてきた様々な作品のかけらが見て取れるような気がする。
冒頭、観客に語りかけるグレイは『夢から醒めた夢』の夢の配達人のようだし、一幕最後に病院の階段が舞台上を自在に動いて二人の心の動きを表現する場面では『異国の丘』の一幕最後を思い出した。シアターゴースト、という存在は言わずとしれた『オペラ座の怪人』を重ねずにはいられない。新しいもの、古いもの、借りたもの、青いものという「サムシング・フォー」が歌われると、『サウンド・オブ・ミュージック』の「私のお気に入り」が頭をよぎる。
これらはほとんど制作側が意図しないもので、というかあくまで自分の妄想なのだけれど、そういう雰囲気が四季の現在地での集大成、という本作の印象を強くしてくれていた。
妄想ついでに言うと、四季以外の作品すら思い出させる場面やセリフ、演出なども結構ある。「死」で結びつけられた人と人ならざるものの関係、といったら『エ〇ザベート』だし、あれっこれ『レ・ミ〇ラブル』じゃね、と思ったり、デオン・ド・ボーモンの美しさに「オ〇カルさま・・・」とつぶやいたり。
まあそのへんは妄言として受け流して欲しいが、別にパクったりオマージュをささげているわけではなく、この何十年かの日本のミュージカルが歩んできたその道の途中にこの作品もある、という、ある意味アタリマエだけど見落としがちな事実を再確認することができた。
ところで、この日のキャストはこうでした。
萩原隆匡というと『キャッツ』のマンゴジェリーのイメージがとっても強いけど、もうすっかり中堅、というよりベテランにさしかかっている。本作は間違いなく彼の「当たり役」になると思うが、俳優がこうして「当たり役」をつかむのはその活躍を長年観てきた者としても実に嬉しい。
『ウィキッド』のエルファバ役でおなじみ岡村美南が演じるデオン・ド・ボーモンはもう素晴らしすぎる。二幕の面白さはほとんど彼女が支えているといっても過言ではない。明示的に自らの過去を語るセリフもあるけれど、たとえそれがなくても、その演技や物腰からどんな人生を送り、そしてゴーストになったのか伝わってくるほどの説得力がある。彼女を主役に、スピンオフの物語を上演して欲しいぐらいだ。
そして谷原志音は、もう隠さず言うけど相変わらず可愛い。「俳優ではなく作品を観ろ」と天国から代表の声が聞こえてくるが、可愛いものは可愛い。ちなみに10年前に『リトルマーメイド』で初めて観たときは、その可愛さが強烈過ぎて作品自体の評価ができなくなるほどだった。
やべーだろ、あれから10年以上経つんだぜ?なんであの透明感が維持できてるん?もう観てると家に新しいものと古いもの何があったかな?とつい考えてしまう。
まあそんな「正常ではない観劇姿勢」を復活させるほど、この作品にパワーがあった、ということだ。と、noteには書いておこう。
『ゴースト&レディ』公式サイト