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音楽劇『夜のピクニック』再演

2016年に初演された舞台版『夜のピクニック』。全校生徒が70キロの行程を夜通し歩くという奇妙なイベントを通じ、若者たちの揺れ動く感情を瑞々しく描いた作品だ。

原作は本屋大賞を受賞、そして多部未華子主演で映画されたこの著名な作品を、原作の舞台となった水戸市でミュージカルにするという試みは、現在水戸に住んでおり、またモデルとなった水戸一高の出身である自分にとって思うところがありすぎる。しかしその主観を大幅に差し引いて考えても、このプロジェクトは大成功となった。その感動は今も鮮明に覚えている。

直後から再演の要望はあったようで、自分も心待ちにしていた。それがようやく叶った矢先のコロナ禍発生。公演回数を半減させるなど、計画の変更を余儀なくされたが、それでも再演を実現させた関係者の努力に心から拍手を送りたい。

この舞台版、原作のストーリーを継承しながらも、脚本を担当した高橋知伽江は大きな変更、というより大きな仕掛けを施した。今後も再演が繰り返されることを期待し、ここでは詳細は伏せてネタバレを避けるが、全体を10年後から、そして原作や映画では「歩く会」(原作・映画では「歩行祭」)に参加していない榊杏奈という登場人物の視点で振り返る、という構図になっている。

原作者である恩田陸もパンフレットに寄せたコメントで「嬉しい驚き」と表現したこの構図こそが、この舞台化を成功させた原動力のひとつだ。

言うまでもなく『夜のピクニック』は高校生の話。小説で読んだり、スクリーンを通して観る分には、脳内でさまざまな変換を行い、ある程度自然に受け入れることができる。しかし、これを舞台というリアルな空間メディアで観ると、ややこそばゆい感覚はどうしても払拭できず、作品が届けようとするメッセージを素直に受け入れるための障壁になってしまう。だが、この「10年後の榊杏奈」という視点を加えることで、「そういえば自分にもあんな時代があったものだ」と、(実際にはそんな時代がなくても)何となく受け入れられるようになる。つまりは、共感しやすくなる。

そういう意味では、榊杏奈という役どころの意味は大きい。時間と空間を越えて、出演者と観客とを結びつける、『くるみ割り人形』のドロッセルマイヤーのような存在だ。

この重要な役を初演に続き演じた吉川友の演技が、本当に素晴らしい。感情を控えめにした自然な立ち居振る舞いと、その感情を爆発させる歌という対極的な二つの側面によって、場内の空気を完全にコントロールしている。

そうしてすべての観客の共感をその手中に収め、それをまとめあげて、舞台を締めくくろうとするかと思いきや、それをーーー

目の前で破壊して見せる。

客席の空気が目に見えて変わる、この瞬間のカタルシスといったらどうだ。これは小説や映像では味わえない、リアルな演劇空間でしか味わえない快感である。

この構図、そしてそれを担う吉川友によって、この舞台の成功が支えられている。

また原作や映画との比較で言うと、歩く会の存在自体が、より意味のあるものになっている。原作ではどちらかというと、非日常感を作り出す存在として機能しているが、この舞台では夜を通してひたすら歩き続けることで、さまざまな境界線を超える、何か哲学的な意味をもったものとして描かれる。宗教的な、というと言い過ぎかもしれないが、『夢から醒めた夢』で現世と来世をつなぐ空間として「夜の遊園地」が登場する場面がある。ちょっとそれに近い。

だが、モチーフとしての「歩く会」に重みが加わったからといって、決して原作で描かれた物語が軽視されているわけではない。ここで重要な役割を果たしているのが、原作や映画では少ししか登場してこない、原作における主人公である甲田貴子の母を大きくフィーチャーさせたことだ。そして、それを演じているのが宝塚OGの実力派、ベテラン剣幸。彼女の存在によって、かなりアグレッシブな「原作と異なる部分」と、「原作に沿った部分」とを見事にバランスさせている。

吉川友、剣幸だけでなく、高校生たち、大人たちを演じた役者たちが、みな本当にいい味を出している。「高校生」とひとくくりにされてしまうと、どうしてもその個性を出すのが難しくなるが、それぞれ細かい演技を正確にこなすことで輪郭のはっきりしたキャラクターに仕上げている。これは、演出した深作健太の力ではないか。

そして今回、めでたくサウンドトラックも発売された音楽。扇谷研人の紡ぎだす曲の数々は、どれも印象的で、記憶に残るフレーズばかりだ。ミュージカルの音楽は何といってもコレである。

まあとにかく、褒めるところしか見当たらない。近年、ブロードウェイでは「ディア・エヴァン・ハンセン」「プロム」「ミーン・ガールズ」といった、高校を舞台にした作品が次々にヒットを飛ばしている。ぜひ全国、と言わず世界で上演してほしい作品だ。

最後にごく個人的な感想を。この作品を観ている感覚は、なんというか、言葉で表現できないフシギなものだ。

実際に高校で体験した、あの「歩く会」をモチーフにした物語が、自分の大好きなミュージカルという形になって目の前で繰り広げられている。先日のテレ東音楽祭で、後藤真希と共演した柏木由紀は「大スターが自分たちの学校の校歌を歌っているようなもの」と言っていたが、この舞台には母校の校歌が登場する。脚本を書いたのは劇団四季の『クレイジー・フォー・ユー』や『アラジン』で翻訳を担当した高橋知伽江だ。舞台上には、食い入るように観ていたモーニング娘。Happy8期オーディションに参加していた吉川友が立っている。当時、自分は吉川友と佐藤すみれ、増田絢美の3人が合格だな、と確信し、今後はこの吉川友という子を推そうと決めていたので、しばらくショックで立ち上がれなかったほどだ。だからきっかがハロプロエッグに参加したときは嬉しかったし、佐藤すみれがAKB研究生になったら研究生公演に通った。さらに、この舞台を演出しているのが深作健太。『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』の舞台あいさつで観たあの人が、自分の観ている同じ列の少し離れたところで舞台のチェックをしている。何だろう、この感覚は。自分の人生のさまざまな「境界線」が崩れ、カオスな空間が出現している。

そういう意味では、舞台というものは「歩く会」並みに、いろんな扉を開いてしまうものなのかもしれない。

音楽劇『夜のピクニック』公式サイト

https://www.arttowermito.or.jp/sp/yorupic2020/







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