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【今週の志考#2】目指すべき場所

こんにちは。臥龍健(がりゅうけん)です。

今週も私の記事を見に来てくださって本当にありがとうございます。

外も冬らしい寒さになってきましたね。コロナに加えてインフルエンザにも気を付けましょう。風邪などひいてないでしょうか。手洗いうがいなど徹底してなんとかこれから迎える冬本番を乗り切りましょう。

眠る時に首元にタオルなどを巻いて暖かくして眠ると免疫力に効果があると言います。皆様もどうかお体ご自愛下さい。

さて、本日お話ししたいことは自分が目指す場所、理想、ゴール、目的についてです。

私はそれらを総称して「目指すべき場所」と呼んでいます。

いくら小手先の知識を学んでも、自分の中に目指すべき場所が定まっていなければそれらをうまく活かすことができません。

そして自分が定めた目指すべき場所が自分の今なすことや考えるべきことなど生活の全てに影響していきます。

そのためまずはあらゆる行動や知識の大前提となる目指すべき場所を定めるということの大切さ、重要さを実質第一回となる今回の記事でお話したいと思います。

例えば突然今、「今すぐに何か行動してください」と言われたらあなたは何をしますか。何かしら今すぐ行動しなければならないとしたらどうでしょうか。ある人は突然走り出すかも知れないし、ある人は大声を張り上げるかも知れません。

今あなたも想像してみてください。「今すぐに何か行動を起こさないといけない」としたら何をするでしょうか。きっと正直な話困ると思います。

何をしていいのか分からない恐怖。頑張りたいけれど何をどう頑張ればいいのかさえ分からない漠然とした恐怖。この感覚が目標が定まっていない人の日常的な感覚です。

何かに挑戦して失敗しても本当に取り返しのつかないことをしない限りその失敗から学び、再び挑戦する、つまりは次の目指すべき場所に向かうための肥やしになります。

しかしながら先ほどの例のように、そもそも「何をすればいいか分からない」という人は目指すべき場所を持たないために行動を起こしません。行動しないから失敗さえもできません。失敗できないから学ぶこともできずに次の行動を起こせません。何をすればいいか分からないまま時だけが過ぎていきます。結果的に目指すべき場所を持つ者と持たざる者の差は乗数的に開いていくのです。

多くの人が感じているように、時が経つのはあっという間のできごとです。気付いた時には数年数十年あっという間に過ぎ去っていきます。それでもなんとなく生きていけるのが現代です。あなたがあなたの人生をどのように生きて、どんな思いを感じ、その人生を彩っていくのかは全く自由ではあります。

しかしここには自由に決められることの代償があります。それは「誰のせいにもできない」ということです。自分でどのように生きるかを決められる代わりに、その責任は晩年になって全て自分に帰ってきます。

とにかく気楽に毎日を享楽的に生きたいという人は他人に迷惑をかけない範囲である程度その通りに生きることができるでしょう。しかし、人生が終わりに近づいた時を想像して1ミリでも後悔してしまうかもしれないと思うなら現在の生き方を改めなければなりません。

人間は放っておくと楽をしようとしてしまいます。それは動物的な本能で、できるだけエネルギーを消耗しないようにするのです。私の家にはオスのトイプードルのレオという名前の犬がいます。彼は餌を食べる時や餌を探す時、それから散歩の時以外はほとんど横になったまま動きません。たまに遊ぼうとして声をかけるとお腹を見せてリラックスした表情を見せます。

そんな彼から学んだことは、動物は基本的にはエネルギーを消耗しないようにできているのではないかという仮説でした。人間も、今では文明を発達させてきましたが、動物であることに変わりはありません。

しかしたとえそれが動物のありようだとしても、全ての人間がそうであれば現代の発達はあり得なかったでしょう。人間には理性があります。他の生き物がどうかは彼らになってみないと分かりませんが、少なくとも我々人間は死を意識することができます。

我々は自分の人生が終わる時、本当に後悔しない生き方だったと思える生き方が今できているでしょうか。その答えがYESでは無いのなら、冒頭にした要求、つまり「今すぐに何か行動してください」と問われた時に感じたような空虚感に似たような感覚をこの世から去る最後まで感じることになるでしょう。

それこそが最大の苦しみであり、人生における最大の過ちと言えるでしょう。せっかく我々は自身の人生に限りがあると分かっているのだからこそ、今できることがあるはずです。

そして、誰かから「今すぐに何か行動してください」と言われる前に、自分の心が向かうべき場所が分かっていればすでに行動しているでしょう。

目的、ゴール、つまりは目指すべき場所が胸の奥にあるという事実を決して侮ってはいけません。しっかりと目指すべき場所が胸の内にあるということ自体が大切なのです。あなたが苦しくてどうしようも無い時、目の前の雑事から逃げ出したい時。あと少しで手が届きそうな時、最後の最後で力を振り絞ることができるかどうかは支えとなる目指すべき場所があるかどうかで決まります。

自分が心に定めた目指すべき場所にいつたどり着くことができるのか。そもそもそこにたどり着くことができるのか。それは誰にも分かりません。だからと言って目指すべき場所を持たなければ今何をすればいいのかが分からなくなってしまうのです。

どんな小さなことでもいいのです。誰にも言わなくてもいいのです。どんなに大きなことでもいいのです。本当になりたい自分自身の姿。本当にやりたいこと。本当に感じたいこと。本当に大切にしたい人。本当にいたい場所。

誰かからこんな風に思われるかもしれないとか、誰かからこんなことを言われそうだとか、そんなことはどうでもいいのです。他人に迷惑をかけなければあなたは自由に生きることができます。

頑張らなくてはいけないのは分かっているけれど何をしたらいいのか分からない苦しさ。そこから脱却するためには本当は自分は何を手に入れてどう生きたいのかをありのままに考えることです。そして何よりそのために達成しなければいけないことを目標として掲げましょう。

この時に決めた目標を達成するために努力を続けているうちに、目標が変わることもあるでしょう。その時はまた新たな目標のために一生懸命になればいいのです。先にも述べましたが、どんなに小さなことでもどんなに大きなことでもいいのです。

とにかく自分の中に目指すべき場所を定めること。なんとなく心に描いている人はそのたどり着きたい場所を今よりもっと具体的に描くこと。

そんな毎日を積み重ねるうちに、過去にした努力が一つ一つ形になってくるのです。それはあなたが過去にしっかりと自分の人生と向き合って目指すべき場所を定めた結果です。

全ての努力がすぐに結果に結びつくわけではありません。ヘタをすると数年、数十年後に形となる、もしくは形にならないこともあるかもしれません。

しかし、あなたが何かに向かって熱く生きたという事実はどんな権力者も大富豪も先進的な技術も揺るがすことはできません。最後に自分の人生が「これで良かった」と思えるかどうかは、結果ではなく、生き方なのです。

自分という人生をもう一度生きたとしても今ほど高みへ登ることはできないだろうと思えるほどに自分の人生に最善を尽くすことができたか。本当に高みを目指す生き方を最後まで貫いた人ほどその道が過酷すぎて「生まれ変わったら同じ人生を歩むのはごめんだ」と思うかもしれません。しかしその人の心の中には心の底からの達成感や充実感が溢れているでしょう。

未来の自分が現在の自分を振り返った時に、心の底から「よくやった」と言えるような生き方が今できているでしょうか。

「身近な人にもう少し優しく接しよう」

「今日は3ページ本を読もう」

「いつかこの世界をもっとより良くできる自分になろう」

そのためには何ができるのか。考えれば考えるほどワクワクしてきませんか。あなたにはあなたにしかできない使命があります。生きている限りなすべき何かがあります。

そのことを信じて最後まで生き切ることが出来るか。その心意気が最後に心の底から自分の人生に満足できるかどうかの分水嶺になるでしょう。

あなたが何かをする大前提にこの目的感が常に存在しているということを決して忘れないでください。あなたならきっとできるはずです。

まずは自分が死ぬのだということを受け入れ、その時に何を感じて終わりを迎えたいのか。誰にも言い訳ができないからこそ、自分の心には偽ることができないからこそ、この命題に何よりも優先順位を上げて取り組むこと。なぜなら終わりはいつやってくるか分からないからです。

難しく考える必要はありません。ありのままでいいのです。ありのまま、川の流れのように淡々と目の前のなすべきことを成す。それができるのは心の中に燃え盛るような自分の目指すべき場所を持っているからです。

人生の大きな醍醐味の一つに未来への希望があると思います。ああでも無いこうでも無いと悩みながら、彫刻を掘るように自分の生き方を削り出していく。そして気付くとまた一歩成長している。成長しているから昔とは違う景色が待っている。

未来は、自分が思っているよりも遠くまで行くことができます。未来を生きるチケットを持っているのは今息をしている全ての人々。これを読んでいるあなたも例外ではありません。

私はこれからもnoteやSNSの言葉を通してあなたが少しでも素晴らしい景色が見えるように発信していきます。

今週も最後までお読みいただきありがとうございました。

また来週の投稿でお会いしましょう。

臥龍健(がりゅうけん)でした。

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