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音節な人生
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全ては定められた流れの下にあると知った時に、実際のところ人はどうするのだろうか。俺はこれから、10年以上連絡をとっていなかった親友と再会する。そしてちょっと、まぁ、とりあえず殺してみるのだ。
1.
床も机も関係なしに積み上げられた研究資料の数々、青白く発光する蛍光灯、全体的に灰色を基調とした、いかにも研究室といった部屋で俺はポロシャツにジーパンといったラフな格好で天井のシミから性器を連想して暇を潰していた。
なぜ暇かというとやることがないからで、なぜやることがないかというと来週にはここの仕事をやめるからだ。
俺は学者の端くれとして、蚤が仙骨から吸骨する際の理想的な入射角や地域ごとの扇風機における理想的回転数などを、大学の研究棟の一室を陣取って夢想する日々を送っていた。当然夢想では仕事として認められるわけもなく、大学側は研究成果の明示を求めたが、俺の方としても夢想しかしていないのだから明かすものが何もない。そうはっきり伝えたところ、今年度限りでの契約解除、働き盛りの35歳にして馘が決定し、夢想すら必要なくなった俺は期日までただ暇を潰しているのだ。のだ。のだ。のだ。
シミが足を8本生やした男性器に見え始め、それが部屋中を闊歩し飛翔タイプの女性器に腕ひしぎ十字固めを極められたところで携帯電話の着信音が鳴った。画面には谷川由輝と表示されていて驚いた。そもそも電話がくること自体が珍事だが、その相手が10年以上音信不通の親友だったからだ。即座に電話に出ると懐かしい声が聞こえてきた。
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2.
谷川由輝は大学時代の一コ下の後輩であり、一番の友達だった。大学内で成績上位者しか加入できない小御門研究室で出会い、行動を共にした。俺が大学を卒業するのと同時に谷川は大学を中退し、海外を放浪すると言って連絡が取れなくなっていた。
小御門研究室は全学問の権威である世界的な天才学者小御門博人教授を筆頭としたあらゆる研究の最先端集団である。簡単に言えば天才中の天才が天才の種を集めて天才的な研究をし、天才的な成果を発表して天才って凄いと言われる為の集団である。
俺と谷川はそこに属していたのだから当然天才の種ではあったのだが、要領の良さだけで全てをこなしてきたという共通点を持つ俺たちは、研究への熱量の無さも共有していた。研究室で空想科学ばかり妄想している俺たちを他のメンバーは邪険に扱ったが、小御門教授は違った。
なんでも、研究一辺倒で真面目な生徒達に飽き飽きしていて、俺たちのような話も通じるし不真面目な生徒といるのが息抜きに丁度良かったらしい。小御門教授は独身だった。
谷川からの久しぶりの連絡はそんな小御門教授に関する驚きの内容だった。
「小御門教授が消えた?!」
「そうなんすよ。昨晩自宅の通報システムが作動して、警備会社が到着した時にはもういなくなっていたらしいっす」
「もしかして人体霧散現象かな」
「・・・それに関して、ちょっと見て欲しいものがあって。メール送るんで目通してみてください。電話じゃ何なんで、2時間後くらいに会えませんか?」
「あぁわかった、じゃあ大学前駅に15時で。」
電話を切ってしばらく経つと「小御門教授研究資料」という件名のメールが届いた。数枚の資料と動画サイトのURLの他に谷川からのメッセージも書かれていた。
『木田先輩、お久しぶりです。谷川です。電話で話した通り小御門教授が行方不明になってしまい、たまたま僕のところに連絡が来たので木田先輩にも伝えておこうと思い連絡しました。小御門教授は相変わらず独身だったみたいですね。思い出話を沢山したいところでしたが、早々に電話を切り上げてしまいすみません。一刻も早く確認して欲しいものがあり、ただその責任を僕が負える気もしないので、メールという形で送らせてもらいます。先輩が言っていたように、小御門教授は人体霧散現象によって消えたのだと思います。小御門教授の最近の研究内容はまさにそれについてだったようで、添付した資料が事実なら、それの原因も突き止めていたようです。』
俺はここまでメールを読んで、ただ事ではない事を察し始めていた。谷川がここまで慎重になる事は見たことがなかったからだ。当然、人1人がいなくなっているのだからただ事ではないのだが、今の日本では人がいなくなる事に対する一種の慣れのようなものがあるのだ。それは3年前から突然発生し始めた人体霧散現象が原因だ。
人体霧散現象とはその名の通り突然人体が霧散して跡形も無く消えてしまう現象で、科学的に解明不可能な怪奇現象として唯一世界的に認められた現象だ。場所、時間、人を問わず、何の前触れも規則性もなく霧のように人が消えてしまうこの現象は発生当初人類を恐怖のどん底に陥れた。
しかし一年も経った頃には、対策しようの無さと「自分が消える訳がない」というバイアスも加わりそれに怯えることも無くなっていった。世界単位でみても、多くとも1日に300人程度霧散するだけだからだ。世界中で対策チームが組織されたが、3年経った今でもめぼしい成果は無かった。
谷川からのメールにはそんな現象の原因を小御門教授が突き止めたと書かれている。
『小御門教授がなぜそれを発表しなかったのか、僕にはわかります。発表するだけ無意味だからです。それは、資料を読んでもらえればわかると思います。会おうとした気持ちも、きっと分かってもらえると思います。長々とすみません。以下に資料添付しています。』
これで本文は終わっていた。添付されていた資料は『小御門教授研究記録』『"クミコ"スケッチ』と題された画像ファイルと『22世紀コミュニケーション記録』と書かれた一本の動画のURLだ。
俺は『小御門教授研究記録』から読んでいくことにした。記録は2045年の5/7から始まっており、それは人体霧散現象が初めて発生した月だ。
3.
『2045/5/7
人体霧散現象の研究チームに選出されたが、揃って生真面目で余りにツマらなくて敵わない。ソリが合わないなら共に研究するメリットもないので、一人で原因究明に尽力する。霧散した人物の衣服に何らかの痕跡が残っていないか調べてみるが、おそらく何も見つからないだろう。チームの人間は伝染病の線で研究を進めるらしいが。』
実に小御門教授らしい文章だ。雑な字も懐かしい。同時に大学時代の思い出も蘇り、少し悲しくなった。
『2045/8/15
研究チームからの成果報告があった。内容は成果なしという事で、それは私も同じ事だった。発生パターンや被現象者の一年間の食事内容など調べ尽くせる限り調べたが全く共通点が見つからない。加えて、人間以外にも、牛、羊、豚、鳥、犬、猫、など多種多様な動物の霧散も確認されている。生物で有れば全てこの現象の条件下にあるのではないだろうか。正直かなり行き詰まっており、生真面目集団と同じ位置にいるのは恥だが、初めての経験に興奮を覚えている。』
『2045/12/11
何も取っ掛かりがないまま7ヶ月が過ぎた。この世に存在するあらゆる観点から研究にあたったが全く掠りもしない。世界的に怪奇現象と認められ、研究チーム自体は存続しているもののもはや匙を投げたと宣言したようなものだ。確かにこれは怪奇と言わざるを得ない。ただ、それゆえのアプローチが可能なはずだ。霧散現象に向き合ってその内から調べ上げるのではなく、全く無関係のことから偶然それに関連するものを発見するという、時間のかかる手段が。』
『2046/8/5 これまで、あらゆることについてあらゆることを調べ上げた。現状人類が知ることのできる範囲での全知と言っても過言ではないだろう。それでも霧散現象はまさしく霧の如く輪郭すら浮かび上がらない。ただ、オカルト関連の資料を漁っていた際に興味深い文献を発見した。歌川弘著『妖怪の真実』という20年前の書籍だ。内容は『妖怪とは未来人が過去に送り込んだ生物兵器で、過去は未来人の実験場である』という主張を頼りない証拠と共に解説するというオカルトど真ん中のものであるが、興味深いのはその着眼点である。現在が未来の影響下にあるとすれば、あるいはこの現象も説明可能かもしれない。これを確かめるには未来人とのコミュニケーションが必要になる。私はタイムマシーンの開発に着手する』
『2046/11/29 タイムマシーン開発に進展があったので記録する。当初は人体を未来に送り込むことを想定したものを開発しようとしたが、技術的、資金的な限界で諦めざるを得なかった。しかし、未来人とのコミュニケーションをとる事に私の実態は必要がないという事に気づき、意識のみを現在と未来とで行き来させることのできる装置を開発中で、これは数ヶ月以内には実現可能と見ている。』
『2046/12/25 驚くべきことが起きた。未来人なのか、はたまた異星人なのかはわからないが我々が生きる時間軸や次元とは全く違う恐らく知的生命体との接触に成功した。予想よりも早く完成したタイムマシーンこと、意識回射装置は方向を定めずアトランダムに意識を回射させる事で、偶然到達した数々の時間軸地点までの粒電虫の波形を記録し、2回目以降はそれを辿って意識回射を行えるというものだ。それにより到達した時間軸は2172年とそれほど極端な未来ではないものの、興味深いのは接触した知的生命体はこの宇宙には存在しないという事だ。つまり、人類が夢見る『宇宙の外側』に君臨していることを、粒電虫は知らせている。』
俺はここまで読んで、谷川の言っていた意味が分かってきていた。「事実なら」という文章。この2046/12/25の研究記録はどれも人智を超えた事象が淡々と記録されており、もしこれが実現していたならば、人体霧散現象以上の衝撃を世間に与えるだろう。
とてもじゃないが、信じらんねぇ。馬鹿なんじゃない、粒電虫て、何。と、こき下ろしたいところだが、この記録を残しているのがあの小御門教授ということを念頭に置くととても出鱈目とは思えない。
こうなると谷川の「責任を負えない」という文章が現実味を増してきて、この先の記録への恐怖心を煽る。
『2047/2/9 知的生命体への接触を始めてから2ヶ月が経った。私は粒電虫の微這跡を線画抽出して対象の視覚化に成功した。それはあまりに美しく、曖昧で、グロテスクかつ艶めかしい形容をしていた。恐らく、人間の脳には受容不可能であり、3次元空間に存在することもできない存在の為、正確に全容を捉えてはいないが、これがいかに魅力的かを知るには十分なものだ。私はもはや、恋心を抱いている。初めての経験だ。私はこれを、クミコと名づけた。』
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添付された『"クミコ"スケッチ』という資料を開いた。一体どこからどこまでが「クミコ」なのかわからないが、これが小御門教授の言う「曖昧さ」なのだろうか。中央に見える黒っぽい塊は顔のように見えなくもないが、どのような動作をするのか全く想像がつかない。脇には教授のメモのようなものが枠線で囲って書かれているが、どれも不明瞭だ。落書きのようにしか見えないこれが未公開の最先端技術で描かれた未知の生物なのか。
『2047/11/9
最近研究を疎かにしてしまっていた。クミコへの恋心をどうにか伝えようと試みるが、クミコにとって私は実態もなければ次元も違う"もの"であり、そもそも認識されてすらいないだろう。当然、コミュニケーションの方法も我々のように音や文字を介したものではなく、想像もつかない手段なのだろう。クミコの様相は記録するたびに全く違うものだが、このときめきがそれをクミコであることを確信させる。私は今日人生で初めて自慰行為に及んだ。クミコとの想像上での目合いは時間も認識も飛び越えた素晴らしい体験だった。どうにかクミコのコミュニケーション手段を理解して、この気持ちを共有したい。』
『2048/6/7
クミコのコミュニケーション手段を解明する上で、私は回射を3万回行い、クミコに到達するまでの細かい地点に出来る限り到達することでその解明を試みた。同時に、クミコを随時観察し続けることで認識しうる限りの変化を追い続けた。結果は驚くべきものであった。宇宙の外側に君臨すると以前記録したが、クミコの内から宇宙が発せられている可能性があることが分かってきた。この観測を行う中でクミコ以外の、おそらく同種を何件か発見したが、それらについての観測も同じ結果を示していた。クミコ達にとって、宇宙の生成がコミュニケーションなのだとしたら、私たち人間とは一体・・・』
『2048/8/9
以前記録した『クミコ達にとってのコミュニケーション手段とは宇宙である。』という私の仮説はクミコの発するコミュニケーションの一部の映像化に成功したことで確信に変わった。恐るべき事実であり、これを公開するかどうか、今はまだ判断がつかない。クミコに、抑えられないこの気持ちを伝えたいがそれも叶わない。声が発声主に恋心を伝えることなど不可能であるのと同じように。』
俺はここで一旦添付されていたURLの動画を確認することにした。
22世紀生命体のコミュニケーションの記録
数人の人生が順番に映し出されるだけの奇妙な動画だった。これは何かの比喩なのか、もしくはこれがそのままコミュニケーション手段だとするなら一体どういうことなのか。人を媒介としてメッセージを伝えるとか、そういうことなのか?訳がわからない。続きを読み進めてみるしかない。
『2047/10/13
私としたことがしばらく放心状態でいた。この世の真理とはそれすら包括する世界の中にあり、この世に在る全てにとってパンドラの箱であるということが分かった。恐らく、これを公開する事はしないだろう。公開したとて全くもって無意味だからだ。このように自問自答していることさえも、クミコ達にとっては口から出した時点で決定している音の震えのようなものなのだ。しかし、私が私であるという事実も、これからも生きていかなければならないという現実も変わらない。ならば運命論に似たこの事実を公表し恐怖を与えるよりも良いだろう。私は一学者として研究成果を以下に記録し、これを隠匿する。
・クミコ達は生命の起源であり、私達人類が認識できる限り唯一無二の原初知的生命体である。
・クミコ達は私たちにとっての宇宙をコミュニケーション手段として扱っている。分かりやすく言い換えるならば宇宙は文章、銀河は文法、惑星は単語で、人生は音節ということだ。動物や昆虫との違いは濁点であるとか促音であるとか、そういったものかもしれない。
・私たちが意識と呼ぶそれは、音に存在する波形のようなもので、私たちにとって音それ自体が響くようなレベルの出来事がクミコ達にとっては人間が意志を持って行動し、考えるということである。つまり、私たちが「考える」と考えていることはあらかじめ決定された波形に過ぎないのだ。音が波をもって広がるように、私たちは意志をもってクミコ達の音節となる。
・私たちがこの世と認識してきた中で起こる現象は全てクミコ達のコミュニケーションに包摂されてしまう。小指をタンスにぶつけることや地震、ビックバンに至るまで、全てである。
・その上で考えると、仮説の域を出ないが、クミコ達に歴史があり、人類と相似の技術的発展があるとするならば、音節である我々が霧散することは、私たちが携帯のメッセージを「送信取り消し」することに似ているかもしれない。そうだとするならば、私たちは音どころかテキストメッセージレベルのものなのかもしれない。』
記録はこれで終わっていた。2047年10月13日は昨日の日付だ。恐らく小御門教授はこれを記録した後、隠す間もなく霧散してしまったのだろう。その結果こうして、俺に伝わってしまった。
そうして俺は思った。運命だとか、自由意志であるとか議論しちゃって、人類は何て傲慢なのかしら。真実を知ってしまった今、俺は人類の浅はかさ、愚かさ、滑稽さに「プ」と、失笑している。この真実は運命に似ているが、実際は運命よりももっと残酷なものだ。「私たちに起こる霧散現象」ではなく「私たちも霧散も同列の現象」だった。それが人類、それが俺。この思考も、クミコなのかノブオなのかタカシなのかのコンマ一秒の喉の震えに過ぎないのだ。
こういう事態に直面した時、人類は大まかに分けて「それでも私たちは生きていく」って言う小御門教授タイプと「んじゃ好きにやろーぜ」となる俺、木田タイプに分かれるだろう。
ついさっきまで「馘になったら実際んとこどーしよ」とか考えていたこともどうでもよくなってしまった。俺が馘になることで、クミコ達は一体何を伝達したんだろう。いや、俺の馘くらいじゃあ、人間でいうとこの、開きかけた口から漏れる一息くらい?
とにかく、もうどうでもいいので、とりあえず全裸になってみた。研究室で全裸になるのは初めてで、青白い蛍光灯が全身を血色悪く見せる。ゾンビみたいで気分上がる。でも流石に恥を感じ、パンツだけは穿いた。そして俺はそのまま部屋の外に飛び出した。
この研究室から外に出るには必ず事務室と受付を通過せねばならず、最後に待ち構える自動扉には警備員も付いている。事務室と受付には常に人が5,6人はいるし、警備員・・・。いや、それがなんだと言うのだ。音節がパンツ一丁で何だと言うのだ。俺は奇声をあげながら長い廊下を走る。
前方に事務室!「コケっ!コケっ!コケコーー!」雄鶏のモノマネをしながらピョンピョン飛び跳ねて通り過ぎる。その脇目で事務室の反応を見てみると事務室は無人だった。恥ずかし。振り切って雄鶏のモノマネをしたというのに、誰もいないところでやっていたんじゃあいよいよ本物の変人になってしまう。なんかこう言うのしょーもなかったかもしれない。
そう思ってトボトボ歩いていると、受付の前には人が1人、こちらを凝視していた。研究棟では見慣れない。猫背で肋骨を浮かせたパンツ一丁の髭面男がゾンビのように歩いているものだからあまりに驚いたのだろう、受付の人間は「コッ」っと何か喉に詰まったような声を出して失神してしまった。
受付の前方には外に通じる自動扉がある。ここに警備員がいなければ何の問題もなく外に出ることができる。ゆっくりそちらを見ると頼りないガタイをした警備員が1人、口をあんぐり開けたままこっちを見て固まっている。目が合う。数秒そのままお互いに静止する。
警備員が警棒に手を伸ばそうとする素振りを見せた瞬間、俺は「ウラァ!テメッコラァ!」と怒声を浴びせ警備員がビクッ、としたところに縮地で近づき耳元で「あんたは見た目的に『ソ』って感じだね。明日も頑張れ。」と囁いてその場を去った。
まだ昼間だというのに、パンツ一丁で外を歩いても意外と通報されないもので俺は問題なく約束の駅に着いた。腕時計を忘れてしまったので時間がわからず、通りすがりの人に「すんません、今何時ですか?」と聞いて回るが誰も彼もがまるで変質者に出会ったかのように無視して早足で駆けて行ってしまう。ごく普通の質問をしているだけなのに、やっぱり人間って浅まし。俺はなんか、どこかリミッターが外れてきていて思ったこと全部をやってみようという気になっていた。
燃えカスのように残った白髪を棚引かせながら下痢でも見るかのような目つきで俺を睨む舐めた爺と目があったので、俺はまたしても縮地で近づき、食い気味に声をかけた。
「すーんませーん!!今何時ですかぁ?」
爺は当然の如くこれを無視。
「ワッターイムイズイッナウーっちゅうとんじゃボケェ!」
俺は爺の股間を蹴り上げ「ヒュッ」と言いながら膝から崩れる爺の右腕を掴み上げ、時間を確認する。14時59分。約束の時刻まで、後1分。
「センキューフォーユアカインネス爺ィ〜!!!」
4.
俺と谷川の思考回路は本当によく似ている。俺と谷川で唯一違うのは行動に移す勇気を谷川の方が持っているということだ。大学を辞めて外国を放浪することを考えたことは、俺もあった。しかし常識とか、立場とか、色んな、今となっては本当にどうでもいいことを気にして実行に移せなかった。それをやってのけた谷川を当時は少し羨ましく思った。
谷川はメールに「会おうとする気持ちがわかってもらえるはず」と書いていた。それは谷川も俺と思考回路が似ている自覚があるからで、この研究成果を見終わってすぐに俺は「谷川に会いてぇな」と思った。
なぜか。それは何となく「人をぶっ殺そうかな」と思ってしまったからだ。俺が音節のようなものであると知った時、これまで散々やってきたように、どうでも良くなってしまったのだ。どうでも良くなってしまって、とりあえず人をぶっ殺したいと思い、どうせならと頭に浮かぶ相手はお互いに、お互いなのだ。
積年の恨みがあるとか、そういうわけではない。むしろ誰もが羨む関係性だったと思う。だが俺も谷川も、どうでも良くなった時にそうなってしまう思考回路なのだ。
爺の股間を蹴り上げてからもう5分はたっただろう。爺はまだ駅前ロータリーのど真ん中にうずくまっている。もう一度爺の腕時計で時間を確認しようと近づくと後ろから
「木田先輩!」
と声をかけられた。懐かしい声。少し甲高い、黒板を引っ掻いたような不快な声。電話口と直接聞くのではやっぱり違う。
「谷川!」
振り向くとそこには全裸の谷川がいた。やはり、俺よりも行動に移す勇気がある男だ!
「谷川、ハハハ、お前少し太ったか?」
「木田先輩こそ、髭なんて生やしちゃって」
俺はパンツに手を突っ込み、金槌を取り出しながら谷川に近づく。谷川も尻の穴に手を伸ばし何かモゾモゾやっている。動向を見守ると谷川は尻の穴からバタフライナイフを取り出して得意げにチャキチャキやり始めた。
「おまえ、ハハハ、大道芸人かよ」
「海外放浪してた時、護身用に身につけた技術なんすよ、ヒヒヒ」
俺と谷川がお互いの間合いに入る。
「やっぱ俺たちは似てるな、同じ奴から発せられた文章なのかもな、俺らは」
「そうかもしんないっすね。」
俺は金槌を振り上げ、谷川はバタフライナイフで切り掛かった瞬間、俺と谷川は霧散した。
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