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みんなイライラしてるね。

 皆さんお疲れ様です!kenkenです。
今回は引っ越したので色々手続きのために、市役所に行ったときの気持ち、みんな、優しくなって欲しいな。他の人の気持ちも考えてほしいな、と言う思いを書きます。

 
 手続きを待っている間、待合所のソファで座っていると、男性の大きな声が聞こえてきました。なにやら、早くお金をくれないのか、手続きが遅い、などと声を荒げている様子でした。
私は違ったのですが、現金給付を希望する窓口は人で溢れかえっており、平日なのにこんなに混むのかと驚きもしました。さて、その男性は市役所のおそらく偉い人?が宥めようと少し離れた所に通されていました。みんな嫌そうな顔をしています。なんだか、辛いなぁと思いました。みんなお金に困っているのは共通で、30分から1時間ほど順番を守って手続きをすれば何事もなく終わるのに。

わかるんです。声を荒げた彼の気持ちは。

一方的に批判する気持ちにもならないんです。だってイライラするのは確かですし。でも、web予約で自分の順番を確認することはできるから、待ち時間を有効に使えますし、職員さんに待ち時間を聞けばいい話なんです。大きな声を出して、市役所を批判する意味は全くありません。辛いのはわかるけど、皆もそうなんだ、一緒に頑張ろうって気持ちを持ってあの男性にも日々過ごしてほしいと思いました。

 
 今日改めてそう感じました。理由は単純で、それ自体では、なんの解決もできず前に進めないからです。今回の記事で言えば、大きい声で、「怒ってるな」とか、「怖いから関わりたくないなぁ」と思われるだけですし、早く手続きができるようになるわけでも、給付金の額が大きくなるわけでもありません。ただ自分の鬱憤を晴らせるだけです。誰も得をしていません。親が子供を怒鳴りつけているのもたまに目にしますが、その度に悲しい気持ちになります。子供は怒られたことで言うことを聞いて、"良い子"になるかもしれませんが、本質を理解することにはならないと思うんです。

パブロフの犬のように、怒られたら黙って言うことを聞けばいい、と言うメンタリティに陥る可能性が高いです。
 
 そうなれば、叱った意味が全くありません。むしろ、親子の関係性が悪化する危険性をひとつ増やしただけに過ぎないんです。教師と生徒ではどうでしょうか。怒られることを嫌がる生徒が増え、安定的な思考を持つ単一な学生ばかり生まれそうです。言われたことを言われた通りこなせばいいと思ってしまう。自分で考えることのできない人間が生まれそうです。エーリッヒフロムという哲学者は、

相手の感情を最も簡単にコントロールする方法は、サディスティックなコミュニケーションによる支配だ。

と話す程強力な道具なんです。彼は怒りを推奨したわけではなくて、警鐘を鳴らしたんですね。どちらか一方が優位に立つコミュニケーションではなく、常に皆が対等であることが最も好ましいと。

 結局何故人は怒るのかと考えたとき、理由は一つで、楽だからなんですよね。簡単に相手をコントロールできる。なにも考えずに内容がない叱責でも、強ければ相手を従えてしまうわけです。そこに論理性はいらないし、相手の感情を考える必要もない。本当に簡単なんです。私は最も難しいことは相手を完全に理解すること、だと思っています。自分と他者はまったくの別物で、世間話レベルでもお互いの意見を完全に理解していると言い難いし、相手が自分の思い通りに動いてくれることはほとんど無い。

だけど、自分の思い通りが1番楽だし気持ち良い。自分が生きやすい。だから、怒るんです。口調を荒げて、「お前のために怒ってるんだぞ!」ってよく聞きますが、あれは嘘ですね。自分のために怒ってます。

 なにが言いたいかというと、怒りを発信する前に一度自分に置き換えてくださいねってことなんです。どうしようもなく誰かに発信したかったら、なんでも受け止めてくれる友人に言ってください。お願いします。ひとつの怒りないという気持ち、相手を屈服させたい気持ちを自己解決するだけで多くの人が嫌な気持ちをしないで済む。なんなら私にぶつけてくれたら、話聞きますよ。

 今回の記事は以上です。ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

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