聖書、はじめました

遅ればせながら、1年前より聖書を読み始めました。

誤解

恥ずかしながら長年大きな誤解をしていました。聖書がキリスト教の教典だとばかり思っていて、自分には関係のないものと思っていたのです。

しかし、日本の歴史を学んでいくに従って、
「日本という国や国民性が聖書的である」
という記述や表現が多く目に入るようになり、興味が出てきたのです。

絶対軸をもつということ

私自身、「自分の身は自分で守る」という根本的な意識が最低限必要だと考えていて、情報の溢れる現代では、情報を正しく判断して、賢く行動していく必要があると考えています。

目まぐるしく動く世界情勢を見るときには、裏には誰が、何の目的で行っているのかという視点も合わせることで、情報に惑わされずに賢く判断していくことができるでしょう。

日本人のアイデンティティを考えるときに、古事記あるいは日本書紀などを軸とすることがありますが、絶対的な軸を持っておくことは幸せです。私自身、感情の起伏によって軸がぶれることがありますが、絶対的な軸を持つことによって、その度に自分を調律することができます。聖書もその一つになります。

聖書、ユダヤ問題を正しく理解することが、世界情勢を読み解く鍵であるという考えのもと、どのように生きていくかが問われています。

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