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その正義って正しい??

 正義の対義語は何ですか?と聞かれると、多くの人は「悪」と回答するかと思います。辞書的には概ね正しい(実際には不義)ですが、僕はこの正義という言葉はかなり深い言葉だと思っています。

 どういうことかいうと、数字とか方向であれば、だれがどう見ても同じで、変わることがありません(今日は太陽が西から上るぜ!とかはないので…)が、この「正義」という言葉はかなり基準が曖昧だからです。

 この話は、文脈は異なりますが、多くのいわゆる著名な方の作品にエピソードしてありましたので、少し紹介させてもらおうかと思います。

…原文は長いのですが面白いので、興味を持たれた方は読んでみると良いかもしれません。
 
 1つめです、「人を動かす」(デール・カーネギー著)からです。冒頭の部分に、「盗人にも五分の理を認める」というものがあります。

1人の大量虐殺者が死刑台に立った時、「自分の身を守っただけでこんな目に遭わされるんだ!」と言い放ったという話。他の多くの人から見るとただの殺人鬼でも自分は正当な行為であったと主張したそうです。

また、アメリカの有名なギャングのアル・カポネも「俺は働き盛りの大半を、世のため人のために尽くしてきた。ところが俺の得たものは、冷たい世間の非難とお尋ね者の烙印だけだ」と嘆いたという話です。彼ほどの極悪人も、自分の行いはすべて善行だと思っていたそう…。

少し極端に思われるかもしれませんが、この話ではおよそすべての人がその人の視線からの正義があり、その正義に基づき行動している、しかしそれが万人に当てはまらないということが言える、という事かと思います。

 2つめです、「7つの習慣」(スティーブン・コヴィー著)から、電車内での父親のエピソードがあります。静かな日曜日の朝の地下鉄に、子連れの父親らしき男が乗ってきました。

男は子どもたちが電車内で騒いだりものを投げたり、ほかの乗客に迷惑をかけているのに注意もせずに一人うつむいていたといいます。

父親に対して腹を立てた筆者は、その場で注意しました。するとその父親は、1時間ほど前に妻(つまり騒いでいた子どもたちの母親)が病院で亡くなり、一旦自宅へ帰るところで、これからのことをどうしていいかわからず呆然としていたそうです。

これに対し筆者は、逆に態度を改めて「何か手伝えることはないか」と声をかけたそうです。筆者の正義が、電車内でのマナーを守ることより男の気持ちに寄り添うことの方が重要だということに傾いたということかと思います。

 3つめです、これはマンガなのですが、「ミステリと言う勿れ」(作者 田村由美)の中で出てくる「なぜ人を殺してはいけないか?」という問いに対しての主人公の返答です。

「人を殺してはいけなくはないが、罰則がある。平和で安定した社会を維持するために便宜上そうなっている。ただ、戦時下となればいきなりOKとなって、自国の人を殺してはいけないが他国に空爆はして良いみたいになる、そんな適当な話なんです。」この主人公の話はこれ以降も続くので、切り取り方次第では色々捉え方も変わるかもしれませんが、同じようなことを思ったことがあります。

確かに生まれた時代によっては人を殺すことが称賛に価したのかなと思うと、少し怖いですね。
スーパー余談ですが、本作は秋に映画やるみたいです。

エピソードの紹介は以上です。
このエピソード、捉え方は人それぞれですが自分なりにまとめると…
・正義は立場により変わる
・正義は重要度(優先順位)により変わる
・正義は時代で変わる
なんとなく堅牢で絶対的なイメージの言葉ですが、実のところかなりブレた抽象的な感じです。

 しかしながら、自分なりの正義を一定のラインで持つことは軸を持った一人の人間として、考えておいて良いことだと思っています。
僕が考える、指標にしておいた方が良い重要だと思うことを2つ挙げておきます。

 1つめ、社会に生きる一員としてのルールなので当たり前と言えば当たり前ですが、法律です。日常的な決まりでも意外と抜けのある刑法とか、現場で働く人間として見落としがちな労働安全衛生法とか、勉強しておいて損はないかもしれません。

しかも知らぬ間にしょっちゅうアップデートされるので、時間があるときに最新のダイジェスト版だけでも読んでおきたいですね。言わずもがなですが、自分の正義を法律より優先させると悲劇しか待っていません。

 2つめ、「より大きな集合体の声を聴く」という事です。ちなみにこれは「嫌われる勇気」(岸見一郎、古賀史健 著)の一節に出てくる言葉で、何か選択を迫られたときに適応できる考え方だと思っています。

どういうことかと言うと、我々が所属しているコミュニティは一つではありませんよね、例えば個人・家庭・会社・地域・日本・地球…といった具合に…なので選択の際にはより大きなコミュニティの共通感覚に従うことが良いという事です。


例えば何かお客さんから面倒な仕事を頼まれたとき、個人的には面倒でやりたくない。しかし、会社としてはこれまでのつながりと、今後の見込みの利益面からも対応してほしい。さらに言うと、面倒でも対応した方がその地域の仕事が円滑に進み街が良くなり、ひいては日本の経済がほんの少し良くなる…みたいに。そう思うと対応しようと思いますよね。


さらにこのように視座を高く持つことにより、過度な個人主義を防ぐことができるという効果も期待できそうです。

 最後に、今回これを書こうと思った理由に関して簡単に。
数年前から個人での発信(オンラインでもリアルでも)がしやすくなり、各々思うことが言いやすくなったという気がしています。それ自体はとても良いことですが、自粛警察みたいな、正義を盾にした自分勝手な押し付けをする方も散見されるようになりました。

何となく、正義の悪用みたいな矛盾をはらんだ行動だと思っていて、難しい問題だと思います。(とはいえ、これを頭ごなしに断罪するのもそれこそ正義の悪用か…)
さて、冒頭の質問に関して戻りますが。実際の人間社会においての「正義」の対義語は?という問いに対しては、「別の正義」というのがやはり一番しっくりくると思います。

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