文章に値段をつける

 文章に値段をつけるということは、文章を買わせるということだ。文章を買わせるには文章に価値があると思わせる必要があるわけだ。そうすると文章の価値とはなんだろうという話になってくる。結論から言ってしまうと時と場合と相手によるでしょうということになるだろうか。
 例えば裁判所に出す訴状なんて考えてみると、うまく法律にしたがっていて事実が整理されていて裁判官に説得力をもって書かれていればそれは価値がある文章ということになるだろう。それが詩を書きましょうというときに法律どおりに事実が並べられている文章なんて価値があるとは思えない。他所でやってください、となるに決まっている。
 だからといってすべて読み手が文章の価値を決めるというものでもないと思う。読み手が満足すればそれで価値があるのかというとそうでもない。読み手の予想を超えるような経験をもたらして、そのことに価値を見出すことだってあるからだ。
 読み手を見定めてその人に向けて書く、そういった文章が常に優れたものになるのか、というとそうも言い切れない。名宛人以外に届いて予想外に突き刺さる可能性はあるからだ。むしろそういった予想外の出会いが面白かったりするのだ。
 なるほどそうだとしようじゃないか。だったら書き手は誰に向けて書けば価値が生まれるのか、究極的にはわからないことにならないか。突き詰めると文章を書く時にはその文章の価値はわからない。誰に届くのかもわからない。
 文章の価値は事後的に、遡及的に、読んだ人によって見出されるものでしかない。
 そうだとしても文章に価値をつけなきゃならない人は、その場で、真の意味では無根拠に、えいやっと判断するしかない。その場の気合で。今このときの自分を信じて。
 だから文章に価値をつけて売るということは尊いことなのだ。他の人にはできやしない。自分で自分の痕跡を信じること。その尊さ。

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