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『正しい』の裏側

ふと開いて、書いては消し、消しては書きを繰り返す。
そんな場所が私にとってnoteです。

『書く以上は1人でも多くの方に読んでいただきたい』
そう思いながら書くので、伝わりやすい文章になっているか、誤解を生む表現になっていないか考えます。
今回はそんな執筆の中で感じる『正しい』について書いていこうかなと思います。

『正しい』は捻じ曲げた真実かもしれない

この行動は正しかったのか?
私たちはこのように振り返ることが多いでしょう。

仕事でミスをしてしまったとき、友達や恋人家族と喧嘩をしてしまったとき、この行動が正しかったのか考えるでしょう。
そのときの私たちは反省をしたり正当化を行うこともあります。
特に正当化を行った場合の『正しい』は捻じ曲げた真実といっていいのではないでしょうか。

『正しい』は自分の価値観かもしれない

人からいらないお世話だと言われる経験。
これは多かれ少なかれ皆さん経験しているかと思います。

「好きなものは1番に食べるものだ!」という考えの人と「好きなものは1番最後に食べるものだ!」という人が同じ席に着いたとします。その時に勘違いから衝突をしてしまった経験がある人もいると思います。
この違いが生じるのは育った環境の違いであり、どちらかが悪というわけではなく、互いのことを理解しあうことができれば衝突を生むことはないでしょう。

『正しい』は作られるものかもしれない

私たちが生きていく上で正しいという認識が作られるケースもあるでしょう。
具体的な例としてはルールが挙げられるでしょう。
例えば、「高校生としてふさわしい身なりとすること」といった校則が挙げられるでしょう。
高校生としてふさわしい姿を決定するのは教員であるはずなのですが、『古い価値観に支配されたルール』として形だけが残り、ブラック校則と表現されていることをニュースで見かけます。

決められたこと、伝えられたことが正しいと決めつけずに疑うこと、客観的に見ることも必要なことなのではないでしょうか。

正しいの押し付け合いは何も生まない


誰かにとって正しいことも、別の人にとっては間違いなのかもしれません。

自らが正しく、それ以外の考えは正しくない。

私たちが生きている社会はそんな単純なものではないのかもしれません。

noteをはじめて1年がたった今
改めて自分が正しいと思い込むのではなく、多様な価値観にこれからも触れていきたいと思っています。
これからもよろしくお願いします。

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