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「社会に必要とされる生徒の育成」とは?その1

こんにちは。Ken-teaです。前回の初投稿の自己紹介を見てくださった方、ありがとうございました。

今日は、前回のnoteでお話しした、私の目標について詳しく書きたいと思います。私は仕事面での目標に「社会に必要とされる生徒を一人でも多く送り出すこと」「教師という仕事をもっと誇りに思える、生徒に憧れられる仕事にする」という2つを掲げ、前回のnoteでも軽く触れさせていただきました。今日はその前者、「社会に必要とされる生徒とは」の部分を掘り下げられたらと思います。

あまりに長くなってしまいそうなので今日はそのうちの1つ、「読解力」に絞って書きます。それ以外は次回以降のnoteでということで...。

まだ4年目の未熟な教員ですので、今回~次回にかけてお話しする内容が浅薄だとは承知しております。ただ、私は自分の意見をただ主張したいのではなく、同じ教員の仕事をしている方や、お子様を持つ親世代の方と意見交流できたらと思っております。読んでくださった方は、コメントくださると私が勉強になります。ぜひよろしくお願いいたします。

読解力の危機

突然ですが、「AI vs 教科書が読めない子どもたち」という本をご存じでしょうか。数学者の新井紀子さんが書かれた本で、教員の私としては大変興味深い内容でした。私が「社会に必要とされる人材育成を、教員としてやらねば」と思ったのはこの本がきっかけです。

https://str.toyokeizai.net/books/9784492762394/

ざっくり要約すると、「AIに仕事を奪われる未来がやってくるという。しかしAIはあくまで計算機なので、できるのは論理・確率・統計に関することだけで、人間のように意味を理解したり読解したりは難しい。だから人間がAIに仕事を奪われないためには、AIにできない力を身に着けて、人間にしかできないことを実行していくしかない。しかし現代の子どもの読解力は極めて厳しい状況にある」といった内容です。

人間がAIに仕事を奪われる未来というのは、ここ最近よく耳にするトピックですよね。

私の学校でも、そもそも問題文が理解できていない生徒に出会います。例えば、就職試験のために一般常識の勉強をしていた生徒が、算数の「道のり・速さ・時間」の公式(?)は知っているけれど、問題文に出てくる数字のどれが速さでどれが道のりで、結局何を聞かれているのかわからないと言っていました。知識はあってもそれをどう使うか分からない、「思考力・判断力・表現力」に結びついていない事例だと考えられます。読解力のなさに起因しているとも言えると思います。

問題文の意味が分からない、すなわち読解力の不足というのは、新井氏が言う「人間がAIに仕事を奪われる」に直結しています。なぜなら、読解力は人間特有の能力でありAIには身につけづらいもので、人間がAIに勝っていなければならない分野だからです。

新井氏の本の中に出てきた事例で言うと、「私は山口と広島に行った」という文は

①I went to Yamaguchi prefecture and Hiroshima prefecture.と②I went to Hiroshima prefecture with Mr.(Ms.)Yamaguchi という2通りの解釈ができます。

それをAIが適切に①②どちらの意味なのか判断するのは難しく、人間のほうが会話の流れの中で判断できる能力があるため判別しやすいはずです。「意味が理解できない」AIの弱点です。

しかし今の子どもも読解力の欠如により「意味」が理解できません。こちらも同著の事例で言うと、「Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性のAlexandraの愛称だが、男性のAlexanderの愛称でもある。」という文を読んだ後、「この文によると、Alexandraの愛称は(   )である。(   )に当てはまる語を答えよ」という問題が出されました。

答えは、Alexです。この問題、選択肢があったにも関わらず中学生の正解率は38%だったそうです。

このように、現代の子どもたち(ついこの前まで子どもだった私も含めてかもしれませんが)は読解力が欠如していて、問題の意味を理解できない事例が起きています。つまり人間(今の子ども)は、計算力はAIに圧倒的に劣り、読解力もAIと同等レベルということです。AIに勝てそうな(勝つべき)分野もできないようでは、AIに仕事を奪われる未来が本当に来てしまうかもしれません。「人間特有の能力」である読解力の育成は、今後の子どもたちが社会で生き抜く(AIに負けずに仕事を得て自分の力で生きていく)ために急務です。読解力が人生を左右するといっても過言ではないわけです。AIに取って代わられない生徒を育てなければなりません。

読解力の育成のために

ではどうすれば読解力は育成できるのか。新井氏によると、幼少期の読書習慣と読解力はあまり関連がなく、性別や学習習慣も関係なく、どうすれば読解力が上がるかという「処方箋」はまだ見つかっていないそうです。
文部科学省も、読解力の低下に懸念を抱きこれまで対策を打ってきたはずですが、改善は見られません。読解力向上は難しいテーマなのでしょう。

ただ私は、研究結果として出ていなくても、読書習慣の確立はやはり有効な手立てのひとつだと思います。現代の子どもたちは「デジタルネイティブ世代」と呼ばれ、物心ついた時からインターネットが当たり前にあり、ボタン一つで欲しい情報が簡単に手に入ってしまう時代を生きてきました。わかりやすい資料が簡単に手に入ることに慣れてきたため、自分で情報を探し、問題の解決に必要なデータを取捨選択し、問題を解決することに慣れていません。今の大人の子ども時代との違いではないでしょうか。読書をして他者の多様な意見に触れ、目的意識をもって物事への理解を深めていくのは、大変意義あることだと考えます。読書習慣のなかった私が言っても説得力がないかもしれませんが、大人になった今、ふとスイッチが入って読書に取り組み始めても、新たな発見の連続でワクワクする毎日です。感受性の豊かな子どものうちに読書を始めれば、少なからず読解力の育成につながる部分はあるのではないでしょうか。

もう一つは、何気ないことですが、多くの人と様々なトピックで会話(ディベート)することが有効かと思います。次回のnoteの内容とも関わるのですが、言葉によるコミュニケーション能力も人間特有の能力です。人の意見を聞くというのは、簡単そうで案外できていないものです。人間は他者の話していることを本当に理解しようとせず、自分がこの後何を話そうか考えながら聞いている場合が多いからです。様々なトピックで世代や性別を超えた様々な人と会話し意見を交流することは、見識を深めるだけでなく、人の言った情報を理解する、すなわち「情報を読み取る=読解」につながるのではと考えます。

いち教員として、読書習慣が身につけられたり、深い意見交流ができたりする場を授業やHRの中で作っていけたらと考えています。

終わりに

冒頭でも申し上げた通り、経験の浅い教員の浅い意見です。読解力の育成に効果的だと思われることについて何か知見がある方はコメントくださると助かります。次回のnoteでは、今回の続編を書きたいと思います。またみなさんから色々と勉強させてください。

読んでいただきありがとうございました!