息子よ! 自分の「おもしろい」を信じろ!
くそつまらない優等生になんかならなくていい。くそつまらなくない優等生にならなってもいい。
僕が自分の子どもたちに伝えたいことはそれだ。
子どもというのは割と簡単に、規範というものに毒されるのだということがわかってきた。
今年、例のアレのおかげで小学校はずいぶんと長いこと休校になった。その間、学校から課題が出され、教育委員会からも教材が与えられ、やるべきことが山積みにされた。加えて、我が家で独自にやっていたタブレット型の教材もある。
うちの子はせっせと頑張った。折よく在宅勤務になった父さん(僕)も一緒に励ましながら課題をやった。勉強することを楽しめるように、せっせと励ました。算数は割り算に突入し、国語は説明文に突入した。国語は2秒で飽きる長男、算数はいくらでもやる。図工はさらに好きだ。
6月になって変則的ではあるものの学校が再開された。うちの子ほどちゃんと課題をやってきた子はほとんどいなかったことが判明した。
特に、図工の「絵具でやってみよう」みたいなやつ、丸い輪の中に色を混ぜながら塗っていくというやつ、これを提出したのは6人だけで、そのうちの4人はクレヨンとかクーピーで塗っていて、絵具でやってきたのはうちの子ともう一人だけだったらしい。
そして再開された学校で、毎日数行の文章を書くという課題が出された。最初の一枚は「休校中の思い出」。
そんなもの、いくらでも書けるだろうと思った。すると長男はいつまでも白紙の紙を抱えている。
「どうした。好きなこと書け」
「何書けばいいのかわからない」
愕然とした。なんでだ。なんだって書けばいいじゃないか。こういう課題で悩むというのは危険信号だ。それは「まともっぽいことを書かねばならない」という忌むべきものによる浸食だ。その忌むべきもののことを大人は「良識」と言う。僕はその言葉を口にするやつとは即日絶交する。百パーセント嘘つきだからだ。
休み中、大量の課題をせっせとやらせてしまったことが、変に先生に褒められる結果になってしまい、褒められてしまった手前、あまりアホなことはできんと思ってしまったのかもしれない。
「休校中のことで覚えてることはないの?」
「ずっと父さんと一緒だった」
「それだ! そういうことは珍しいじゃないか。たぶん生まれてから今までで一番、父さんと一緒にいた一か月だったぞ。それを書け」
「なんて書くの?父さんと一緒にいたって書くの?」
「それじゃ思い出じゃなくて出来事だ。父さんと一緒にいてどう思ったんだ? おまえのその気持ちが大事だ。思ったことを言ってみろ」
すると長男は即答した。
「ひげが伸びるかと思った」
僕は爆笑した。いいじゃないか。おまえそんなに素晴らしいことを書けるじゃないか。それを書け。
「そんなの書くの? 笑われるよ」
「笑われるんじゃない。笑わせるんだ。父さんも今笑ったぞ。最高に気持ちよく笑った。それを書け」
「誰もそんなこと書かないよ」
「当たり前だ。だからお前が書く価値があるんだ。他のやつが書くことを書いたってしょうがない。そんなもんは誰にでも書ける。自分にしか書けないことを書け。最初に思ったことを書け。迷わずに書け。」
半分自分に向かって言っているみたいになった。他のやつが書くことを書いたってしょうがない。ほんとにその通りだ。まっとうな模範解答などアホにでも書ける。そんなもんをなぞるだけならクソほども意味がない。おれにしか書けないことを書く。自分だってできているのかと自問しながら言った。父さんもちゃんとそうすることにする。おまえにこういうことを言う以上、父さんもまっすぐにやるぞ。
そして長男は書いた。休校中の思い出。「とうさんといっしょにいすぎてひげが生えるかと思いました」
翌日、これをクラスのみんなの前で発表し、大爆笑を得たらしい。そして先生からは「よくできました」のハンコと、「どういうこと!?」というコメントが。
それを嬉しそうに持ち帰った長男。「な、良かっただろ。誰とも似てなくて」
しかし。
また同じような紙を持って帰った。「家でやってたのしかったこと」。
それを夜寝る前、白紙のまま30分も抱えていた。翌日持っていかなければならない宿題。書かなきゃ寝られない。べそをかきながら白紙の課題を抱いている長男。
「なんだ、家でたのしいことないのか?」
「ない」
うそをつくんじゃねぇ。朝から晩まで楽しそうだろうが。
「だってついさっき、風呂で父さんと手で水鉄砲みたいにしてお湯かけあって大笑いしたじゃないか。あれ楽しくないのか」
「たのしい」
「じゃぁそれを書け」
そして長男は書いた。
「おふろで父さんと手でみずでっぽーみたいにして水かけっこをしたこと」
いいな。「みずでっぽー」のところが父さんはめちゃめちゃ好きだ。
「なんで最初からそう書かないんだ」
「お風呂のことは考えなかった」
「お風呂は家じゃないのか」
「家」
「家でやったことって言われてるんだから起きてから寝るまでのことを全部思い出せ。そして一番楽しかったことを書け」
「お風呂のことなんて誰も書かないよ」
「そう思うならなおさらそれを書け。誰も書かないようなことをとにかく書け」
みんな違ってみんないい、という言葉が偽善者の馴れ合いみたいになって久しい。みんな違っていいというのはぬるま湯みたいな平和論じゃなくて、誰とも違う孤立無援でも自分を信じて世界の中心にぶっ立つんだという覚悟だ。みんなに合わせてるほうが二億倍楽だったとしても、それでもぶっ立て。男も女も全員そそり立て。人類総勃起。人間とはペニスだ!(錯乱)
人に褒められるためにやってるわけじゃない。信じられる自分のためにやるんだ。誰よりもまず自分に嘘をつくな。自分に嘘をつく人間はいずれ必ず他人にも嘘をつくし、平気で人を裏切る。
わからなければわからないと言え。忘れたら忘れたと言え。楽しかったことを書けと言われたら、誰が何と言おうと自分は楽しかったと思うことを書け。
それをバカにするやつは放っておけ。そんなやつに構っているほど人生は暇じゃない。
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