移民について

奴隷の導入は日本人の倫理を退廃させる

 きつい、汚い、危険という3Kの仕事のなり手がなく、かといって高い給料も払いたくないので、低い給料でも働いてくれる人を外国から呼び寄せて仕事をしてもらう――これは経済的には理にかなっているのかもしれないが、金で奴隷を買うことと本質的には変わりがない。もちろん、彼らは給料を支払われていて、対等な契約のように「見える」し、嫌ならいつだって辞めて故郷へ変えることもできる(日本の今の制度ではそれさえも危ういが)。こういった点は彼らの地位の「奴隷性」を和らげてはくれるだろうが、完全に払拭するまではいかない。彼らはその3Kの仕事に縛られ、日本社会の中で社会的地位を向上させていくことも許されず、常に監視され、悪徳業者には搾取され、恋愛や結婚、出産といった人間として当然の営みも(実質的に)禁止されているのだ。
 この「準奴隷制」が不幸にするのは、なにも仕事をしにやってきた当の本人だけではない。それは奴隷という、日本がこれまで(一部の西洋化された上流階級などを除いて)まぬがれてきた悪癖を、広く日本社会に導入するきっかきになるだろう。古代ローマの奴隷制は西洋社会に受け継がれ、現代にいたってもまだその考え方はしっかりと残っている。もちろん建前上は、もはや奴隷制は存在しないが、そのイメージに裏付けられた実質は(人々が口に出さなくても)真夜中にパリの路上清掃をするアフリカ系の人々や、家事手伝いで働くポルトガル系の女性などの中にはっきりと感じられる。そして、そういった労働者を排出する国は、暗黙のヒエラルキーの中で下位に位置づけられる。マグレブ、サヘル、ポルトガル、東欧など、「貧しい」国々の人々はフランスへ来て社会の下層へと固定される。(ドイツならトルコ人などがそれに当たる。)上に挙げた国の中で、ポルトガルと東欧は同じヨーロッパ、同じキリスト教圏ということで、いわば下から二番目に位置づけられ、対等な関係という建前が機能しやすい。フランスの大統領をつとめたニコラ・サルコジはパリで生まれ育ったが、父はハンガリー人だった。(これは蓮舫氏が東京で生まれ育ち、父が台湾人であったのと似ている。)しかしマグレブやサヘル出身の最下層の移民たちは社会の中で上昇していく可能性も絶たれ、仕事も、住む場所も限定され、ゲットーの中で未来に希望の持てない人生を強いられる。これらのことが、マグレブやサヘル地方の国々とフランスとの間の緊張関係に無関係だとは言えないだろう。

本当に日本に来て働くことが幸せなのか?

 そもそも、ベトナムやインドネシアの人々が遠い日本へやってきて働くことが、いいことなのだろうか? それは本当に彼らを幸せにするのだろうか? それは改善され克服されるべき問題なのではないのか?
 彼らが自分の国で仕事を見つけられて、それによってその人も、自分の国も豊かになるのであれば、そのほうがはるかに良いにちがいない。そのために必要なのは、それらの国々の発展であり、そのための経済協力だ。
 アジア・太平洋戦争での敗戦後、日本は韓国、中国、東南アジア諸国への賠償、準賠償をおこない、また並行して無償経済協力、円借款供与および技術協力などのODAを展開した。これらの経済協力については問題点も指摘されているが、相対的に言えば、日本は大戦後、(フランスなどとは違って)植民地主義から脱却し、アジアの国々に対して一方的な収奪ではない経済協力を真面目に目指してきたと言える。東アジアや東南アジアの国々は、いまでは日本を上回る勢いで発展し、少なくともこれらの国々には日本へ向けて命がけの脱出を試みるような人はいない。一方で、歴史的因縁が深いフランスを始めとするヨーロッパは、地中海を隔てた向う側にある国々への経済協力に完全に失敗したと言わざるを得ないだろう。現に、地中海の向こうからヨーロッパを目指して次々と無謀な渡航を試みる人が絶えないことが、その失敗を表している。
 日本の実業家や政府は、移民を奴隷のように安く使うという安易な発想をやめて、アジアやその他の地域の国々へのさらなる協力によって、共に、さらに豊かになることを目指すべきではないか。日本国民はその膨大な貯金で自国の国債を買っている場合ではない。インターネットなどのインフラや、金融の仕組みの整備など、日本にやれる経済協力はまだいくらでもある。そうすれば、やがては彼らが日本へと投資してくれるようになるだろう。

本当に彼らを日本人として受け入れる覚悟はあるのか?

 ローマ帝国は、植民地出身の人がローマ市民となって皇帝の座にもつけるような制度をつくり、実際にそのような元植民地出身の皇帝が何人も現れた。この開かれた制度こそがローマ帝国の強さの原因だった。
 現代ではどうか? アメリカのオバマ元大統領、イギリスの現首相であるスナク氏などが目に浮かぶ。ドイツはこの点では保守的で、フランスも旧植民地に対してはオープンではない(大臣にならいるが)。
 日本ではどうか。残念ながら、今回の東京都知事選に立候補した蓮舫氏に対する風当たりの強さなどを見る限り、とてもローマ帝国やアングロ・サクソン諸国のような度量の深さや国際性は感じられない。中国系や韓国系の大臣さえ見当たらない。(これは間違い。それこそ蓮舫氏は行政改革担当大臣を務めた。)日本の周囲の国々から日本に働き手として来てもらいたいと言うのなら、外国出身の人々が日本人となって政治の階梯をのぼる道も同時に開くべきではないのか。
 社会の上層へ他国の人々を受け入れることは微塵も考えないくせに、自分たちのやりたくない仕事だけ都合よくやってもらうために移民を受け入れる、という考えは危うく、日本人の倫理観を損なう可能性がある。それならば、もっと他国へ投資をして、アイデアを提供しリスクを取ることへの対価を得るとともにその国を豊かにし、自国のことはちゃんと高い給料を払って自分たちでなんとかするというのが健全ではなかろうか。

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