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noteピックアップ#23 :2021.6.21-6.27

なんやかんやと今年も半分、年度も変わって3ヶ月。6月は特に加速している気もします。対面がいい、と言いながら自宅からできてしまうことの恩恵も改めて感じるこの頃です。

今週は3本取り上げさせていただきました。

【レポ漫画】なんでも食べてた自分が突然「食物依存性運動誘発アナフィラキシー」で気絶して救急搬送された話(山吹)

講義の中でも扱っている運動誘発性アナフィラキシーショック。実際に発症された方が漫画で一連のことをまとめていただいています。多くの人に知ってほしいこと、まず知っているということが大きな力になります。

突然身近に起きる問題。アレルギーないから大丈夫、ではないんですよね。

「主体性」と「教えない」「怒らない」を考える(TETSU.co.Volleyball)

当たり前ですが、必要となってきたから、または「主体性」のなさによって表面化してきた問題があるから、ということになるのでしょうか。
 さらに一つ疑問に思えてくるのが、「主体性」というようなものは、これまでずっと日本人に足りなかった資質だったのか。昔の人は主体性ではなかったのか?ということです。
「教えない」、「怒らない」・・・

これらは、教えなければうまくいくとか、怒らなければうまくいく、などというものではなく、教えなるとか、怒るとか、そんなもんよりも、ずっとずっと大事な経験やプロセスがあるということメッセージをはらんでいるのだと思います。

時代によって求められるものも変われば、通ってきたものも違います。これは最近の若い子は、、、議論にも繋がるところが多いと思うんですね。ウィークポイントのように取り上げられるけれど、他に長けていることが沢山あったり、何かを改善した結果生まれてきた課題でもあるかもしれません。

そして「教えない」「主体性」というものもどのようにアプローチしていくか。。。記事の中でも取り上げられていますが「怒らない」という言葉がただ額面通りではないということも。

形成される真実と、自分の耳と心(Yuka Nicole Momiki / 籾木 結花)

同じ結果でも、その人の感じ方や捉えたい意味づけの違い、結果が生まれる状況や環境の違いで、形成される真実が変わってきます。
少し例えが長くなってしまいましたが、いかにして、自分のレンズだけで世の中を見ていることに気付けるか、自分が思い込んでいる真実は自分の解釈でしかないことに気付けるか、そしてそれが決して正解では無く他人に押しつけるものでは無いと気付けるかが大事になると思っています。

自分の頭の中で大事だ、重要だと思っていてもどこかで自分の頭の中で描いたシナリオで解釈してしまう。知っているように感じていることも実は全然知らないかもしれない、ということを改めて感じます。

何かを語れるほど、椛木選手のことはわかっていないのですが(ごめんなさい)、今後注目していきたい方になりました。オリンピックでの活躍、期待しています。

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読んでいただきありがとうございます。日々の雑感やスポーツ、運動にまつわる数字を眺めてまとめています。普段はトレーニングサポートや講義を行なっています。