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輪郭


小さな街で酒を飲んでいた。小ぢんまりとしたBarでひとり、ウイスキーを飲む。少し離れた席に座っていた男が、マスターと隣の女に向かって「幸せってなんだと思う?」と切り出した。話の流れでそうなったのだろうが、会話の勢いとは怖いものである。私はこの類の質問が苦手だから、必死に存在感を消した。が、Barにはその男女と私とマスターの4人。どんなに影が薄くても消せない存在感もある。

「幸せなんてよくわからない」と女が言った。この答えに満足しなかった男はすぐにマスターに同じ質問を繰り返した。
「僕は、ふとした瞬間に幸せを感じます」
マスターの答えに男は、おぉ、と言い、「ふと、とはどんな時だ? もっと具体的に教えてくれ」と、食い気味だった。暗い店内で、男の目だけが不気味に輝いていた。
「妻とごはんを食べたり、友だちとお酒を飲んだり、普通の日常のひとコマに『いま僕は幸せだなぁ』って思うんです。まぁ、大した話じゃありませんよ」マスターは微笑んで、柔和な空間を生み出した。
「それは瞬間的なものだね?」と男は訴えかけるように聞いた。
「ええ」とマスターは頷くだけだった。

そして案の定、私にも回答の番が回ってきた。男はいかにもニヤニヤしながら「君はどう思う? 幸せを感じるときはどんなときかな?」と質問を繰り返した。
女も私に視線を向けて、マスターはグラスを拭きながら、耳だけはこちらに集中している。

私はとにかく難しい顔をして、なるべく低い声で言った。
「泣いている女のとなりで、酒を飲んでいるとき」
自分でも気障過ぎると思った。

男はすぐに、「え?」と聞き返した。

「いや、すみません、ちょっとそれっぽいことを言いたくなっただけで…」

「はぁ、」男はキョトンとしていた。

「いや、嘘です、忘れてください。えっと、幸せを感じるときですよね。そうですねぇ……、やっぱり、人を信用できたときですかね。または人に信用されたとき」と咄嗟に口に出してみて、自分でも言い得て妙だと思った。
男はぽかんとして言葉にならない声を出した。隣の女は嘲笑混じりに「カッコいいー」と言った。マスターは相変わらずグラスを拭いていた。私はとにかく涼しい顔をして、その実、胸の辺りはざわざわとしていた。悲しいのである。

「ま、じゃあ、最後は俺だな。俺はね、辛いこととか悲しいこととか、まぁ楽しいことも含めて、後になって思い出すとき、それを幸せに感じるんだなぁ。つまり俺にとって幸せってのは『過去形』なんだよ。だからマスターの瞬間的に感じる幸せとは違うのよねぇ」
男の前にある灰皿に、煙をくゆらせて小さくなったタバコが淋しげだった。

「最近、幸せについて考えててさ、だからみんなにも聞いてみたってわけ」
男の顔はなんとも幸せそうだった。


いい頃合いとみて会計を済まし店を出た。
夜空には月がくっきりと映えている。月には色んな形がある。満月や三日月、新月だって月の形だろう。今見えてるのは、満月から少し欠けたヘンテコな形である。これを「臥待月ふしまちづき」という。この月は夜遅くに空に昇ることから、月の出を「し」て「待つ」ことから名前が由来している。私はこのヘンテコな月の形を好んだ。

その他にも、十三夜、上弦、下弦など、月の形にはそれぞれ名前がある。

けれど、本当は、月の形はひとつしかない。
球体。
みんな頭ではわかっている。けれど夜毎に見る月の満ち欠けに神秘を感じるのもまた事実である。
「幸福」というのも、これに似ている気がするのだ。
月の場合は、月と太陽と地球との天文学的な位置関係によってその形を変えるが、「幸福」だって天文学的とは言わずとも、その形は様々だ。人によって幸せの感じ方は違う。
けれど、もしそれが本当はひとつの姿しかないのだとしたら。まさに、月のように、ひとつの球体だとしたら!

では、その球体は、何なのだろう。その正体については、どんな知識人にも未だ発見されていないのではないだろうか。
あるいは、球体そのものが、人生……、生き方…………




ふと、目が覚める。外は暗い、まだ夜中だ。胸のざわつきが、夜の暗さと溶け合って、私の体を真っ黒に塗り潰す。胸のあたりだけぽっかり穴が空いて、その穴はだんだん広がっていく。いつしか体の中身がくり抜かれたみたいになって、ただの棒人間、いや、輪郭線だけ残した輪郭人間ができあがる。
ただの、輪郭。
輪郭だけになっても保ちたい形が、私にはあるのかもしれない。
人の、かたち。人のかたちとは、なんだろう。
「おかしな形は、おかしな形なりに……」
もう引用はよそう。


掃き溜めに捨てた言葉に、鶴の美しさは宿らない。私の言葉は空虚でしかない。何もなし得ない落伍者の戯言にすぎない。何も信じることができない者は、誰からの信頼も得ない。目に見えるものを疑い、目に見えないものを否定する。ただ、そこにあるのは、錆びたニヒリズムのみ。低俗なエゴイズムを敵とする私は、ニヒることでしか自我を保ち得ない。悪魔たちが住み着く「世間」の陰から、エゴイストどもを糾弾すべく、私はもっとも悪魔らしい悪魔になりたいと思う。憐れむな。憐憫は、愛情ではない。理解は、愛情ではない。愛情とは、最高の奉仕ではないかしら。芸術もまた、自己犠牲の最高地点ではないかしら。愛と芸術は、だからいつでも魅惑的である。




ではまた。


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