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松本サリン事件冤罪被害者・河野義行さん、自身の冤罪経験と林眞須美死刑囚について語る

 1994年6月に起きた松本サリン事件の冤罪被害者で、日本一有名な「報道被害者」でもある河野義行さんが今から12年余り前の2008年3月20日、和歌山市民会館で林眞須美死刑囚(当時は最高裁に上告中で、身分は被告人でした)の支援者らが開いた集会にゲストとして招かれ、講演しました。その時の講演内容をまとめた原稿が見つかったので、紹介します。

 林さんは逮捕される少し前、報道被害への対応について、河野さんに相談にのってもらっていました。河野さんは講演で、その時のことを話しているほか、林さんが裁判で有罪とされていることに疑問を投げかける発言をしています。当時、世間的に林さんのイメージはまだ真っ黒で、冤罪の疑いなど指摘すれば、頭がおかしい人間とみなされ、白眼視されるような状況でしたが、河野さんは良い意味で、空気を読まずに発言する人でした。

 以下、講演後の質問タイムでの出席者との一問一答を含めて大体6000字程度です。

警察の実名公表で「犯人視報道」が始まった

 こんにちは、河野です。

 今日は、冤罪がどうして起こってしまうのかという話をさせて頂きます。

 14年前に松本サリン事件が起こった時、私は当初、これが事件だという認識がありませんでした。何もわからないままに私、妻、子供たちが次々におかしくなり、救急車で病院に運ばれたのです。その後、私が運ばれた病院には救急車がどんどんやってきて、最終的に600名以上が負傷する事件となりました。

 では、警察はなぜ、私のことを疑ったのか?

 まず、私は第一通報者でした。つまり、事件に近い人間ですから、被害者であっても、警察はそこから調べていくんですね。しかも、警察が私を疑ったのは、非常に些細なことからでした。

 たとえば、私は妻の救急処置をしていたのですが、救急隊員を早く妻のところへ誘導したくて、苦しんでいる妻の元を離れた時間があった。それが、警察の目には、不審な行動とうつったようなんです。

 そして事件の翌朝、警察が私のもとに事情聴取にやって来ました。しかし、この時の私は熱が39度以上あり、幻覚幻聴の世界にいて、とても事情聴取を受けられる状態ではなかった。まさに生きるか死ぬかの状態だったんです。

 そのため、私は警察の事情聴取を断ったのですが、被害者が事情聴取を断るのは、きわめて不自然だと警察は思ったようです。

 続いて、これは重要なんですが、私は事件の翌日に警察から、「河野さん、昨日は何をやっていたんだ?」と聞かれ、答えられなかった。実はこの時、私はサリンで記憶をやられていたんです。しかし、昨日のことが答えられないというのは、警察じゃなくても、おかしいと思いますよね。

 さらに、私は写真の現像から引き延ばしまで自分でやっていて、また、陶芸もやっていていたのですが、それらに使う薬品が自宅に20数点あったんです。その中には、青酸カリなど、一般家庭にない薬品もありました。青酸カリというと、世間的には、とんでもない薬品というイメージですが、私が今から20年前、京都の薬品会社に勤めていた当時はどこでも使われている薬品でした。これを私は写真の現像に使ってたんですね。

 それを警察は、証拠として保全したいと、私の自宅から押収しました。といっても、私が所有していた青酸カリは封をしたままで、一切使われていなかった。ですから、警察官も最初は、問題にしていなかったのです。

 しかし、それから行われた記者会見で、警察は私の名前を実名で発表しました。すると、記者の経験則では、個人の自宅が警察の捜索をうけ、実名で発表されるというのは、「決まり」なんですね。そして翌日からは、いわゆる「犯人視報道」が行われたんです。

「7人も殺し、助かろうとしている」と書かれた

 実際は強制捜索が行われたのは、私の家だけじゃないんですよ。実は警察は、7人が亡くなったマンションも強制捜索しています。警察が意図的に発表しなかったのか、マスコミの取材力がなかったのかはわかりませんが、そのことをキチッとマスコミが書けば、私の印象はあんなに怪しくならなかったはずです。

 しかし、ほどなく、「(サリンの)発生源は第一通報者宅とほぼ断定」という記事も出た。「ほぼ断定」とうことは断定されていないんですが、「ほぼ断定」と書けば、読む人は断定されたと思いますよね。

 さらに、私が言ってもないことが記事になったりもしました。たとえば、私が救急隊員に「薬品の調合を間違った」と言ったとか、私が犯行をほのめかしていたとか、そういう報道もありました。そんな誤報が出たことによって、私への疑惑は増幅していったのです。

 私が薬品会社に勤めていて、薬品の知識があったとか、いつも薬品を取り扱っていたとか、記者の方たちは、私の黒いところを探す。そうなると、動機は「薬品の調合ミス」であったとか、辻褄のあう報道になっていくんです。

 私の家から警察が押収した容器は、実は野沢菜の漬け物の樽なんですが、それを「薬品の調合に使われた」と書かれたこともありました。

 このように私を犯人視する報道が流れる中、長男が「テレビがお父さんのことを殺人者扱いしているよ」と血相を変えて、入院先の病院にやってきました。そこで私は「そんなのは許さんぞ」と事件の2日後には弁護士を雇った。テレビ局に対し、民事訴訟を提起するためです。
 
 しかし、弁護士さんのほうは、私に刑事弁護を頼まれたと思い、私に専任届けを書くように言ってきた。私は何も知識がないですから、言われるままに選任届けを書いてしまったのですが、これがまたマスコミに誤解された。「あいつは、7人も殺しておきながら、助かろうとしている」と書かれたのです。

 その後、弁護士にも「なんで、あんな悪いヤツを弁護するんだ」という攻撃がありました。こういうのは、私の件ばかりではないですけどね。悪いヤツかどうかは裁判で決めるものなのに、裁判が始まる前から、悪いヤツだと決められてしまうんです。

 また、入院していた病院にも「あの病院は犯人をかばっている」というような誹謗中傷の報道が多くありました。そのため、私をかばいきれなくなった病院から、私はまだ37度以上の熱があり、頭痛もする状態だったのに、退院させられました。

 そして退院後、記者会見もしたのですが、これは入院中に出ていた誤報の訂正を求める抗議の会見のつもりでした。そのため、私は本当のことをしっかり伝えようと、言葉を選びながら、冷静に会見するように務めたのですが、その冷静さがマスコミにまた誤解されたのです。ああいう場では、「俺は犯人じゃない!」と泣き叫びながら訴えないといけなかったんですね。マスコミには、マスコミのストーリーがあるんです。

警察は最初の事情聴取の時から犯人扱い

 それで、警察の事情聴取に行ったら、いきなり「これにサインしてください」と、ポリグラフにかける承諾書を提示されました。任意なんですが、私はサインした。機械が自分の無実を証明してくれるだろうと思ったからですが、これが失敗でした。

 警察が私にポリグラフを受けさせるのは、証拠が無いからで、警察はポリグラフによって私から何かを引き出したいと思っている。ですから、めぼしい反応が出なくても、警察はそれでヨシとはしないんです。

 そのポリグラフをかけられた時の質問の内容ですが、

「長男は共犯で、現場周辺にあった薬品の容器を隠したのは長男ですか?」
「あなたがサリンをつくったのは、威力を試すためですか?」

 と、まさに警察が考えているストーリーをダイレクトにぶつけてこられました。

 そんな質問ばかりが1時間続くのです。犯人扱いされていること、自分が危ない状況に置かれていることがよくわかりました。

 実際、ポリグラフを受けた後で警察からは「不幸な反応が出たぞ」と言われました。警察はそうやって、揺さぶりをかけてくるんですね。

 さらに、ポリグラフの次に警察は、伝聞情報で揺さぶりをかけてきました。「見舞い客の中で複数の人が、あなたが『薬品の調合を間違った』と言っていたと証言している」と言うんです。それを私が明確に否定すると、そこで話が終わりです。また、私が長男に容器の処分を指示したという話も、私が否定すると、そこで話が終わってしまう。

 そうなってくると、警察は今度は利益供与を持ちかけてきました。「今なら(殺人ではなく)傷害致死にしてやる」と言うんですね。でも、たとえ軽犯罪にしてやると言われても、私は何もやってないのだから、認めるはずがない。そもそも、司法警察員が求刑を決められるはずもないのです。

 すると、「このオヤジは煮ても焼いても食えない」と思ったのか、警察は今度は息子をターゲットにしてきました。警察には、私の共犯者だと疑われていた息子も、それを否定していたのですが、刑事は息子に対し、「オヤジは全部認めてるぞ」と切り違え尋問をしてきたのです。成年者の立ち会いもないところで、です。

 ここで、もしも息子が「お父さんが言ったのなら、そうかも」と証言していたら危なかったです。しかし、息子は「お父さんはやってない。言うはずもない」と否定してくれたんですね。そうやって、この危機も乗り越えられました

任意の事情聴取でもあった自白の強要

 事情聴取も二日目になると、いきなり自白の強要をされました。取調室に怖そうな刑事が入ってきて、いきなり「姿勢をただせ!」と言うんです。警察は自白をとるには、その人のプライドをはぎとるんですね。

 私は「警察に協力しているのに、そんなこと言われる筋合いはない」と反発したのですが、そうすると、「お前は亡くなった人たちに、申し訳ないと思わないのか」とくる。「私も被害者です」と言っても、聞いてもらえません。ついには「お前が犯人だ」とまで言われました。

 1時間くらい「やった」「やらない」の押し問答を続けたのち、「こんな失礼な事情聴取なら、もう協力できない」と帰ろうとした。任意ですからね。そうすると、刑事は「これも捜査だ」と言う。そして、「河野さん、あなたが潔白なら、あなたがそのことを自分で証明しないといけないんだ」とまで言われました。法律では、警察や検察のほうがクロだという証明をしないといけいけないのに、現実はそうじゃないんですね。

眞須美さんが自白していないのは「重い事実」

 それで、林眞須美さんの話ですが、彼女がカレーの鍋にヒ素を入れたという立証を警察、検察はできていませんね。「怪しい」と言っているだけです。少なくとも、私はそう思ってます。

 また、眞須美さんは自白をしていない。これも重い事実です。

 というのも、私は任意の事情聴取を2日で計7時間半やられただけで、相当まいりましたから。任意の事情聴取でも自白を強要されるんですよ。逮捕された人間が、警察にどんなことをやられるか、想像がつくでしょう。

 罪を犯してない人でも、(虚偽の)自白はするんです。警察の捜査というのは、本当によく調べますし、もし仮に私が本当に松本サリン事件をやっていたら、絶対にごまかせなかったと思います。

 そう考えると、眞須美さんは自白していない。立証でもできていない。それで、なんで有罪なのでしょうか?

 私は約1年間疑われましたが、その流れが変わったのは、地下鉄サリン事件が発生したことでした。あの事件を境に私は、犯人ではないということになったのですが、自分では結局、自分が無実であることを証明できなかったのです。「やってない」ということは、証明できないものなんですね。

 実は私は高校の同級生も、1970年に発生した豊橋事件という事件で冤罪被害者になっているのですが、その弁護士の言葉を最後に紹介したいと思います。

「怪しい、怪しい、と言うだけではダメ。犯人であれば、新事実が出てくるはず。出てきてこないなら、犯人になりえない」

 これは、まさに林眞須美さんに当てはまる言葉ではないかと思います。

 今日は多くの支援者が集まっていますが、人は孤独だとつぶれてしまいます。私も支えてくれる人がいなかったら、どうなっていたかわからない。

 ですから、みなさんには、林眞須美さんへの支援をぜひとも継続して頂きたいと思います。

(講演は以上)

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【河野さんと出席者の一問一答】

───仮に逮捕された場合、有罪判決が出る可能性を考えていましたか?

 入院中の早い時期から、息子には「誤認逮捕や裁判所のミスジャッジなど、すべて最悪の事態が重なったならば、お父さんは『7人の人間を殺した殺人犯』ということになるかもしれない」と話していました。

 しかし一方で「お父さんは何もしていない。悪いのは、向こうだ。私は死刑執行される時、執行官に『悪いのはあなたたちだ。しかし、許してあげる』と言って、死ぬよ」とも話していた。心の位置を高く保っていないと、耐えられなかったからです。

 自宅には、誹謗中傷の電話もかかってきましたが、「何を言われても許してやる」と思わないと耐えられないんですね。
 でも、そんな中でも、有罪にならないために一歩でも前に出よう、と色々対策を講じていました。最悪のケースを「7人殺した殺人者として死刑」と設定して、そこから一歩でも前に出ようとしていたのです。

───仮に逮捕された場合、自白せずに耐えられる自信はありましたか?

 たぶん、虚偽の自白をしてしまうんじゃないか、という怖さがありました。なぜなら、当時の私は、サリンで眠れなくなっていました。注射で睡眠をとっていたんですね。

 しかし、逮捕されたら、おそらく睡眠薬は飲ませてもらえなかったでしょう。そうなると、逮捕され、眠れなかったら、おそらく取り調べに耐えられないだろうと思っていたのです。

───逮捕前の林さんと電話で話したそうですが?

 そんなに長い電話ではありませんでしたが、眞須美さんから電話があったのは、たしか彼女が逮捕される二日前でした。同志社大学の浅野健一さんに紹介されたんです。

 その時、眞須美さんが電話で話していたのは、「本当にマスコミがひどい」ということでした。それで、自分の体験から色々アドバイスさせてもらいました。

 それから、近所にも、お子さんに『がんばって』と声かけてくれる人がいるんだと、そういう話をされた時、眞須美さんは涙ぐんでいましたね。

───河野さんは当時、すごく冷静に事態に対応されていた印象だが、その源は何なのでしょうか?

 私は会社で、QCとかTQCということをやっていたんです。これは要するに、会社でトラブルあった時、どういう対策をとっていくか、という仕事です。実は当時、私はQCの手法をそのまま使っていたんです。

 まず、「逮捕されるとしたら、その要因は何があるか」「警察が私の何を疑っているか」を事情聴取の内容も参考に全部メモに書き出していきました。そして、それらを1つずつつぶしていったんですが、そこにはプライオリティがあります。まず、お金がかからず、すぐにつぶせるものからつぶしていきました。

 事件の発生は6月ですが、それらを8月までに全部つぶしていましたね。
 たとえば、警察は「(サリンをつくるために)私がダイジストンを買った」と言っていたのですが、ダイジストンでは毒ガスは出来ないと、つぶしこんじゃえば大丈夫です。そこで、弁護士と一緒に科学者のところに実験に行き、ダイジストンでは毒ガスはできないことを裏づけました。

 しかし、そうやって疑惑を全部つぶしても、怖いのは、別件逮捕です。

 実際、後で聞いた話では、警察は私の会社の取引先をまわり、「1000円でも500円でも、河野に与えたことはないか」と聞いてまわっていたそうなんです。そういう事実があれば、警察は私を横領の容疑で別件逮捕してしまおうとしていたわけです。なんでもアリなんですね。

 そういう意味では、私は警察が別件逮捕もできないほど、マジメに生きてきたということだと思っています(笑)。

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