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キャリアチェンジの繰り返しから学んだことの話(...ほぼ自己紹介)

タイトルの「キャリアチェンジ」ですが、私の場合は仕事がうまくいかなくなったときに常に考えては環境を変えてました。要するに転職のことですけど。

私は国内大手メーカーを3社も渡り歩いて比較的若いときから管理職に登用されていたので、側から見るとそんなにネガティブな転職には見えないかも知れません。
ですが、実際には自分自身の停滞から抜け出すためにそれを繰り返していたので、キャリアアップみたいな決して格好のよいものではなくて…
しかしそこで格好悪いでは終わらせずに、そこから何かを学ばなければ先はないものと思っております。

「50を過ぎてまだ先があるのか?!」と笑われそうですが、幸いにしてネットでつながる社会では、知識とスキルに裏付けられた「何か交換できるネタ」を持っていれば、エイジレスで働き続けることができそうです。

・・・というわけで、何度か転職をして、なぜ仕事がうまくいかなくなったのかについて自分の胸の内を洞察し、また、どうやったらうまくできるかについてその仮説を私なりに言語化してみました。

今日は、キャリアづくりについて考えている人の何かの参考にでもしていただけるような話ができればと思いますが、内容的にはほぼ私の自己紹介です。


ジョブズがつくったコンピュータからの学び


まずは私が影響を受けた、スティーブ・ジョブズがアップルコンピュータを作ったときのエピソードと、そこから得た教訓について書きます。

アップル以前のコンピュータの機能は「高度な計算ができる」ことに価値がありましたが、ジョブズはそこで「美しいフォントを表現する」機能を有するコンピュータという新たな価値基準をつくりました。
そのきっかけは、ジョブズが退学した大学でカリグラフィ(文字を美しく表現する技法)の授業に興味を持って熱心に取り組んだことと語られています。

結果的にはジョブズはコンピュータ界において自分の勝てる場所を得ることになりました。
そもそも何かの比較で勝とうと思ってやったことではないのでしょうけど、「こーいったものが欲しい」という自己欲求を探求した結果、多くのユーザーから受け容れられる新しいコンピュータの概念を創造しました。

ここでの私の学びは、ふたつあります。
ひとつは、好きで得意なことをとことんやって自分のセンスを磨くことが有意性をつくるということ(カリグラフィからコンピュータへ)。
もうひとつは、新たな価値基準をつくることが居場所をつくる良策であること。

これが今日の結論になるのですが、以下、もう少し話を続けます。


他社製品よりも性能が高いことは、本当に重要なのだろうか?


大手メーカーで商品企画・デザインに永く携わってきた私、恵まれた環境に感謝することも多いのですが、同時につまらない仕事もたくさんしてきました。
ここでは、つまらない仕事の話をさせていただきます。

アップルのように「新たな価値基準」をつくる仕事に毎回携われればよいのですが、現実はそういった仕事はいつ利益を生むのかがわからなく、本当に利益を生むのかすらもわからなく、一部のスタートアップを除けば一般的に企業はそんなことばかりできるわけではありません。
そもそもその仕事に投入する資金をはじめとする経営資源はどこから出るんだ?という話です。

というわけで、利益を生む仕事が日本の大手企業にとっては大事になるわけですが、たとえば「前モデルと比較して」とか「他社製品と比較して」とか、常に既知のモノと同じものさしでの比較において優位性を見せる仕事がその多くを占めているのが現実です。
既知のモノとの比較において優位性を見せるなんてのは企業活動からして当然のようにも聞こえますが、その優位性が本質から離れていくことって世の中けっこう多くあるのですよね。

率直に、本質から離れ出したと感じた仕事はつまらなかったです。

それを説明するにあたって、ここではコンパクトデジタルカメラを例に挙げて考えてみたいと思います。
(注:カメラはひとつの例え話であって、実際のカメラメーカーの話でもなければ私が携わった商品でもないことをはじめにお断りしておきます)

カメラの画素数が他社が1000万画素だとしたら、自社はその上の画素数である1200万画素のカメラを提供するなんてことはよくある話ですが、でも、なぜその200万画素の差が必要なのでしょうか?
商売上の理由はもちろんあるのですが、その理由が私には腑に落ちなかったことがあります。

利益が大事なのは頭ではわかっていても、理由が腑に落ちないことに対してモチベーションが上がるわけがなく、こんなんだからつまらなくもなります。
また、デザインの役割りが「私にとっては意味不明な」200万画素の差を知覚させる(つまり、アップデートしていることを知覚してもらうために見た目を変える)ことにあるとしたら、自分が好きで選んだデザインの仕事ってなんなんだ?と思ってしまって益々仕事の目的を失います。
要するに、そこで私自身が思考停止にまんまとハマるわけです。

「これを言っちゃあ、あなたはどこに行っても仕事にならないよ!」と誰かに怒られるでしょうね(笑)
でもこの私がハマる状態ってのは、たった一人の従業員の問題ではなくて、そもそも「自社の優位性を測るものさし」自体が、組織活動全体で思考停止に陥っていることだって考えられます。


思考停止から抜け出さねば


画素数アップが仕事の目的となっている話、いわゆる「手段の目的化」が進んでいることは、企業活動の中で往々にしてあることです。
本質を外した比較優位に陥りすぎると活動が硬直化して、どこかで新たな価値基準が訪れたときに企業はその変化に対応できなくなり、終いには事業そのものがなくなります。

企業としては避けなければならない現実で、そのためにも私のような思考停止に陥る従業員を作ってはいけませんよね。

(もう少しだけカメラの例え話を続けます)
カメラに代わってスマホが「写真を楽しむ」主役になって、多くのカメラメーカーの仕事がなくなりましたが、カメラに携わる従業員の立場からしたら「自社の優位性を測るものさし」が思考停止な状況をつくった元凶、つまり、そもそも差分づくりを間違えた経営陣に文句を言ってもいいんじゃいかとも思えます。

なお、なぜスマホがカメラに代わったのか?は説明するまでもありませんが、画素数が1200万画素よりもさらに高いからではありません。
理由は、「写真を楽しむ」価値基準が新たに見出されたからです。
ある程度キレイに撮れることがわかったら、次の価値基準は「誰かに見せて共感を得たい」となって、そこでSNSにアップしやすい使い勝手が、既存のカメラの便益と共感で上回ったのです。
決して画素数の話ではありません。実際、iPhone3Gsは200万画素程度でしたし。

仮にカメラメーカーの従業員が変化する価値基準に気づいていたとしても、カメラメーカー的にはそれまで蓄積してきたノウハウが活かしきれなくなると思うと、そう簡単には新しい価値基準での商品開発にはシフトできません。
ですが、経営レベルで対応できる方法はいくらでもあります。
(なので、差分づくりを間違えた経営陣に文句を言ってもいいんじゃないかと…)

ここでいきなり私自身の話をするのも恐縮ですが、このような思考停止な状況に陥っている企業やそこで働く従業員たちの一助になりたいと思って、私は40半ばを過ぎた頃にリスキリングして経営コンサルタントに転身しました。
成功しているかどうかはさておき、「探索と深化」のマネジメント手法を企業にインストールする試みなど、その自分のキャリアチェンジには意義を感じてます。


リスキリングでマインドセットはアップデートされるのだろうか?


こういったカメラの話のような社会構造の変化や消費者行動の変化はどうにも避けられません。
だからこそ、企業は日頃から変化への対応力を強化しなけばなりません。

そのひとつが、これまで話してきた新たな価値基準づくりへの挑戦です。
前述の、ジョブズによる「美しいフォントを表現する」機能を有するコンピュータ、それから「撮った写真を誰かに見せて共感を得たい」(←これもジョブズ!)といったことが、コンピュータやカメラ(スマホ)における「新たな価値基準」を消費者に与えた好例です。

しかしこれは、みんながみんな「ジョブズになろう!」と言いたいわけではなくて、成功確率の問題で挑戦をあきらめることなく、企業はそこに活動の意義を見出さなければならない、ということです。

そこでは、自社が実現すべき未来をどう描くか?、そのために経営資源をいかに投資していくか?という、経営レベルにおいては創造的なマネジメントの実践が求められます。
たとえば1970年代にはボストン・コンサルティング・グループという会社が考案したPPMというフレームワークを作りましたが、これは創造的なマネジメント手法の一例です。

このように創造的なマネジメント手法が世の中には既にあるにもかかわらず、実践されていない状況が多くの企業で見られます。
なぜでしょうか?
私は、マインドセットがその実践を阻む真の問題として考えられるという仮説を立てます。現に私自身もそのマインドセットに欠いたことで事業環境の中を彷徨っていたから思考停止に陥りましたし。

個人に目を向けると、昨今では「リスキリング」なんて言葉も多く出てくるようになりましたが(私自身もリスキリングしましたが)、新しいマインドセットはそのリスキリングで育つか?と考えると、どうかと思う節もあります。

その中身が「これからは〇〇なところに需要があるからそれに対応するスキルを備えましょう」みたいな、結局はどこかカメラの画素数アップと似ている話が多いように思えてしまうのです。
スキル的には需要が多いところを備えて間違いはないのでしょうけど、VUCAな時代と言われているのに、わざわざ混戦を望んで皆と同じ方向を見て動くように思えてしまいまして…。
それってマインドセットの問題なんじゃないかと、私ならそう考えます。


未来予測をどれだけ信じてよいのだろうか?


アラン・ケイという、タブレット型コンピュータの構想をいち早く可視化した人がその昔いました。ダイナブックと呼ばれるものです(…東芝のパソコンとは直接的には関係ありません)。

アラン・ケイの構想は現実化しましたが、それを氏に向かって「未来予測が当たりましたね」みたいなことをある人が言ったら怒られたそうです。
つまり、未来の予測に基づいて構想を可視化したわけじゃなく、「こういった未来が欲しい!」という至極主観的な発想を可視化し、その主観に基づいて自分自身が動いたから現実化したんだというのが氏の本意だそうです。
周りから共感を得たことも当然大きいでしょう。

一方で、未来予測をもとに多くのステークホルダーが動き出すことを本当に信じてよいのか、考えさせられる状況ってあちこちにあります。
ここでは、EVを例に挙げて考えてみたいと思います。

世の中のクルマの主流はいずれEVになるのかも知れませんが、それを各国の政府主導で進めたところに課題が露呈し始めて、(2023年の後半から執筆時点の2024年に至り)EVの波は停滞しています。
米中欧による「恣意的な未来予測」を信じてフルベットしてきた企業は大変でしょうけど、そこで本質を外した比較優位に終始していたとしたら、予測どおりに未来が進まなくなると(前述の200万画素的に)活動が硬直化します。

そんな中、EVの波に完全に出遅れた日本企業のハイブリッド車が売れるという、米中欧にとってはなんとも皮肉な状況です。

では、そのハイブリッド車で販売好調なトヨタはどうかというと、EVシフトへの出遅れにはネガティブな要因(しかも根深い)がありそうですが、トヨタにはトヨタなりのものさしがあるから、自分たちが逆風にさらされようがハイブリッド車に取り組めたのではないかと思います。
今はEVの代替が他にないからハイブリッド車が売れているのかも知れませんが、この先は主体的に未来を描いた結果が出てくることに期待したくなります。
期待できる根拠は、ハイブリッド車自体が主体性の塊みたいなものだからです。

また、EVメーカー・テスラのイーロン・マスクが手にするものさしは、さらに次元の違うものなんじゃないかと。
イーロンが目を向ける本質はトヨタが目を向けるそれとはきっと違うことでしょうし、他のEVメーカーが目を向けているところとも違うのではないかと。
それはイーロン自身が描く未来社会とコミットしている姿勢からもわかります。
多数決で描かれるような未来予測など、きっと何の意味も持たないことでしょう。


自分自身の探究心・向上心の源泉としっかりと向き合う


ここでようやくタイトルの「キャリアチェンジ」の話に入ります。
冒頭でも触れましたが、私は仕事がうまくいかなくなると転職という形で環境を変えてきました。

なぜ仕事がうまくいなかくなるかはカメラの例え話で前述しましたが、本質的でないところに目がいくようになって、やっていることがだんだんつまらなくなってきて、思考停止に陥り、自分のアウトプットが付け焼き刃的になっていくというか…
根源的なことを言うと、自分の中から探究心・向上心が失われていくことが負のループに起因していることを自覚しました。

だからキャリアチェンジして、探究心・向上心をリフレッシュさせるのですよね。
きっとそんな理由で転職される人って少なくないと思うのです。

であれば、そもそも自分自身の探究心・向上心の源泉となっているところと常にしっかり向き合っていく意識を持てば、うまくいかない状況を乗り越えられるのではないかと。

スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクといった人たちをここまで取り上げてきましたが、偉大なイノベーターたちはみんな自分のものさしで測って未来を描き、つまり新たな価値基準を創造し、自分自身がその未来とコミットしています。

自分のものさしで測って未来を描く、そのものさしの根拠がわかれば、きっと自分自身の探究心・向上心の源泉と向き合えるんじゃないかと思います。
結局その根拠というのは、誰かから与えられるものではなくて、ジョブズのカリグラフィ然り、自分の中にあるのものであることは言うまでもありません。
学ぶべきマインドセットがそこにあります。
では、そのために何をするか?!でしょうね。後述の「むすび」で書きます。


むすび


冒頭の話を繰り返しますが、アップルからの私の学びは、ふたつあります。
ひとつは、好きで得意なことをとことんやって自分のセンスを磨くことが有意性をつくるということ。
もうひとつは、新たな価値基準をつくることが、自分にとっても居場所をつくる良策であること。

自分の頭で考えて「新たな価値基準をつくること」とは、予測ではないんですよね。主観を出すことの大切さを示唆しています。
主観で生きると「好きで得意なことをとことんやって自分のセンスを磨くこと」に自分が自然と動いていく。そうなると、磨かれたセンスこそが自分のものさしになるのではないかと。

それが究極的に凄くなると主体的に描く未来が大きな共感を呼び、そこに求心力が備わり、新たな価値基準を確立するアップルやテスラみたいな企業が出てくるのでしょう。

私自身のキャリアチェンジを振り返ると、探究心・向上心のリフレッシュを繰り返したことで、結果的には自分のものさしがつくられていたことに気づきました。
自分のものさしに自信を持てるようになると未来を描くことへの意欲が高まり、それが自分自身の探究心・向上心の源泉となっているところとしっかり向き合っていくことにつながります。

そこまでできると、世の中の大抵の変化に自分らしさで乗り越えていけるんじゃないかと思ってます。
自分自身が主観を大事にして価値基準を持ち、そこからどんな未来を描き、何をコミットできるか?! ー 私はすべてがそれ次第だと思ってます。


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