サブカルで学ぶ社会学⑧ 新渡戸稲造と『武士道』 ~新渡戸稲造の『武士道』は『RRR』の「”ナートゥ”をご存知か?」とほぼ同じ~


はじめに(注意書き)

はじめましての方ははじめまして。そうではない方はいつもお世話になっております、吹井賢です。

さて、『サブカルで学ぶ社会学』第八回です。
地味に剣道の段位持ちであり(なんとマジ)、そもそもアニメに影響を受けて社会学を勉強しようと決意した吹井賢(なんとこれもマジ)が、社会学やその周辺科学、つまり、政治学・哲学・精神医学・文化人類学・生理学・組織科学・比較社会学・等々に出てくる概念を、サブカルチャーを絡めつつ、分かりやすいが論文で引用すると怒られる程度にはふわっとした感じに、解説していこう、という記事です。

最初にお断りをば。

※あくまでも娯楽として楽しんでください。
※興味を持った概念については、この記事を読むだけではなく、信用に足る文献を読み、講義を受けることをお勧めします。
※そして僕に分かりやすく教えてください。

それでは始めます。

今回、これまでにないほどふわっとしています。
というか最早これ、『サブカル』ではないような……?


「”ナートゥ”をご存知か?」を、ご存知か?

恐らく知らない人もおられると思われるので説明しますと、『ナートゥ』とはダンスの名前です。

具体的にはこれです。


『バーフバリ』などで知られる映画監督・S・S・ラージャマウリ氏の最新作、『RRR』
『RRR』
は、実在のインド独立運動指導者であるコムラム・ビームアッルーリ・シータラーマ・ラージュをモデルにした、ミュージカルアクション映画です。
そして『ナートゥ』は同作に登場するダンスの名前です。

はい、アクション映画です。
(大事なことなので二回言っておきます)

「独立運動の映画なんて難しそ~」と思った方、大丈夫です。
そんな難しい話じゃありません。
心躍り、胸打たれる、楽しい映画です。

というか、ほぼ『コードギアス』みたいなもんです。
(親友二人とか同胞同士とかが、別勢力に入って、すれ違いながら交流して、時に対立し、時に協力する話……みんな、好きでしょ?)


では、そんな『RRR』で一番盛り上がるシーンは何処でしょう?

決まってますよね(自信満々)。
「”ナートゥ”をご存知か?」から始まるダンスバトルです。

イギリス総督府が開くパーティーに招待されたビーム(※主役の一人。インド人)。
しかし、一人のイギリス紳士が「彼のような人間はこの場に相応しくない」と文句を言ってきます。
曰く、インド人はタンゴもフラメンコも知らないだろうと。

対して、ビームともう一人の主役・ラーマが、息ピッタリのナートゥを見せる。
そして会場は全ての人間を巻き込んだダンスバトルに……。

滅茶苦茶に盛り上がる前半の山場ですね。


イギリス紳士に対し、「”ナートゥ”をご存知か?」と問い掛け、踊ってみせることで、何を成し遂げたのか

このシーンの妙は、「あなた達インド人はフラメンコやサルサといったダンスを知らないだろう?」という問い掛け、つまりは、「崇高な芸術を知らぬ粗野な国の人間は帰ってくれないか」とでも言うべき、エスノセントリズム(自国中心主義)ヨーロッパ中心主義、ないしは進歩史観に満ちた発言に、「でも、あなたは私達の文化を知らないだろう?」と切り返した痛快さです。

「”ナートゥ”をご存知か?」という問い掛け、そして披露されるナートゥ。
そこには、「俺達インドのダンスだって西洋の文化に負けちゃいない!」という自負心が垣間見える。


ところで、新渡戸稲造『武士道』をご存知でしょうか?
こちらの本に関しては、名前は知っていても、読んだことはない人が多いかもしれません。

さて、この『武士道』ですが、一つ、豆知識をば。
実はこれ、元々は英語で書かれた本です。
新渡戸稲造は日本生まれの日本育ちの日本人ですが(なお没したのはカナダらしいです)、そんな彼が、思想家として、「西洋に日本の思想を紹介する目的で書いたもの」が『武士道』。
だから原文は英語なんですね。

ですから、新渡戸稲造の『武士道』で日本人としてのルーツを探る、というような行為は、「祖先が行った自己紹介で自分の家を知る」みたいな、なんだか奇妙なことになります。
ただ、名著であるのは間違いないし、勉強にもなるので、一読をお勧めします。

……僕は失くしちゃったんですけど……。


この『武士道』について、大学の講義で聞いて、印象に残っている言葉があります。
曰く、「新渡戸稲造の『武士道』は政治論文である」と。

どういうことでしょうか?

新渡戸稲造の研究者である草原克豪氏の文章を見つけることができたので、それを引用してみましょう。

「当時の西洋列強にとって、文明とはキリスト教世界そのものであった。そのためキリスト教国ではない日本は、一段低い水準の未開国としか見なされなかった。そのことが日本人に対するさまざまな形での偏見や差別感となって表れていた。そうした状況を目の当たりにしてきただけに、新渡戸としては、日本はキリスト教国ではないけれども、そこには長い間の歴史文化の中で培われた立派な倫理道徳があるということを主張したかった。そうした著者の強い思いが、『武士道』の行間からひしひしと伝わってくるのである。」
「切腹や刀について独立の章を設けているのも、日本人は野蛮な民族だという欧米社会の誤った先入観を改めさせるためであった。その意味で『武士道』は、新渡戸による日本の自己主張である。彼にそうさせたのは「西洋に負けてなるものか」という武士の一分であり、彼の愛国心であった。」

『新渡戸はなぜ「武士道」を書いたのか』
https://www.elec.or.jp/teacher/communication/essay/print/kaitakusha_19.html

つまり、当時の西洋中心主義的な世界において、「日本はキリスト教国ではないけれども、そこには長い間の歴史文化の中で培われた立派な倫理道徳があるということを主張したかった」――これが新渡戸稲造の『武士道』です。

当時、ヨーロッパの国々には、日本は劣った野蛮な国だと思われていた。
でも、そうではないと主張したかったのです。
だから、「武士の掟」≒「ノブリス・オブ・リージュ」というような対比構造を盛り込んでいる。

そういった意味で、新渡戸稲造の『武士道』は、「日本も先進国の一員たる文化と精神性を有している」と主張する、政治論文なのです。


誇りを持ち、卑下せず、けれども他者を見下さない――西洋中心主義を反省しよう

今回、僕は『RRR』の一幕を引用し、そこから新渡戸稲造の『武士道』の簡単な解説を行いました。

しかし、どうでしょう?
僕も常々、反省しているのですが、僕達が見る”映画”って西洋のものばかりじゃないですか?
というか下手をすると、海外映画≒ハリウッドと思ってしまいそうです。

当たり前ですが、そんなわけがありません。
それぞれの国や地域には、それぞれの文化と魅力があり、素敵な映画があるはずです。

『RRR』がどんな思いで造られた作品かは分かりませんが、それを認識させてくれるだけでも、凄く価値のある映画だと思うのです。


だから、今回はこう結びましょう。

―――「『RRR』をご存知か?」
それは刺激強めなインドの映画。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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最後に宣伝!

……今日は特になし!
そんな日もある!

……ここまで読んでくれた方、ごめんね。

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