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介護福祉士を取るまで長い旅②

こんにちは。タイトル通り前回の続きを話ししていきたいと思います。長くなりますので最後までお付き合いください。

※前回の話から4年後の話になります。その間の話は追々お話しできればいいなと思ってます。

2017年4月。介護老人保健施設で働いて丸3年、4年目のシーズンが入った。何故なら介護福祉士の受験資格が得られる年だ。

自分は“この三年の間色々あったな”と受験資格をもらえる立場になった実感があった。

でも、前回までの介護福祉士の試験は法改正がなかったが、自分が受ける年は医療的ケアが追加。簡単に言えば、看護師が使用している医療用具、用語が追加された。(じゃあ制度変わっての一期生じゃんとウキウキしていた自分笑笑)

試験勉強も始めたのも5月頃から勉強をし、過去問を解くが、“全く分からない”問題が多数…そこからテキストとか過去問を繰り返し勉強していました。

今だから言えることは、学生の人達は学校で勉強して試験を受けるが、社会人は仕事しながら尚且つ勉強もするってこれだけ大変なんだと、学生とは違ってハンデが凄いなって。

自分は、夜勤もやってた身なので、夜勤中の空いている時間に勉強。家に帰っても勉強。仕事も大変な中、“何でここまでやらないといけないの…”とずっと嘆いてました。

それでも、他の職員さんと話しをしているうちに“皆が仕事して来ながら通って来た道”“合格したら余裕も出来て楽になるから”とアドバイスくれて、それで何とか気持ちが楽になった。

それから、ずっと何ヶ月も経ち…

いざ、1月末…。介護福祉士国家試験当日。自分は青森の山田高校で受験をした。今でも覚えてる。あの時の自分はひたすら問題を解き、見直しをして全日程が終了。自己採点をしたら、ボーダーラインのギリギリで自分の中では“不合格”の文字が横切り、3月末、合格発表の日。自分の番号は…無かった。不合格だった。

だろうなと、だって自己採点した時に合ってる問題の所を、直したのが間違いだったと試験が終わった時点で気付いたのだから。

あの時は本当にドン底に落とされたみたく、泣き崩れたな…。元々卓球をやってたので、それで例えます。決勝戦、5ゲーム目の10-9の時点で後一歩で自分の勝ち。身体中震えまくって最後は逆転負けで終わってしまうパターン。

次こそは受かってやる!!と落ちたその日からまたもう勉強をし、再度リベンジに青森へ。結果は無事合格することが出来ました✨

これから介護に関わらず、来年度受験する大学生、社会人いると思います。一つアドバイスをすると”頑張れ!”とは言いません。

何故なら

頑張れとは言わなくても頑張ってるから。

一生懸命やっているのは受験する人達だから…もし周りに受験する人がいれば遠く見守って欲しいなって思います。“大丈夫!絶対に受かるから”等、受験生に話してしまうと逆にプレッシャーになってしまうからです。

試験が終わったらその時にがんばったね!お疲れ様!と褒めてあげてください。

長くなりましたが、お付き合いくださいましてありがとうございます。





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