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姉と生き別れ、暴力の日々を送った自分

子供の頃、覚えている一番古い記憶は
母親と姉とおばあちゃんと遊園地に行った記憶だ。

どういう感情だったかは覚えてないけど

観覧車に乗る時

少し違和感があった。

観覧車には母と自分だけが乗って
おばあちゃんと姉は乗らなかった。

観覧車から
おばあちゃんと姉を見ながら
頂上になる頃には
おばあちゃんと姉は見えなくなった。

そして

観覧車が一周して
地上に降り立った頃

おばあちゃんと姉は居なかった。

それから人生で一度も

おばあちゃんと姉を見る事はなかった。

それから自分は

親戚の家に預けられた。

親戚の家では食卓が二つあって

一つは親戚家族がご飯を食べる食卓
もう一つは自分だけが食べる食卓


別に誰かを責めたいわけじゃない。

ただ、親戚の家で
おねしょをした時に小学生ながら
情けなくて泣いたのを覚えてる。

それから何年かして
母の所に戻った。
その時には父は蒸発して
違う人がお父さんになってた。

高校生の時
時代が時代だったのもあって
自分は人を殴るのが当たり前の生活を送っていた。

相手の事以上に自分の事の方がどうでもよかった。

問題が起こる度に母に叱られたけど

今更、なに?

としか思わなかった。

俺が叱られたかったのは
おねしょをした時だ。

今じゃない。

もう・・・しょんべんを漏らす事はなくなったんだ。


それから数十年が経った
今では子供もいるし孫もいる。
こんな人間でも、それなりに幸せになれるから
人生捨てたもんじゃないわ。

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ご覧いただきありがとうございます。

僕から、この方に伝えられる事は

今度一緒に飯食おっか!
もちろんそちらの驕りね!!笑笑

これだけです。

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