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心象風景 イシュタルの塔

俺は「母性元型(グレートマザー)」に強い影響を受けている。

乳幼児期の母親からのマルトリートメント。
俺が4才の時、妹が生まれ生後4日の妹に故意ではないにせよ俺がしでかしたアクシデントによって、祖父、父親、母親からシャレにならない叱責と折檻を受けたこと(妹は五体満足で普通に生きている、一応言っとく)

そのアクシデントで唯一かばってくれた祖母を母親視している事。
そしてそれによって俺はおそらく「養育者」を自ら変更した。
(蛇足ながら父に「祖母は昔はどうだったか」と聞いたら、聖母のような人であった、と言っていた。つまり彼女は初孫である俺だけにそのような事をしていたわけではない)

その後母親は「甘えた俺を立て直す」ため、5才のあたりから「厳しく」育てたらしい。

父親と祖父からは何かあれば「鉄拳教育」を受けた。

これと協調運動障害を主にした、発達の度合いや自ら覚えている事を加味すると高機能自閉症のグレーゾーンレベルであった発達障害が掛け算され、小さな町で評判の奇行児だった事もあり、幼稚園から小学校中学年くらいまでいじめられっ子だった俺の愛着はねじ曲がり面倒な事になってしまった。ちなみに中学生2年くらいまではいじめられる事はなかったものの基本的にぼっちだった。本屋の息子がぼっちになると読書が破滅的に捗る。こうした事が今に繋がっているからぼっちもきっと悪くなかった。(境界性PDの発症はこうしたバックグラウンドがあり、成人後、俺の愛着問題を知り尽くしていた臨床心理士の卵であった初めて本当に心を開いた恋人の手酷い心変わりによっておそらく発症した。)

「母性元型」の陽性と陰性の影響を受けまくった「マザコン」なのだ。
現実の母親に対しては、葬儀の前日一晩中葬儀会場に泊まって、デスマスクを見たり語りかけたりさまざまな思いをめぐらしても涙すら流れなかった。冷然とデスマスクを見下ろし、さまざまな想いの中、愉悦さえ覚えた。
俺にはこんなサイコパスのような一面もあるとここに告白する。

だが、どこかに居るかもしれない想像上の母性を求めているという意味において俺はコンプレックスの本来の意味において「マザーコンプレックス」だ。
そしてやっかいな事に母親や前述の恋人との一件などが影響してか本質的には女性恐怖症でもある。

こうした乳幼児期の母親のマルトリートメント、恋人の裏切り、と祖母の慈母的な愛情という両価的なものが培われ、矛盾した構造が俺の心の中で作られ、それを元にパーソナリティは出来上がっていった。
これは前のSNSでも言わなかった事なのだが俺は例の恋人の一件以降まあまあ「チャラ」かった。
母親を求め、女性に恐怖し、祖母の受け入れ難い死によって理不尽に愛着を終わらせられる。

それを関わりがあった女性や交際した女性で再体験?/再演?していた。

仲が良くなった女性に愛情を注ぎ、何か違和感を感じたらそれを一方的に剥奪する。仲が深まれば深まるほど「それを壊す」愉悦に囚われてしまう。
愛情を受ければ受けるほど信用出来なくなり、ためし行為をしてしまう。

「愛着の器」に大きな穴が開いていた。

そんな自分と一緒にいても良い事はない、という良心もあったように思う

そしてそんな矛盾した自分を心底嫌っていた。
手にペンや安全ピンをぶっ刺すという自傷行為をこっそりよくしていたし、壁を殴ったり頭をぶつけていた。
そんな行為をするたびに自分が裁かれたような気になっていた。

メサイアコンプレックスなのか、贖罪なのか、子供の頃見たTVの中のヒーローに憧れたのか困っている方や後輩を助けたいとも思っていた。
そうしている時、ほんの少しだけ自分がマシになった気がした。

そうして、不適応かつ矛盾に満ちた人生を「生きづらく」送っている中で一人の女性と出会った。

太陽のように朗らかで、強さを持ちながらどこかで危うさと回避性の愛着を持って孤高であろうとする。
学力はまあまあ高いものの、社会的な一般教養はあまりない妙なところも好きになった。

聴力が弱いため、少々専門的な用語を使った俺の言葉を素っ頓狂な語彙で聞き間違え、どういう意味か聞き返してくる。
これは今でも変わらないが、不条理系のコントが大好きな俺にとっては心が洗われる「癒し系」でもあるのだ。

一例を挙げると「君の名は」という映画で「むすび」について話した事だ。「あれは超ひも理論に基づいていて、時空構造が11次元のひもで表す事が出来るのを、、、つまり相転移し合う量子宇宙の、、」

「空飛ぶゾウさん?!」

膝が砕けた。
もういいや、という気分になった 笑
彼女は俺の「どうでもいい」悩みをこのように破壊出来る特技を持っている。

何よりも付き合っていない頃、気合を入れて連れていった初デートのワインバーで遠慮もなく、デートにしては多めに入れておいた俺の財布がカラになるまで飲んで悪びれない豪快さと酒の強さに惚れた。
付き合ってもいないのだから程よく嗜む程度にしておけば良いのに、初めて飲んだ!本当に美味しい!とひどく酩酊するまで飲んでいた。
俺を信用したのかナメられたのか 笑
事実なぜか彼女の美味しそうな顔と気分を曇らせたくはなくなったので手は出さなかった。

そして、そこまでされて愉快な気分になった。
言動も含め、心底俺の想像を覆す女性にそれまで会った事がなかった。
すり寄って来たかと思いきや、スーンとすまして突き放す。
しかし、遠目で構って欲しいサインを出す。
ただ構えば良いのではない。
彼女がそこかしこに配置した「どう構えば、爪を立てられシャー!っと言われない」構い方を探さねばならないのだ。

無論失敗した事もある。
だがくったくなく「正解」を口にする素直さも持ち合わせている。

分かり易い謎解きはつまらない。
だが「たけしの挑戦状」のような難解過ぎるクソゲーも嫌いだ。

ヒントをかき集め、心血を注いだ末に得られた「正解」にこそ、命と魂は震えるのだ。
それを見出したのが俺だけであるという優越感が良いのだ。

本当に楽しかった。

後悔してもいいから、女性をもう一度だけ信じ抜いてみようと思った。
それで裏切られてもそれはそれ。
躊躇も計算もなく彼女を愛し、もし別れが来るならばその時は死ねば良い、と思っていた。

残念ながらサイコパスと境界性人格とメサイアコンプレックスと祖母がしてくれた事を誰かに渡したいと思うココロが同居する性格異常者は死ぬことはなく、その女性と籍を入れた。


以下次号。長い。
なんでこんな一人語りをしたくなったかはわからないが、心理士のたんすさんの箱庭マガジンでコメントした事をきっかけにこんな気分になった。

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